Yuzu
 呑みたいのはこっちです。

 悟浄と別れて自分のデスクに戻ったが、現実感がまるでない。ビックリハウスから出てきた放心状態の子供みたいだ。
 何だか泣きたい。
 誰かのせいにして思いっきり泣いて倒れて朝まで寝たい。
 とにかく、朝からモヤモヤしていた事がひとつハッキリしたのは、いいことだ。が。何でこうなる。何で悟浄が僕を好きになる。他にもたくさん相手がいるだろうに、何で天蓬以外眼中にない僕なんかを。何で自分が悟浄をこんな目にあわせるんだろう。あの男に片思いなんて全然似合わない。
 悟浄は素直だから、自分の素直さが如何に貴重なものなのか分かっていない。何でも言って、何でもやって、自分をさらけ出すのを怖がらない。
 だから、天蓬が捲簾に素直に告白したりできない、その気持ちが分からない。
 言ってしまったら終わるかもしれないのに。
 あのふたりは主任で、個人的友情以外の会社的社会的に守らなければいけない関係がある。僕なら、部下なら、クビにしてしまえばいいし、下っ端同士なら取るに足らない。でもあのふたりは違う。

「ごめんな」
 会議室を出たところで、悟浄は天井に向かって言った。
「そういう、あれじゃないから、俺、別に。どうこうしてほしいとかじゃないから、なんか言い訳がましくてやだけど今のままでおまえは良くて、俺はただ」
「ええ。分かります」
「なんていうか、すっきりしたいから、おまえとは」
「ええ」

嬉しかったんです。そんなふうに言ってもらったの初めてで。
 僕も悟浄のことが好きですよ。大好きです。
 口から出そうになるのを懸命に堪えた。それを言うのは、狡い。
 悟浄は酔っぱらうとすぐ人にもたれ掛かってきて、抱きついたりキスしたりの大騒ぎだ。他の男だったらすぐさま鼻に串でも突っこんでコンガリ焼いてやるところだが、悟浄のそれは子供と変わらない明るくてあっけらかんとしたスキンシップで、好きだった。羨ましくて目が離せなかった。
 もし、もう、あれをやってくれなくなったとしたら、何て寂しいんだろう。
 それとも人生こんなものか。
 …違いますよね。悟浄。
「はーっかぁぁーいー!!」
 黄昏れる暇もなかった。まだ会議室を出て来てから10分たってない。
「晩メシ食いにいこ」
 うわあ。なんて立ち直りの早さだ。
「…食べられるんですか悟浄。昨日あんな有様で」
「何で?食えるよ?まあ酒は1杯くらいにしといて、おまえと一緒なら許されるっしょ。いこ」
 悟浄は勝手に人の机を片づけ、事も有ろうに僕の座っている椅子を蹴り上げた。
「おら上司がいねえ時くれぇとっとと帰る!このままひとりで家帰ったっておまえのこと考えて悶々するばっかだし、おまえもろくでもねえこと考えるし。メシ食って元に戻そ!」
 捲簾のブルゾンは、本当に悟浄によく似合ってた。その事が、何だか、嬉しかった。こうやって、誰にでもそっと触れることができる悟浄を、親友にもつことができて嬉しかった。もし悟浄が天蓬に、面と向かってさっき言ったようなことを言ったとしても、悟浄なら天蓬ときまずくなったりしないような気がして。
「悟浄」
「んあ?」
「好きですよ」
「ったりめーじゃん」
 ほんの一瞬、天蓬のことを忘れた。

 一瞬だけど。

 社をでる直前電話が鳴った。
「あ、わり。出る」
 悟浄が手近の受話器を取り上げる。
「…捲簾ですか?今日は出先から直帰になっておりますが、お急ぎでしょうか。…それではこちらから連絡をとりますので折り返し…」
 僕は何となく島の周りを一周し、捲簾のデスクを覗いてみた。きれいさっぱり片づいた机の上には消しゴムのカスもない。天蓬とはえらい違いだ。
「八戒、ちょい待って。捲簾捕まえなきゃいけなくなった。自宅にかけてみっから」
「自宅ですか?」
「あいつアフターファイブに携帯に会社からの電話って出ねぇんだよ。この時間なら家にいるかも」
 ほんとに仲のいいことだ。
「あーれ。いねえなあ。…しょうがねえな、なんで仕事の電話で俺が携帯料金払わなきゃなんねえのよ」
「貧乏くさいこと言わないでくださいよ」
 悟浄はさも嫌そうに携帯を引っ張り出した。
「あ、俺。今、富雄不動産から大至急で電話入って折り返せってさ金子さん宛に。いやそーゆー雰囲気じゃなかったからヘーキでしょ。なんか明日の確認とか言ってた。どこにいんのあんた」
 一瞬間があいた。
「…そう。へー。……や、別に。あんたも俺と一緒に感性磨こうぜ」
 悟浄は唐突に通話を打ちきった。
「…なんですか今のは」
「捲簾、天蓬んちに見舞いに行ってるってよ」
「へえ」
 悟浄はニヤニヤ笑いながら、ぽんと僕の肩に手を置いた。
「どーすんの?」
「は?」
「どうせ帰りに天蓬んち覗こうと思ってたっしょ?捲簾いるぜ?」
 そんなこと別に思ってません。と言う理由も別になかった。だって悟浄だ。
「…そうですね。僕ひとりなら無理だと思ってましたけど、捲簾主任がいるなら入れてくれるかも」
「ああ、そりゃ言えてる。んじゃ先に俺と腹ごしらえしよーぜ。腹が減ってはなんとやら」
 悟浄は僕をぐいぐい引っ張って会社を出た。
「なーんか面白そうだなあ、俺も行こうかなあ三角関係を見学に」
 悟浄は心底楽しそうに僕の肩をぽんぽん叩いた。
「…そんな人ごとみたいに」
「ばーか、元に戻すっつったっしょ。俺とおまえは心の友、おまえが天蓬狙い、天蓬が捲簾狙い。俺関係ないじゃん。…あ、あそこの店入ったことねーからあそこがいい!」
 ネオンを指さしながら二、三歩前に出た悟浄には、聞こえなかっただろう。
「…どうでしょうね」

 もしかしたら、まっただ中にいるかもしれませんよ悟浄。