2010年4月8日(木) 5年目検査始まる!!
入院・治療生活は既にずっと昔のことで、日々仕事に追われる生活をしていると、半年や一年はすぐに過ぎてしまう。
過ぎてみれば早いもので、手術をして5年、調べてみたら、2005.4.20だった。
そう言えば、最初に入院した日は何もすることがないので外泊許可をもらって野球を見に行ったな。どういうことだか、今年の4/20も名古屋ドームのヤクルト戦のチケットがある。プレゼントチケットの試合がたまたま4/20と、まぁ、まるで卒業祝いじゃないか。
上がった右が採血室 |
この日はCT検査。CT検査のある日は大抵血液検査も一緒にやることになっていて、放射線科でCTの受付をすると、先に採血室に行くように言われる。いつものパターンだ。驚いたことに今日は採血室には患者が全くいなかった。廊下の待合と採血室の長いすでかれこれ20人くらい待つことも良くあったのに。
今回はCTのみで、レントゲンは予約がされてなかった。手違いかと思って放射線の先生に確認してみると、CTをいつもより広い範囲で撮るのでレントゲンは撮らないことにしたのだろう、とのことだった。
ま、放射線は浴びなくて済むならそれがいいし、だいたいレントゲン写真はCTの映像に比べるとボケボケなんで、全部CTにしちゃったらどうだ、と思う。
CTの場合はTVドラマや映画に出てくるように、装置のベッドに横になって検査するので、ちょっとカッコイイのだが、胸部レントゲンは上にある棒にぶらさがる「うんてい」のような格好をして撮る。この格好は犯人降参と言うか、なんだか情けないのだ。
そうは言ってもきっとレントゲンのがCTより安いんだろうな。昔からある機械だし…
いつも通りCT撮影が終わり、検査着を着替えて本日の検査は終了。
来週の検査は内視鏡のため、穴あきパンツ♪と検査食「エニマクリン」を買って帰る。いよいよ来週は内視鏡。慣れたには慣れたが、内視鏡が腸にぶつかった時の、うぐぐ…という鈍い痛みとか、注射でふらふらする感じはイヤですねぇ…
2010年4月15日(木) 大腸内視鏡検査
待合室の呼出はモニタに切替った |
浜ちゃんは内視鏡検査が好きだ。
え? 好き?
いやいや、そういう意味じゃなくて、レントゲンやCT、超音波は簡単で楽チンで検査できるのはもちろんそれがいい。でも、ぼんやりした映像だったりしてよく見えない。その点、内視鏡はバッチリくっきり、がんあった日にゃぁ肉薄して見えるのでこれでもかッくらいの検査ができるところが好きなのです。
大腸内視鏡検査は腸をすっからかんにしないといけない。食事制限の上、下剤2リットルを飲んでおなかペコペコになる… のが普通なのに、意外にもペコペコにならずに済んでしまった。これは調子が良いのか悪いのか?
前日から食事制限して、検査当日の午前中はひたすら下剤を飲みながらウンコしまくり。おかげでスッキリしました。
あの、ニフレックという下剤はいいんですけどねぇ。
ポカリの味が嫌って言われますが、ほとんど苦しくないまま、じゃじゃ〜っとたまってるものが出てくれます。
便秘対策もいろんなのがありますが、もぉ、ニフレックならどんなガンコなヤツでもツルン♪ですよ。
で、手術後間もない頃に、ニフレックを家でも使いたいから、処方箋出してくれって、主治医の先生にも掛け合ってみたけど、ダメでした。
内視鏡検査の結果は来週ですが、検査医の先生は大丈夫でしょう、とのこと。
モニターを眺めていたら、「ありゃ?」ってのが何回か映像に映ったような気がしたけど、まぁ、先生が言うんだからそういうことでしょう。
食事制限と下剤のおかげで、検査が終わった後はお腹がペコペコ。
お腹がすきすぎたのか、前日の晩はあまり食欲ないまま、疲れて早く寝てしまったが、今日はなんだか、いくら食べてもなんか腹へったなぁー。
お昼に定食を食べた時に店のおばちゃんに特別におにぎり作ってもらいました♪
2010年4月22日(木) 卒業試験!!
「卒業」は桜の季節♪ |
今日は検査結果の説明がある診察の日です。
直腸切除の手術をしたのが、2005.4.20なので、今日でまるっと5年と2日経過ってことです。ちなみに、一昨日はナゴヤドームで叫んでました。
大腸がんは5年経過までがひとつのゴールで、前回の診察の時にも先生が「次は卒業試験だ」と言ってました。するってーと、今日は桜はハラハラと舞う、温かい陽気で、快晴の青空、検査OKの診察に晴れがましい気分…のはずで、昨日はまさにそんな日でした。昨日は…。
今日は全国的に雨だわ、寒いわ、2月の天気だとさ。
予約の10:00ちょうどに病院に到着、手続きをして待合室をウロウロすると、そこに張り紙… が、たくさんある。
見るとそこには、「ひらい先生は急用のため休診」とな。
なんだってぇ〜?
天気が暗示してたかのようなオチがあったりして、お茶目さん♪
看護師さんが浜ちゃんの名前を呼ぶので聞いてみると、「まぁ、そんな事情なんだけど、どうする?」という話でした。「代診」ということでこもり先生から栄えある検査結果を聞くことになったのでした。
結果は予定通り「問題ありません」 よかった♪よかった♪
ひらい先生の診察の準備に、体調の状況だとか、今後の検査(人間ドックとか…)のこととか、聞いておきたいこと、先生に5年間診てくれてありがとうのメッセージとかを整理しておいた紙を渡しながら話をした。
その1項目
1〜2ヶ月くらい前から食道がムカムカすることがある
…食べ過ぎ、胃の不調か?
何の気なく書いておいたこの1行がヒット!
検査しましょう♪ とトントン拍子に話がまとまり、5月に胃カメラすることになりました。 おいおい!なんとスムーズは運びだ。
今後の定期検査の予定も、胃カメラの検査結果が出たときに、相談しましょう。
ひらい先生とも相談しておいてくれるそーな。
これは新たなるステージか?
チューリップ花壇のラポール |
ランチのコース、なかなか良い♪ |
帰り道、5年経過のお祝いにランチに行きました。
「ラポール」
初めて入ったのは、車で通りから見ていいカンジだなぁと思ったから。後から知ったけど、そこは結婚式場だった。そりゃぁどおりで雰囲気あるわけだ。 今回は2回目。
予約を入れておいた訳でもないのに、車を駐車場に入れたら、店から傘を持ったお姉さんがお出迎えをしてくれた。エントランスの道のチューリップは花が開いて雨が当たってきれいだった。
初めて入った時は、フロアの中央にイベリコ豚の生ハムをその場でスライスして出してくれた。イベリコ豚の生ハムってきっと食べたことはあるんだろうけど、これがそうだとは思ってもいなかった。
イベリコ豚おいしかったなぁ〜♪ と思って期待していたけど、残念、あれはあの時だけだったのだそうでした。
家に帰ると、ビッツ♪さんから「卒業祝い」が届いていた。
ん〜〜
卒業したような、留年したような、4年生大学だと思ってたら大学院だった、みたいな感じです。今日で合格、卒業なんだけど、卒業式できなかったような気分です。
mixiを通して「がん仲間」ができたりして、こうしてお祝いなんかをもらえたりするコミュニケーションがあります。プレゼントそのものはもちろん嬉しいですが、ともに共通のテーマを持っていてお互い支え合える関係ができて、応援している自分が応援してもらっている、支えあってるんだなと思います。
2010年5月27日(木) 胃・カ・メ・ラ
花壇がきれいです |
がんセンターの検査室のドアには「上部内視鏡」と書かれている。 一般的には「胃カメラ」というのに。
その理由はフロアの反対側に「下部内視鏡」とあるので簡単にわかる。内視鏡を上、つまり口から入れて食道と胃を見る検査と、下つまり肛門から入れて腸を見る検査なわけ。「胃カメラ」は良いが「尻カメラ」はなかなか口にはしにくい言葉ですもんね。
検査着に着替えるとすぐに呼ばれて、検査室で待つ。
下部内視鏡の場合は午前中いっぱいかけて下剤でうんこを総排出する前処理があるので、なかなか始まらない印象なのに、今日はあっと言う間に検査がスタートした。麻酔の入ったゼリーを喉の奥に含んで、痺れて来た頃に検査室へ。
検査台に乗って横になると、まぶしく光る内視鏡の先端があっという間に喉へ…
オエッ
やっぱり来ます。
その後も奥へチューブを動かすたびに オエッ と来る。大きな息をして、ヨダレをダラダラと流すのがコツらしい。5年前にした検査の時よりは大分楽だった。
今回はモニタが背中側に置いてあったので、映像を見ながらの検査にはならなかったが、検査後に先生が撮った映像を見せてもらいながら「たぶん、大丈夫でしょう、慢性胃炎の感じがある」という話を聞かせてもらった。
食道は全般には鮮やかな赤で、食道から見下ろす胃は、形状のためだろう、少し影になったように見えて、赤黒い感じがした。
2010年6月3日(水) 胃カメラの検査結果は聞くまでもなかった
待合室はごった返していた |
検査の時に大丈夫でしょうということだった、検査結果を聞きにというより、確認して、ひらい先生の検査予約をしに行くようなものだった。
さてさて、今日のがんセンター。
水曜日の診察は初めてで、様子を知らなかったが、すごく混雑してます。待合のフロアにどこからか椅子が持ち込まれてました!
今日は待たされるなぁ、と思って入って行くと、掲示板に張り紙が出ている。今日はひらい先生の日じゃないよな…
なんと、今度は伊藤先生の体調不良(医者の不養生?)で、小森先生が代診するとか。小森先生は先生自身の受け持ち患者がいるのに、代診と掛け持ちをしてるらしい。小森先生大丈夫か?
小森先生は今日も代診! |
張り紙には1時間遅れと書いてありながら、1時間も待たずに呼んでもらえた。
浜ちゃんの場合、ちょっと話をするだけだから、早く片付けてしまえ、ということだったんだろうか。
検査結果はやはり問題なし。
1年後の予約をして終わり。ハイ3分間診療といった感じでした。
診察室を出て、何かすっきりしない気分がして、しばらく待合に座って考えてみた。
1年後の予定は、血液検査で腫瘍マーカーを見て、その結果を診察で聞くだけ。
そんなんでええのか?
1年間あけてるのに、そんなんでええのか?
良いのかもしれない。5年経過して再発の兆候はぜんぜんなかった。統計的に再発の可能性は年々下がってゆくのも分かっているのだから、5年間再発しなかったのなら再発の可能性はほぼないものということだろう。
1年あけて、せっかく検査をするのに、腫瘍マーカーだけってどうよ?
腫瘍マーカーはもともとそれ程高い精度のものではないし、市中の病院で採血・検査しても同じこと、がんセンターでなくてもできること。
う〜ん。
1年空けての検査ならきちんとやりたい、という意向を最初から診察の時に話せばよかった。
今まで「がんの後輩」たちに、相談したいことや希望をメモにまとめて診察の時に要領よく主治医に伝えるようにした方が良い、そう何度も伝えてきたのに、今日は肝心のことが話せなかった…
代診を掛け持ちしている小森先生に、もう一度診察をというのは厳しいだろう。
そう考えて、相談ごとをメモに書いて、看護師さんに託してみた。
その結果は早々と返って来たが、「詳しい検査をするかどうかは、腫瘍マーカーの結果を見てから決めましょう」とのこと。
どうなんだろう。
もう事は決まってしまったが、腫瘍マーカーはきっとシロだろう。そうだったらCTや内視鏡の検査をしましょう、ということにはならないはず。
せっかくの検査なので、CTや内視鏡でキッチリと検査しておきたいのが想いなのだけど…
どんな精密な検査をしたって、病気がなければ何も見つかるわけはない。
でも腫瘍マーカーの結果で「安心」になるんだろうか。
それは、医学的なことよりも、自分の気持ちしだいなのかも知れない。
今日は朝から号外が配られるビッグニュースが流れた。
昨年夏に民主党政権になって、何ヶ月かの今日、鳩山首相が辞任を発表したのだ。
きのこ日記とは関係ない話のように見えるが、浜ちゃんにはこのニュースは今日ががん治療のひとつの終止符なんだな、と感じさせるニュースだった。
大ニュースとともに |
浜ちゃんが入院していた2005年はJR福知山線尼崎脱線事故で病室のテレビは延々と事故の中継をしていた。どの病室のどのテレビも朝から晩まで、新聞も、みんな事故の状況を報道している。
ひどい事故で、JRの車輌がカーブで脱線し、正面のマンションに突っ込む事故だった。電車が脱線する事故があっても、マンションに突っ込むなんて他にあるんだろうか?
浜ちゃんの手術は4月20日、回復してリハビリに病院内を毎日歩き回っていた25日の朝のことだった。
浜ちゃんはリハビリに専念していて、このニュースに特別な想いがあったわけではないが、鮮明な記憶に残っている。
そして鳩山首相辞職。
どちらのニュースも年間トップニュースだろう。
2010年5月30日(日) 白山スーパー林道ウォーク
白山スーパー林道 きれいです |
何かのテレビ番組で紹介を見たのをきっかけに、白山スーパー林道で1年の間で2日間だけ、林道を歩行者天国にして、林道沿いの滝や谷間の川を見ながら歩くという「白山スーパー林道ウォーク」に参加しました。
下痢・便秘とお付き合いしながらですが、健康のありがたさを感じながら、澄んだ気持ちのいい空気の中を絶景を見ながら歩くのは楽しかったです。
※きのこ日記は時系列に書いてきましたが、この記事のみ逆転してます。
2010年6月6日(日) きのこ日記 〜終わり〜
きのこ日記は今後も継続して更新しますが、今後は1年おきの経過観察になり更新は年に一度になります。長きに渡って読んで下さりありがとうございました。
「がん」は人間がDNAをコピーしながら細胞分裂を繰り返すことで生命維持する仕組みであるがゆえに起きる病気で、治療方法こそ改善されても、なくなりはしないのではないかと思います。
この病気に関わることで、今まで見えなかった、感じなかったことが見えたり、知らないで済んでいたことを知らざるを得なくなったこともありました。
「大変なこと」と同じくらい、「良いこと」もあったように思います。
このきのこ日記を最初から最後まで読まれた奇特な方は、おそらく、何らかの形でこの病気に関わったのだと思います。きのこ日記を読んでくださって、メールを送ってくれる方もあり、「こんなに前向きな人もいることを知り、勇気付けられた」と言った内容のメッセージを頂きます。
「がん」は確かにショッキングな病気です。
それでも、「がん」という病名や治療にまつわる色々なことに負けているわけには行きません。いえ「勝つ」とか「負ける」の言って「戦う」必要はありません。
病気を受け入れ、病気を知り、可能なことに取り組む、そうすることが一番自分らしいのだと思います。
浜ちゃんの場合は幸いにして、5年を経過し「完治」までたどり着くことができましたが、仮にそうはならなかったとしても、自分の納得の行くように、できることをしっかりとやれたという意味では非常に良かったと思います。
今、「完治」というゴールテープを切ることができたのは、主治医のひらい先生や看護師の皆さんのおかげであることは言うまでもありませんが、ネット上で知り合った多くの人たち、理解ある会社の同僚、とりわけ家族、晴ちゃんには本当によく支えてもらったと思います。
ありがとう。
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