久しぶりに、というか二日振りに事務所に行かなければいかなくなった。社長に、筑波大の講師の話をしなければいけないからだ。いい機会だ。今日、天蓬に会おう。天蓬と、話そう。ついでに、あいつが引き抜かれちゃうかどうかも聞こう。QUARTETで飯でも食いながら。いいな、そうしよう。それがいい。
「天蓬」
そう言えば一昨日俺はこの男を抱き締めて、そして右ストレートを食らったのだが、そんなことは忘れちゃいましたよー、という感じで、普通に名前を呼んだ。
「ああ、おはようございます」
俺はこの男のことをわかっているつもりだ。ここで、天蓬が無視したり動揺した様子を見せることなど皆無だと思っていた。思っていたのに、俺のほうが天蓬の顔を見て少し動揺した。しっかりしろよおい。
「話あんだけど、仕事終わったら飯食おうぜ」
「仕事が残ってますから、少しでよければいいですよ」
天蓬は素だった。間すらなかった。くそー、負けた。舌打ちしながらデスクに戻ると、悟浄が俺のデスクに何か資料らしきものを置いて行くのが見えた。
「悟浄?」
「あー、それ、参考にでも使って」
米国や英国のキンダガートンから、アジアの学校の建造物の資料だった。俺は悟浄を追いかけて、後ろからヘッドロックをかけてやった。「いてえ!」と言った悟浄だったが、俺も胸が痛かった。嬉しくて、でもそれも虚しくて、何だろうかこの痛みは。
「いい学校、つくろうな」
「は?つくんのあんたじゃん」
「はー?お前、俺のパートナーだろ。手足となって働けよ」
悟浄の頭をビシバシと殴ったあと、再びデスクに戻った。よーしやるぞ。大学講師なんてタルいことなんてすっ飛ばしてぇな。
「楽しそうですね」
顔をあげたら、八戒がコーヒーを淹れてくれていた。うわ、びっくりした。天蓬と声まで似てる。
「そ?」
「何だか活き活きしてますよ。あ、それは…」
デスクに積み上げられた資料を手にして、八戒が眉をひそめた。
「…悟浄の?」
「ん。あいついっぱい持ってっからさ」
「意外な趣味ですよね」
「そーか?悟浄らしいって思うけど」
「そう…ですかね」
八戒はいまいち納得のいかない顔をしている。俺は黒いコーヒーカップにはいったブラックコーヒーをすすりながら、悟浄のくれた資料を手にした。
「あいつ、何にも執着しねえし、ライターだってジッポだってすぐなくすし、人にも物も深く関わらねぇっつーか関わりたくねぇって感じするだろ。あれ、違うのよ。ホントは関わりてぇの。でも自分からどうやっていーんかわかんねぇの。だから、こうやって仕事の資料だって山ほど集めてるけど、自分のためには使わないの。そーゆー風にしかできねぇんだよ」
「……」
八戒が眉をさげて少し微笑んだ。
「何?」
「いえ、やっぱり悟浄のこと一番わかってるのは貴方ですね」
「俺のこと一番わかってんのも悟浄。…兄弟って」
「え?」
「兄弟ってそーゆーもんだろ」
八戒がまた目を細めた。そして、再び資料に目を落とした。
「…学校、ですか?」
「おう。まだ話きてるだけの段階なんだけど、俺好きでさ。小学校つくりてえの」
「へえ、初耳」
「あれ、そーだった?」
「ええ、そういう話、悟浄からも貴方からも聞いたことありませんでした」
深い意味はなさそうに八戒は言ったが、俺には意味深にしか聞こえなかった。社長に筑波大の講師の話をしたらいきなり怒られた。怒ったあとに、お前ならいい学校作れるよ、と言って笑った。わけわからんかったが、俺は社長のこういうところが結構好きだ。
QUARTETには、俺が先に着いていた。ウーロン茶を飲みながら、天蓬を待つ。天蓬が店に入ってくるのはすぐわかる。八戒と天蓬は容姿こそよく似ていたが、どことなく風景や背景にちゃんとおさまって埋もれることができて、悪目立ちというか、そういうのはしない八戒と違って、天蓬はとにかく目立った。本人に自覚はまったくないだろうが、とにかく天蓬は人目を引く。いい意味でも悪い意味でも、どこに居てもわかる存在だった。
遅れてきても謝罪ひとつないのも、天蓬らしい。天蓬もウーロン茶を頼んだ。
「話って?」
いきなり本題じゃなくてさ、もっとこう、世間話とかしようよ。してたじゃんか前は。
「…お前、まだ俺のこと好きか」
俺のアホ。
「話って、それですか」
「答えろよ、好きか?」
「だったら何です」
死んでも「好き」とは言いたくないらしい。そう言えば、俺は一度も聞いたことがない。吐き気がするほど嫌い、とは言われたが。
「はっきりしときたくて」
「僕は曖昧でいいです」
「俺ははっきりしときてえの」
「僕はしときたくありません」
「だあ聞け!」
叫んでちょっと心を落ち着かせた。コスいな俺。
「俺の中でのナンバーワンが沙悟浄っつー事実は一生変わらねえ。悟浄が死んでも俺が死んでも変わらねえ」
天蓬は真っ直ぐに俺を見ていた。射抜くような、そんないつもの鋭利な目付きで。
「お前に惚れることはこの先あり得る。事実、今も気になってる。寝る前にちょっとだけお前のこと考える。職場でもお前のこと見るようになった。八戒の声がお前の声に聞こえたり、何か決断を迫られたらお前だったらどーすっかな、とか思うようになった。つまり、俺はお前のこと意識してるっつーわけだ。おいコラ、笑うとこじゃねえよ!」
天蓬が笑った。あまりの意外さに、心臓が引っくり返りそうだ。いや、口からはみでそうだ。
「つまり、ボートに乗っててお前と悟浄が落ちたら俺は俺が溺れ死んでも悟浄を助ける。悟浄は、そういう存在だ。唯一無二」
「貴方が何を言いたいのかわかりました」
「そうか、それはよかった」
会話はそこで途切れた。途切れさせてる場合じゃねえよ。
「…つまり」
5分の沈黙の後、やっと天蓬が口を開いた。
「僕はフラれたわけですね」天蓬が事務所に帰ってからも、俺はQUARTETでウーロン茶を飲み続けた。酒を頼もうかと思ったが、仕事に生きると決めた今、それはできない。悟浄と一緒に小学校を作る。
何年後かに小学校が完成して、そこに天蓬がいて「おめでとうございます」と言ってもらえなくても、もうそれでもいいと思った。
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