捲簾とは、ひたすら話をした。この男的には『最後の晩餐』とやらの予定だったそうだが、『最後の会議』に近いものがあるとこの僕でさえ思うほどだった。プレゼンで使った資料の話から、古代エジプトの建造物の基本がどうのこうのという話まで、ノンストップ6時間。始発電車もとっくに走ってる時間まで、ひたすら話した。
話題が尽きないのではない。
多分、沈黙が怖かったんだと思う。
だから、3日寝てないことも忘れるくらい話続けてたんだと思う。
「悟浄に何て言ったんです?」
でも僕は結局、知りたいことを聞いてしまった。
捲簾は、少しだけ視線を泳がせた後、方眉を下げて笑った。
…ああ、この顔好きだ。ここまできて、まだそう思う。
「何でそんなこと聞くの」
「知りたいからです。知りたくなけりゃ聞きません」
「そりゃそーだ。…別に、幸せんなれっつっただけ」
「はあ?」
まさか、まさかこの男。悟浄のこともふったのか。
「…嘘でしょう」
「何がよ。あー、もう朝じゃねえか」
くああ、と欠伸をした捲簾は眠そうな顔で煙草に火をつけた。
冗談じゃない。やはりこの男は救いようのない阿呆だ。
「…僕のためですか」
「は?何言ってんのお前」
「とぼけないで下さい。僕のためですか?そうなんですね?僕が事務所を出るとか根性なしの逃げの態勢に入ったからですか?そうなら心外もいいところです。僕は以前からうちの事務所でやれることの限界を感じていました。だからもっといい環境に出て行こうと、一社会人として当然の権利を行使しようとしただけです。貴方のせいでも貴方のためでもない」
「ちょっと待った」
「待ちません、答えてください。僕のせいですね?」
「ちょっと待てっつってんだろ!」
捲簾が、怒鳴った。怒鳴っただけならいい。僕の腕を掴んで怒鳴った。
触れないで欲しかった。最後まで、触れないで欲しかった。
この長い指の骨の感触に、理性が殺されるだなんて、貴方は想像もしたことがないだろう。
「お前のせーでもお前のためでもねえよ。勘違いすんな。俺はね、すげ欲張りなの。俺のことが一番じゃねえヤツのそばにいんのなんて耐えられねぇわけ。悟浄は俺と付き合っても俺を一番だって思うよーにはならねえよ。あいつも俺と一緒で、手に入んねぇもんばっか欲しがるクセあっから。手に入んねえ愛情を、手に入んねえことで安堵したり傷ついたりまた安堵したり、ややっこしーこと繰り返してるガキなの。そーゆーあいつ見てて俺が何とかしてやろーって何回も思ったけど、今回のことでわかったの。俺じゃダメなの。いくら好きでも、支えてやりてえとか受け入れてやりてえとか思っても、あいつは俺じゃダメなの。俺があいつのこと愛してるから。だからダメなの。お前のことがあろーがなかろーが、悟浄とは付き合ってねえよ。大体、お前が事務所やめる理由が俺だなんて、んな自惚れてねえよ」捲簾は一気に吐き出して、ふしゅーと大きく息をついた。
驚いた。いや、捲簾の言葉の内容にではなく、捲簾がこんなに喋る男だということに驚いた。
話はよくしたが、実際今だって6時間ノンストップトークをしていたのだが、何というかあまり感情を出さない喋り方というか、どこに本音があるのかわからない男だとずっと思っていたから。
捲簾は、捲簾が悟浄を愛してるから悟浄は捲簾を一番愛することがない、と言った。
何となく、わかるような気がした。捲簾の言葉が真実かどうかは悟浄本人しかわからないことだが、捲簾がそう解釈していることについては、どことなく共感さえ覚えた。
なるほど、やはりこの男も相当屈折しているということだ。
「チクショ、何の話してんだか忘れちまったろ」
「どーせ中身はなかったからいいですよ。それより僕もとんだ自惚れをしてみたいで恥かしいですね」
どうでもいいが、早く腕を離してもらえないだろうか。
「いーよ別に、自惚れてもらっても」
そしてこうやって意味深な台詞をあっさり吐く。子供みたいに無邪気に笑っているかと思えば、悟ったようなことを無表情で言う。本当に知りたいことは何ひとつ教えてくれない。この男のナチュラルな卑怯さが、僕の心をとらえて離さない。
…今更ながら、とんでもない男に惚れたものだ。
報われないから、諦めることも忘れることもできない。やっと、腕が離れた。捲簾は何事もなかったかのように、僕の腕を掴んでいた手を腕時計に移して、また眉を下げた。
「始発出てんなもう」
そして僕の顔を見た。視線の動きひとつから、目が離せない。
「どーする?お前、先帰りてえ?俺ここで待ってたほうがいい?それとも俺が先出たほうがいい?」
卑怯者、卑怯者、卑怯者。
そんなこと聞かれて、本音を言えるわけがない。離れたくない。
「…貴方は結局、臆病なだけなんですよ」
「…は?」
離れたくない。一秒でもそばにいたい。
「悟浄のことも僕のことも、結局は両方とも必要なかったんですよ。二兎を追う者一兎も得ず、ってヤツですよ。でもそんな間抜けなことが真実だと思いたくないから悟浄はどうのこうのでどうこうだからって勝手に理由作って安堵して自分で納得してるだけなんですよ。結局は、何かを選んで傷つくのが怖かっただけのくせに」
最後の最後まで、僕は屈折してる。
「そうかもな」
…何とまあ。
あっさり肯定されてしまった。
立つ瀬がない。後にも引けない。
「お前の言う通りかもな」
「貴方ひとりで納得するなんて卑怯です」
いつも淡々としている捲簾の目の表情が変わった。
「俺がどんな答え出したって、お前絶対納得しねえだろーが!」
「しますよ!貴方がここに居てさえくれれば!」どうしようもない阿呆はこの僕も同じだ。
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