haru
 完璧なフォルム。

 八戒にそう言われて、真っ先に自分で設計した水族館が脳裏に浮かんで、また酔った。そうか、なるほど。八戒も酔っているのだ、違いない。僕は一瞬だけそう思って、それがわかったところで何ひとつ解決などしてないことに気がついた。
 アホらしい。
「お話って、それだけですか」
 視線を落としたまま、踵を返そうとしたら呼び止められた。何も答える気力も体力も精神力もなかったので、無視して部屋を出ようとしたとき、見たくもない八戒のデスクが視界に飛び込んできた。見たくなかった。
 広げられた富雄不動産のファイルと、モニタに映った風水と家相の案内がきっちりと書き込まれている設計図。
「これ…」
「ああ、捲簾主任が営業に回ってらした仕事です」
 このとき八戒は、正確なことを僕に伝えなかった。
「どうして貴方が」
「悟浄が風水をまったく覚える気がないもので」
 答えになってない。別にどうでもいい。八戒が捲簾の仕事をしていようが、悟浄に頼まれていようが、どのみち僕の仕事じゃない。

 そのとき、重役出勤してきた捲簾と悟浄と目が合った。悟浄は、捲簾のナンバーナインのブルゾンを着ていた。双子みたいだ。胸などちっとも痛まない。  痛まない。
「あ、それ捲簾主任のブルゾンじゃないの?」
「あ、もらったの」
「へえ、似合ってる。ほんと仲いいわね、あんたたち」
 庶務の田中さんが、にこにこ笑いながら悟浄の、正確には捲簾のブルゾンに触れた。どうでもいいが、悟浄はひどい声だった。朝までふたりで飲んでいたのだろう。そして一緒に遅刻。一緒に出勤。
 さっき水族館を脳裏に浮かべた余韻が残っていたのか、吐き気がしてきた。気分が悪い。今日はもう帰ろう。
「主任、顔色が悪いですけど」
 気分が悪いんだから、顔色が良かったらおかしいだろうが。カバンを手にとろうとして空振りした。先に八戒にとられた。
「あの、僕、天蓬主任をご自宅までお送りしてきます。体調が悪いみたいなんで」
 何故か、悟浄と目が合った。悟浄は何とも言えない顔をしていた。呆れたような、悲しみとも苛立ちとも怒りともつかない、複雑な表情。一瞬だった。一瞬だったのに、そんなときに目が合うなんて僕も大概ついてない。
「おい、大丈夫かよ。お前昨日、そんな飲んでたっけ?」
 捲簾の掠れた声が、不快指数を上昇させる。この鈍感、牛、無神経男。
「八戒、お前仕事まだ残ってんだろ。俺送ってくわ」
「いえ、もう二人分こなしたばかりで、」
「いい、俺送ってく」
 このとき僕は、悟浄から目が離せなかった。
 捲簾に制されて、整った眉を下げている八戒を、瞬きもせずに見据えている悟浄を。

 僕としては、棚から転がり落ちてきたぼたもちを間一発で拾った、というところだろうか。会社を何ともスムーズに早退することができ、しかも何故か、隣には捲簾がいる。本当に、何故だ。
「あれ、貴方バイクじゃないんですか」
「アホ、お前病人だろーが」
 病人をバイクの後ろに乗せられるほど非情じゃないからか、それともあそこは悟浄の指定席だからだろうか、このときの僕は、もうどちらでもよかった。  捲簾が、隣にいる。
「助けてくれたんですか」
「あ?」
「八戒から逃げたがってる僕を」
「お前がそー思ったんだったら、そーとっとけば」
 相変わらず曖昧な男だ。知りたいことは何ひとつ正確には教えてくれない。
 そこが、たまらない。

 タクシーを拾ってくれた。捲簾は、「じゃあな」と言って会社に戻ろうとした。いつもなら、そのままひとりで帰ってた。しかし、今はもう、どうしようもなく、この男を引き止めたかった。だけど、言えない。  八戒にはなくとも、この男の前で守りたいプライドは山ほどあった。

 どうしようもないのは、この僕も同じだ。