J.1.0.4
History of Bulldozers

建設機械の歴史: 過去から未来へ

  • 日本ブルドーザ史

    日本におけるブルドーザの歴史を辿ります。
    本体のトラクタイプ(クローラ式)トラクタはもちろん、派生型のトラックローダ、排土板装着の他機種(グレーダ等)も参考に記載します。
    また、画期となる関連機種・技術の欧米における開発時期とイベントを黄色で示します。
    軍関係のものは、表示にしています。

    トラクタは陸軍の砲牽引用に試験輸入されたのが最初で、ホルト5t(T-11)を大正8年に正式採用しました。 国産化は大正12年に陸軍砲兵工廠での3t牽引車の試作が最初です。
    民間では、昭和6年に小松製作所が農業用ガソリントラクタG20(2t)を試作しています。
    建設関係では、戦前の満州にトラクタやブルドーザが輸入され、米国式機械化施工に取組んでいます。 内地でも鉄道省が昭和16年にCat D7を輸入して、その威力に驚嘆しますが、間もなく開戦になってしまいます。
    開戦後の熾烈な制空争奪戦において、米国の飛行場建設の機械化施工に圧倒されます。 そこで、ブルドーザ等の緊急開発に取組み、昭和18年1月に本邦初の一型均土機を完成させます。

自走式に改良された農業用可搬蒸気機関(Clayton & Shuttle社製) :蒸気機関の歴史
  • 1859年(安政5年) 農業用移動式蒸気機関(Clayton & Shuttle-worth商会製)を T.Avelingが減速機を付け、チェイン駆動で自走式に改良、62〜63年にClayton & Shuttle-worth商会が製品化
世界初のクローラ車の製造 :G.Minnis 1869 :トラクタの歴史
  • 1869年(明治2年) クローラ(Tracked Vehicles)の最古の実機写真 :George Minnis
    クローラは、19世紀末迄に100以上の特許が出され、実機製作の記録もある。
  • 1877年(明治10年) グレーダ特許、現代グレーダの予告 :American Champion
  • 1885年(明治18年) 可変リーニング車輪を備えた牽引式グレーダをアダムスが発明 :J.D.Adams
20hp Hornsby Oil Tractor 1896年 :トラクタ歴史
  • 1896年(明治29年) 内燃機関をトラクタにホーンズビ・アクロイド社が初搭載、1897年にオーストラリアに3台輸出 :Hornsby-Akroyd社
  • 1900〜15年(明治33年〜大正4年) 初の実用クローラ車を200台生産 :Lombard Log Hauler
  • 1901年(明治34年) 初の蒸気機関トラックタイプ(T.T.)トラクタの開発 :A.O.Lombard
ホルト社のクローラ・トラクタ Holt crawler tractor 1904 :トラクタの歴史
  • 1904年(明治37年) Holt社が round-wheel Holt Engine No.77 の車輪をクローラに転換、後にキャタピラ(芋虫)と命名し、社名にする。
本格的なクローラ車 Full Track-Laying Vehicle:D.Roberts 1904 :トラクタの歴史
  • 1904年(明治37年) 補助前輪なしのクローラ車(Full Track-Laying Vehicle)をロバーツが開発 :D.Roberts(英)
初の内燃機関トラック・トラクタ Holt 40 :トラクタの歴史
  • 1908年(明治41年) 初の内燃機関 トラックタイプ・トラクタをホルト社が開発 :B.Holt Holt 40 No.1003

  • 大正(1912〜1926)
    • 大正6年 陸軍が馬匹に代わる砲牽引用トラクタとしてFWD社の4輪駆動車を試験輸入し、青山で実用試験を実施ホルト5t牽引車 1919
    • 大正7年6・7月 陸軍が牽引用トラクタとして、FWDとホルト45、ベスト40HPの比較試験を実施
    • 大正8年 陸軍が牽引用トラクタとして、ホルト5t(T-11)を採用

    • 1919年(大正8年) 初のモータグレーダをアリスチャルマが開発 :Allis-Chalmers Model 6-12 "Motor Hi-Way Patrol"
      初のモータグレーダ Allis-Chalmers 6-12 "Motor Hi-Way Patrol":1919

      大正10年頃〜昭和初期 各地で労働力不足と相まって、機械化施工が浸透・普及する
    • 1923年(大正12年) 排土板をトラクタに装着して、初のブルドーザをLaPlant-Choateが製作、スキッド式でコントローラはない。
      初の排土板 Chate 1923 :ブルドーザの歴史:
    • 大正12年9月 関東大震災震災復興でのクローラトラクタ(牽引車)大正13年 :建設機械史
    • 大正12年9月 帝都復興院を設置し、帝都復興を図る。 帝都復興事業は、昭和5年までの継続事業として土地区画整理の他、街路・運河・公園等を整備、これらの工事に大々的に最新の建設機械を導入した。 そのなかにトラクタ(写真)を含んでいた。Railway grading by spreader :建設機械史
    • 大正12年11月 台湾/嘉南大シュウ・烏山頭ダム工事用機械群を輸入、東洋一のアースダムと灌漑施設の建設工事(技師:八田與一)を本格的な機械化施工で築造
      掘削・積込はスチームショベルとドラグライン、運搬は56t機関車牽引トロ、敷均・排土に機関車連結の排土板を装備したスプレッダ(メーカ不詳)を使用
    • 陸軍3t牽引車 1923大正12年10月 ホルト5tが製造中止となったため、我が国初の装軌式車両(50hp 3t 牽引車)を陸軍砲兵工廠で試作、一部を部隊配備
    • 1925年(大正14年) ベスト社とホルト社が合併し、CAT社を設立

  • 昭和初期(1926〜1934)

    大正時代から農林省は農業機械化に努力し、開墾、冷害対策床締めや溜池築造用に米製トラクタと付属農具を輸入して農用機械管理所に保管し、各府県や民間団体に貸与していた。 ところが、昭和初期の国際収支改善のため、機械類の輸入抑制が行われ、国産化が必要とされた。
    そこで、機械管理所のトラクタ等の修理を行っていた小松製作所にトラクタの国産化が要請された。

    • 昭和2年3月 金融恐慌始まる
    • 1928年(昭和3年) トラクタ用ケーブル・コントローラPCUをLeTourneauが開発、CAT SixtyとBest60に装着してケーブル式ブルドーザを開発
      LeTouneau PCU装着のCAT Sixty :ブルドーザ史 1928
    • 1920年代末 油圧ブレードをEuclid Crane & Hoist Co.が生産
      Euclid Crane & Hoistの油圧ブレード :ブルドーザ史 1920s
    • 1928年(昭和3年、1931?) 初の空気タイヤ・モータグレーダをキャタピラー社が開発 :Caterpillar No.10 "Auto Patrol"
      初のタイヤ装備モータグレーダ Cat No.10 "Auto Patrol" :グレーダの歴史
    • 昭和3年 東京市内道路工事にモータグレーダを初使用
    • 1929年(昭和4年)10月 ニューヨーク株式大暴落、世界大恐慌始まる
    • 1931年(昭和6年) ディーゼルT.T.トラクタの開発:Caterpillar Diesel 60
      ディーゼルトラクタ CAT Disel 60 :トラクタの歴史
    • 1931年(昭和3年) ルータ(牽引式リッパ)を開発 :R.G.LeTourneau
      LeTouneau ルータ :ブルドーザ史 1931
    • 昭和6年9月〜8年5月 満州事変
    • 昭和6年10月 小松製作所は、農林省農用機械管理所(川口市)所有のCAT社2tガソリントラクタを参考として、前年夏から研究を開始し、農業用ガソリントラクタG20(2t)を試作した。 エンジンは、石川島自動車製作所の1.5tトラック用を使い、これにガバナを取付けた。試作機は埼玉県膝折ゴルフ場造成でテストを行ったが、オーバヒートして失敗作となった。
    • 昭和6年11月 不況対策として失業救済事業を内務省が正式決定。 失業対策として道路整備に直轄事業を初採用陸軍九二式 8t 牽引車 1932陸軍九二式 5t 牽引車 1931
    • 昭和6年11月 陸軍が九二式 5t 牽引車(イケ)甲(ガソリン)を開発、石川島自動車製
    • 昭和7年1月 陸軍が九二式 8t 牽引車(ニク)甲(水冷6気筒ガソリン)を東京瓦斯電気工業に試作を依頼して完成
    • 昭和7年3月 満州国建国
      コマツ G25 :ブルドーザ史 1931 小松 G25の構造図
    • 昭和7年12月 小松は農業用ガソリントラクタG20の失敗に懲りず、自社開発のエンジンを搭載して、試作2号機のG25(2t)を開発、陸軍省軍馬補充部と宮城県に納入、18年までに238台を製造した。
    • 昭和7年 札幌市内の街路除雪に米製トラクタを初試用

      昭和初期、大恐慌による失業匡救事業と公共事業が活発化し、建設技術が大いに発達する。 しかし、雇用確保のため機械使用を禁止、機械化は中断する。
      昭和6・7年頃よりの戦時体制(満州事変・支那事変・太平洋戦争)で、時局匡救事業も9年までで打切られる。 公共事業は不急不要事業として凋落期に、建設機械化も終焉
      米国は、ニューディール政策により建設の機械化が躍進する。 このため、彼我の差は20〜30年となった)

    • 1933年(昭和8年) 米TVA地域開発計画が発足
    • 1933年(昭和8年) ブルドーザ、アングルドーザの特許を取得 :R.G.LeTourneau
    • 昭和8〜11年 満州国国道局が新京吉林国道工事で米国式機械化施工に取組む、ブルドーザ、モータグレーダ、エレベーチンググレーダ、セルフローディングスクレーパ、油圧ボトムスクレーパ、ロードリッ等を輸入。 しかし、低廉な人力施工(山東苦力)より高くつき、普及に至らなかった。陸軍九四式 4t 牽引車ヨケ 1934

    • 昭和9年 陸軍が九四式 4t 牽引車(ヨケ)を開発

  • 昭和10年代(1935〜1945.8)小松 農業用トラクタ G40 :産業技術史 1935
    • 昭和10年 小松製作所が農業用ガソリントラクタG40(4.6t、50PS)を開発。 前年から陸軍軍馬補充部の牧草地開墾用に大型トラクタの需要があり、満州開拓においても需要増大が見込まれたため、Best30型をモデルに開発した。 軍用牽引車にも使われ、終戦までに421台を製造した。九五式13t牽引車(ホフ) 1935
    • 昭和10年 陸軍が九二式 5t(イケ)牽引車のディーゼル仕様()を開発、東京自動車(旧石川島自動車)製
    • 昭和10年 陸軍が九五式 13t 牽引車(ホフ、水冷直列6気筒ガソリン)甲を開発
    • 昭和10年 満州チチハル建設処にCATモータグレーダ導入

    • 昭和11年2月 2.26事件勃発
    • 昭和11年8月 九二式 8t 牽引車(ニク)乙用の水冷直列6気筒ディーゼルエンジン120HPを新潟鉄工が開発し、ディーゼル化

    • 昭和12年5月 満鉄農事試験場(公主嶺)でトラクタ実働競演会を開催、満鉄農事試験場トラクタ実働競演会に参加したG25、G40 :産業技術史 1937小松はG25とG40を派遣、他の参加車はCAT RD4を始め米、独、英、ソ連、瑞典の機種が参加した。 G40の性能は良かったが、ディーゼル車と比較して燃料費がコスト高で、不採用となる。 このため小松はディーゼルエンジンの研究を促進させ、翌年のD35の開発に繋げる。豊満ダム CAT RD4
    • 昭和12年7月〜 日中戦争の発端となる蘆溝橋事件
    • 昭和12年〜 豊満ダム工事(満州:松花江第一発電所)にCAT RD4等を導入

    • 九八式4t牽引車(シケ) 1938昭和13年1月 陸軍が九八式 4t 牽引車(シケ)を開発、九四式 4t 牽引車(ヨケ)の欠点を改良し、エンジンは同じだが、パワートレインと懸架装置を改修した。 製造は石川島自動車製作所
    • 昭和13年5月 陸軍の九五式 13t 牽引車(ホフ)を東京瓦斯電気工業がディーゼル化した(水冷6気筒、140PS)を開発小松トラクタ D35 :産業技術史 1938
    • 昭和13年10月 小松がCAT RD4をモデルとして、国産初のディーゼルトラクタD35(4.2t)を試作、満州拓殖公社の要望に応え量産を計画したが、満州開拓計画が杜撰であったため、僅か7台を送っただけで、15〜17年に47台を製造したに止まった。

    • 小松 ロケ車(6t 牽引車) :軍用車輌昭和14年2月 小松は、陸軍設計の九八式 6t 牽引車(ロケ車)の試作に着手、16年1月に試作完了、優秀なため16〜18年に149台を納入し、排土板装着車も納入している。 しかしブルドーザ生産に注力するため18年で生産を中止した。
    • 昭和14年5月 ノモハン事件
    • 1939年9月〜 独軍ポーランド侵攻、第2次世界大戦勃発
    • 昭和14年 満州交通部黒河工程処で黒河、北安、孫呉、嫩江、訥河の各飛行場工事の機械化施工を開始、トラクタは3台投入

    • 昭和15年9月 日独伊三国同盟成立
    • 昭和15年9月 陸軍技術本部が北満湿地帯での戦車用軍用道路建設を目的としてブルドーザ(道路用率引車と仮称)の設計を小松製作所に依頼する。 満州・朝鮮で使用中のキャタピラー社製ブルドーザを参考に16年9月に大略の図面を完成するが、同年12月の太平洋戦争勃発で、対ソ戦の機材が不要となりお蔵入りしてしまう。 18年3月にトイ車として復活試作、生産が始まる。
    • 昭和15年末 久保田鉄工所が九二式八屯牽引車の製作開始、16年から生産開始

    • 昭和16年 鉄道省がCAT D7を輸入、信濃川発電所2期工事 浅ヶ原調整池土堰堤工事に投入し、その絶大な威力に関係者は驚嘆した。


    • 昭和16年12月〜20年8月 太平洋戦争
      昭和17年5月 海軍が占領したウェーキ島で、戦利品のブルドーザ、キャリオールスクレーパ、パワーショベル、モータグレーダ等を我が軍の飛行場設営隊が初めて目にするも用途が判らず放置。 捕虜の申し出により操縦させると数日で造成を完了、その性能に驚愕して海軍施設本部に報告、直ちに調査技師が急派され、一部を日本に持ち帰る。

    • 昭和17年初旬 関東軍63部隊で92式8屯牽引車をベースにブルドーザ(大連機械)、トウドグレーダ(満州三菱機器)、ロードリッパ(満州神鋼)、集材機(満州工廠)等を試作開始
      • 昭和17年冬 試作機完成
      • 昭和18年2月 満州は凍結しているので、南京郊外に輸送して実地試験
    • 昭和17年8月 ガタルカナル、ニューギニアでの米海軍設営隊:Construction Battalions(C.B's→Sea Bees:海蜂隊)の機械化施工による航空基地建設能力に陸軍は驚き、急遽、ソロモン諸島で従軍するSee BeesのD4ブルドーザ :軍事史この懸隔を埋めるべく、東條陸軍大臣が「米軍は一週間で飛行場を設定している。日本軍は三日でこれを設定するよう研究せよ」と命じる。
      • 8月下旬から2週間余、柏飛行場において研究試験、主に抜根を研究
      • 9月 大日本航空技術協会に「第14部会第3分科会」を設置、重土工機械の研究に着手
      • 11月「作戦飛行場ノ急速設定要領二関スル件」を定め、設定装備を決定し、その開発・生産に着手することとした。
      • 12月 航空本部が小松製作所と久保田鉄工に排土車(ブルドーザ)の試作を指示
    • 昭和17〜18年 海軍飛行場の急速設営の研究実験を茂原、厚木、神ノ池、藤沢、沼津で実施

    • 海軍 一型均土機(ブルドーザ) 初期型(小松G40に排土板装着) :建設機械史 1943昭和18年1月 本邦初のブルドーザとなる海軍発注の一型均土機(5.5t)を開発、 トラクタはG40を流用し、油圧ブレードを新たに設計(設計:山本房生)した。 油圧ブレード装置の製造は日本開発機製造に依頼、組立を粟津工場で行い、終戦までに148台を生産した。 最初の6輌はアッツ島に送られたが、到着前にアッツ島が玉砕したため、行方不明となる。
      ワクデ島飛行場築城に使われるトラクタ牽引グレーダ :軍事史 1943
    • 昭和18年2月 海軍103設営隊が鹵獲建設機械による機械化施工で、ワクデ島飛行場を築城
    • 昭和18年2月 陸軍が「飛行場設定練習部」を豊橋に創設、初代部長は築城本部長秋山徳三郎中将が兼任、練習隊長松田五四三中佐
      • 同月、旭川で雪上車・除雪車を使用して研究演習
      • 初夏に芦原で鹵獲機械の排土車(ブルドーザ)・削土機(キャリオール)による実用試験
      • 続いて夏の樺太で搭路研究演習に国産試作機を投入
      • 10月の伊那研究演習では排土車8台、削土機3台を使用、国産器材の生産も軌道に乗りつつあったが、故障が多く試作機の域を脱せず。
    • 昭和18年3月 金剛製作所が12yd3キャリオールスクレーパを製作。 しかし、これを牽引できるD7級トラクタはわが国にはなかった(泣笑)。 その後4m3級を製作陸軍 ブルドーザ(トイ車) :建設機械史 1943
    • 昭和18年3月 小松は、陸軍発注(17年12月)のブルドーザを前述(15年9月)のブルドーザ図面を基に、ロケ車の足回りを流用して、トイ車(11.5t)を試作(設計:山本房生)、翌月から翌年まで80台を生産した。
    • 昭和18年6月 陸軍が飛行場設定隊甲を4隊創設。 3個中隊編成(648名)、装備はブルドーザ5台、牽引車15台、トラック40台等。 乙編成は、基幹要員147名、軍属約1,000名、装備は牽引車2台、トラック15台
    • 昭和18年下期 海軍が機械化設営隊を前線に派遣
    • 昭和18年10月 陸軍がニューギニアに飛行場設定隊甲4隊、乙10隊の派遣を発令
    • 昭和18年 鉄道院は新丹那トンネル工事の中止に伴い、トンネル技術の保全と機械化土工の研究・実験・実用化の目的で三島に熱海地方施設部土木機械実験場と鉄道教習所操機土木科を設置。 トラクタの教育の他、軍用牽引車改造ブル等の試作研究を行った。

    • 陸軍ブルドーザ(トロ車) :建設機械史 1944昭和19年5月 初めて最初からからブルドーザとして設計した、小松トロ車(6t)を試作(1台のみ)、陸軍発注で統制型空冷ディーゼルエンジンを搭載、戦後のD50の原型となる。
    • 久保田鉄工は、陸軍ハケ8t牽引車を利用作成。 羽田精機は、トラクタから新型を製作。 陸軍の6m3キャリオールを宮原製作所、帝国車両、日立製作所で作製。
    • 昭和19年5月 日立製作所が排土車(ブルドーザ)15台を軍需省に納車海軍 押均機(鐘淵デイゼル工業製ブルドーザ) :建設機械史 1944
    • この頃の海軍用トラクタは、久保田鉄工所が九十二式8t牽引に車鋼索排土板を装着した排土車(ブルドーザ)を50両程生産、鐘淵ディゼル(日産ディーゼルの前身)のブルドーザは右写真、その他に羽田精機、加藤製作所、夕張製作所、豊田が製作している。
    • 昭和19年 北満の建設機械を南満中央部に移動、最大規模の機械化部隊は東豊飛行場群建設に投入。 哈爾浜大連間高速度自動車道路の遼陽付近機械化施工部隊はトラクタ、スクレーパ、エレベーティンググレーダ、牽引グレーダ等を装備

    • 昭和20年2月 小松が統制型V8エンジンを搭載したトヘ車を試作陸軍試作G25ブルドーザ
    • 小松は14t排土車の試作にも取掛かるが未完
    • G25ブルドーザを小松が試作、グライダ空輸用に軽量化を狙ったが、実用化に至らず。(時期不明)

      昭和17年後半の米軍反攻後、航空基地急造の必要性を痛感し、建設機械の模倣による緊急開発を図ったが、見かけは兎も角、その性能差を克服できなかった。
      それでも、飛行場設営隊の緊急増設と機械化を図り、18年後半から前線へ続々と派遣するが、その装備の多くは敵潜の跳梁により海没し、戦力化を果たせなかった。

  • 戦後:昭和20年代(1945.8〜1954)
    • 昭和20年11月 戦災復興院の設置
    • 昭和20年11月 入間飛行場工事に米第8軍第5航空隊と第43技術建設大隊の所有建設機械を使用
    • 昭和20年11月 戦後最初の機械化は農林省、食糧増産のために緊急開拓155万町歩機械化開墾(6000台)に乗り出す。 払下げのD6, D7, TD14, HD18の他、特殊物件(旧陸海軍手持ち)のトラクタを活用。 そして、小松、新潟鉄工、羽田精機、久保田鉄工、鐘淵ディゼル、三菱重工、加藤製作所池貝自動車が国産化に乗出す。戦車改造ブルドーザ (九七式中戦車:チハ車) :建設機械史 1945
    • 昭和20年12月 九七式中戦車(チハ車の砲塔を外し、排土板を装着した(更正戦車)ブルドーザを三菱重工等で製作開始

    • 昭和21年 特殊物件土木機械を一般に放出
    • 昭和21年12月 南海大地震
    • 三菱TAA3 :農業機械史 1946昭和21・22年 三菱重工が 3t トラクタTAA3型を200台以上生産
    • 昭和21〜26年 山王海ダム工事
      東洋一のアースダムとして着工し、戦後初期の機械化施工となる。 当初、緊急開拓用に軍用牽引車改造ブルを使用していたが、22年以降に放出された米軍払下げブルを使用
    • 1947年 トルコン駆動の大型トラクタを開発:Allis-Chalmers HD-19
      初のトルコン装備トラクタ Allis-Chalmers HD-19(プッシュドーザ) :トラクタの歴史 1947
    • 鉄道院に払下げられたD7 :建設機械史 1947昭和22年4月 米軍がCAT D7等の建機の払下げを開始、ブルドーザは内務省が12台、鉄道院が15台等を購入。
    • 昭和22年5月 ブルドーザ工事(株)が大阪で発足
    • 昭和22年7月 ブラウン旋風のため機械化開墾計画は中止昭和22年 カスリン台風 利根川決壊復旧工事 :機械土工史 1947
    • 昭和22年9月 カスリーン台風により関東地方が大水害、利根川が栗橋で決壊、東京都東部低地水没
      復旧工事中の写真右は、河川土工の伝統的な軽便軌条の土工機関車牽引トロ、敷均はD7、人の群れはタコで締固め作業中小倉製鋼 KTA70 :建設機械史 1947
    • 昭和22年10月 小倉製鋼所がブルドーザKTA70を開発

    • 昭和22年12月 内務省解体
    • 小松 D50 :建設機械史 1947昭和22年12月 小松がブルドーザD50の1号機を完成し、日本建設工業会へ納入。 23年に14台を製造するも故障続出、抜本的改良を加えて24年から粟津工場で一貫生産を始める。
    • 昭和22年 京浜国道改修工事に米軍貸与のブルドー等を駆使する

    • 昭和23年 小倉製鋼がブルドーザKTC14t を開発

    • 昭和24年1月 三菱日本重工がブルドーザBBU(9t)を製作開始、建設省に納入国鉄機械化土工「発祥の地」碑
    • 昭和24年11月 国鉄が東京操機工事事務所を設立。 総裁直属として全国の施工機械を集中し、機械化施工部隊を統括的に機動運用、三島・横浜に操機区を置き、国鉄の機械化施工のパイオニアとする。(昭和39年迄運用)

    • 昭和25年1月 三菱重工が財閥解体令により、3社(東日本重工、中日本重工、西日本重工)に分割
    • 小松D50モビローダ :建設機械史 1950昭和25年3月 初のトラクタローダ小松D50モビローダ。 積込はオーバヘッド式で、油圧モータでウィンチを回すケーブル式バケット制御
    • 昭和25年4月現在、建設省直轄建設機械は、ブル225台、スクレーパ63台、パワーショベル70台、ドラ46台、タワーエキスカ7台、ラダーエキスカ69台、ローラ208台、ダンプ99台等小松 D80 :ブルドーザ史 1950
    • 昭和25年6月〜28年7月 朝鮮戦争勃発
    • 昭和25年6月 建設省建設機械課発足
    • 昭和25年11月 小松がD80の生産開始

    • 昭和26年 経済安定本部が26年度予算編成にあたり「建設機械化3ヶ年計画」を策定
    • 昭和26年3月 三菱BF1号機
    • 昭和26年4月 マッカーサ軍司令官解任
    • 昭和26年5月 小松がD30の生産開始
    • 昭和26年5月〜29年10月 国鉄信濃川水力発電・小千谷発電所調整池土堰堤工事(山本調整池): 戦後初の大規模機械化土工、施工:東京操機工事事務所
      投入ブルドーザ(D8, D7等)×20、ローラ×11(シープスフートローラは旧陸軍98式6t牽引車(ロケ車)で牽引)


    • 昭和26年9月〜29年6月 丸山ダム工事: 堤高98.2m、堤長260m
      戦時中断していた工事を関電が再開、間組が機械化施工を導入、
      骨材採取にブルドーザ(東日本、小松、CAT)×5、キャリオールスクレーパ×3、ショベル×7、8tダンプトラック×24、索道を導入
    • 昭和26年10月 小倉製鋼KTF-70を日本特殊鋼がNTK-7として引継ぐ

    • 昭和27年2月 小松D50-5
    • 昭和27年4月 講和条約発効
    • 昭和27年4月 三菱重工3社(東日本重工、中日本重工、西日本重工)が[三菱日本重工、新三菱重工、三菱造船]に社名変更。
    • 昭和27年7月 日特NTK-4三菱ブルドーザ BBW :建設機械史 1952
    • 昭和27年7月 三菱がBBを大幅改良した、アングルドーザBB-W型の生産開始
    • 昭和27年9月 電源開発(株)設立
    • 昭和27年10月 小松がGD30の生産開始
    • 昭和27年末 小松製作所が池貝自動車を合併
    • 昭和27年 国鉄がCatトラクスカベータを輸入

    • 昭和28年3月 小倉製鋼は住友金属工業小松ブルドーザ D120 :建設機械史 1953と合併し、住友金属工業 小倉製鉄所となる。
    • 昭和28年5月 小松がブルドーザ D120の試作完了、9月より量産開始
    • 昭和28年5月 ルターナのターナドーザ、スーパC 2台を国土開発が初輸入
    • 昭和28年9月 ブルドーザ土工計算尺を考案
    • 昭和28年10月 日特が初の油圧フロントエンド型のトラクタショベルNTK4-SHS(0.75m3)を開発、ローダ普及の契機となる。
    • 昭和28年 朝鮮戦争終了に伴って、米軍横浜技術廠(YED)がブルドーザ(主にCAT D7)を約3,000台放出
    • 昭和28年4月〜31年5月 電源開発(株)佐久間ダム:
    • 堤高151m、堤長294m、堤体積112万m3、「大型土木機械の展示場」と呼ばれ、米アトキンソン社が本格的機械化施工を指導。 ブルドーザはD8×20台を投入

    • 昭和29年2月 通産省の工業化試験補助を受け、小松と三菱日本重工がそれぞれWD140WH型のタイヤドーザを試作した。
    • 昭和29年7月 小松ブルドーザ D50-7型生産開始、D50累計365台
    • 日特 NTK-4 :建設機械史 1954昭和29年8月 湿地ブルドーザを開発 :泥炭地用に三角シューを開発し、日本特殊鋼 NTK4に装備、 その後、一般軟弱地での有効性も確認される。
      • 9月 上記泥炭地用ブルドーザの公開実験を北海道開発局篠津運河開鑿工事で実施、楢崎産業海運が主催、建機協北海道支部が後援
    • 昭和29年10月 小松がD50Pの生産開始
    • 昭和29年 GNPが戦前のレベルまで回復

  • 昭和30年代(1955〜1964)
    昭和30年代
     大手ゼネコンが建設機械部門を拡充
    • 1955年3月 Caterpillar D9を発表、ブルドーザにターボチャージャを初装備(40%の小型化を実現)ターボチャージヤの初装備 D9D Turbo :トラクタの歴史 1954
    • 1955年 T.T.ローダの開発:Caterpillar 933, 955, 977
    • 昭和30年 10月:社会党が左右両派を統一、11月:自由民主党を結成により”五十五年体制”が誕生。
    • 昭和30年 日特が国産初のトルコン搭載ブルドーザ(20t)のNTK12を開発
    • 昭和30年当時 ブルドーザを製造していたのは、小松・三菱日本重工・日特・岩手富士産業・北川鉄工所(日立は33年参入)

    • 昭和31年4月 日本道路公団設立
    • 昭和31年8月〜38年6月 関電・黒四ダム工事(黒部川)着工
    • 昭和31年9月 日立ブルドーザT14を試作、販売は33年から
    • 昭和31年11月 間組がCat D9を輸入
    • 昭和31年12月 名神高速道路 土工定規作成 :道路公団
    • 昭和31年12月 雲仙道路着工、道路公団がに6tブルドーザ等を採用
    • 昭和31年12月 小松がD120-5型でトルコンを初搭載

    • 1957年 初の人工衛星の打上げに成功:ソ連日立 T14A型 ブルドーザ :建設機械史 1957
    • 昭和32年初旬 日立がT14A型ブルドーザを製作
    • 昭和32年4月 横浜新道着工: 道路公団が道路工事に本格的な機械施工を導入、13t級ブルドーザ、キャリオールスクレーパを投入し、品質管理に締固め管理を採用。 併せて国産・輸入機械の比較を行う。三菱BG型ブルドーザ :建設機械史 1957
    • 昭和32年12月 三菱BG型ブルドーザを製作、10型がトルコン、20型がダイレクトドライブ。
    • 昭和32年 名神高速道路工事着工
    • 昭和32年 油圧リッパを国土開発が輸入、横須賀火力発電所工事の軟岩掘削に投入

      この頃から大型ダンプトラックが普及する

    • 昭和32年6月〜35年10月 御母衣ダム工事(床川)
      初の大規模ロックフィルダム(堤高131m、堤長426m、堤体積795万m3
         御母衣ダム :土木史跡 1960  御母衣ダム 土質遮水壁盛立状況 :機械土工史 1957
      投入ブルドーザ:D9×10、D8×22、D120×5、国産15t以下×6台、ターナドーザ(タイヤドーザ) LeTourneau Super C

    • 昭和33年10月 名神高速道路(総切盛土2,700万m3)起工
    • 昭和33年10月 黒部川第四ダム工事:本体掘削開始、
      投入したブルドーザは、D9×3、D8×14、TD24×2、ターナドーザ、 LeTourneau Super C×1
    • 昭和33年12月 東京タワー完成日特 NTK12B :建設機械史 1958
    • 昭和33年12月 日特金属工業がターボチャージャ搭載のアングルドーザNTK12B(23t)を発表

    • 1959年1月 弾性波とリッパビリティの関係を発表:Caterpillar 
    • 1959年 Caterpillar がターボチャージャ装着のD7Dを発表
    • 昭和34年1月 ブルドーザ:三菱日本BE型(23t)、日特NTK6、小松D120(リッパ付)、 タイヤドーザ:小松WD140-2(18.8t)を開発。
    • 昭和34年4月 東海道新幹線起工(新丹那トンネル東坑口)、新丹那トンネル工事は 〜39年1月
    • 昭和34年4月 トラクタショベル:日特NTK4B(0.95m3)を開発三菱 BH :建設機械史 1959
    • 昭和34年5月 日立ブルドーザT114を試作
    • 昭和34年6月 三菱がブルドーザBH型(33t、後のBD33)を開発
    • 昭和34年8月 日立ブルドーザT09を試作、35年から販売
    • 昭和34年10月 小松がD250(33t級ブルドーザ)の試作完了、翌年7月より量産開始小松 D250 :建設機械史 1959
    • 昭和34年 Caterpillar社がD8H型を発表
    • 昭和34年 小松がD50Sを開発
    • 昭和34〜36年 岩戸景気

    • 昭和35年1月 サイドダンプ式トラクタショベル:日特NTK4、三菱BS30、日特NTK6用バックホウアタッチメント(0.28m3)を製作
    • 昭和35年7月〜 池田内閣発足、「国民所得倍増計画」を推進、その後の高度成長期へ
    • 昭和35年8月 新三菱重工がCaterpillar社に技術提携を打診
    • 昭和35年 貿易為替の自由化拡大方針、 ブルドーザは昭和39年迄に全機種輸入自由化
    • 昭和35年 三菱日本重工がBD2(2t)を製作

    • 1961年4月 初の有人宇宙飛行(ボストーク71号):ガガーリン(ソ連)
    • 昭和36年2月 CAT D9E(37.5tリッパ付ブル)を国土開発が輸入
    • 昭和36年3月 湿地ブル日特NTK6(14t、0.27kg/cm2)を製作三菱 BD32 :建設機械史 1961
    • 昭和36年3月 32t級リッパ付ブルドーザ:小松D250、三菱BD33Tを開発
    • 昭和36年4月 Caterpillar社が資本進出のため来日
    • 昭和36年6月 Euclid C6(23tブル)を国土開発が輸入
    • 昭和36年8月 小松がマルA対策本部を設置
    • 昭和36年10月 日特がバケットドーザNTK4WHE(8.4t)を製作
    • 昭和36年10月 小松カミンズ販売(株)を設立
    • 昭和36年11月 International TD25を熊谷組が輸入 
    • 昭和36年 川崎車輌が独Scoopmobile Machinen G.m.b.Hとショベルローダで技術提携

    • 昭和37年4月 小松がD60A、D60Sの生産開始
    • 昭和37年5月 Caterpillar社が新三菱重工との合弁会社設立を発表
    • 昭和37年10月 全国総合開発計画(拠点開発)

    • 1963年 Allis-Chalmersが世界最大のブル HD41(70t, 524HP)を試作、ラインナップは1970年
    • 昭和38年6月 キャタピラ三菱(株)を設立
    • 昭和38年9月 日立が17tブルドーザT13を製作、10月発売
    • 昭和38年11月 CAT 977H、922B、LeTourneauキャリオール14〜20yd3を輸入
    • 昭和38年 三菱重工がLibe Shovel Co.A.B.(スウェーデン)とトラクタショベル用バッケトで技術提携
    • 昭和38年 住友機械工業が独Reinsthal Hanomag A.G.とトラクタで技術提携

    • 昭和39年6月 新潟地震
    • 昭和39年6月 三菱3重工が合弁、三菱重工が発足
    • 昭和39年8月 小松D60Sを開発
    • 昭和39年10月 東海道新幹線開業
    • 昭和39年10月 東京オリンピック
    • 昭和39年10月 超湿地ブルドーザ日特NTK4(7.9t、0.11kg/cm2)を製作
    • 昭和39年11月 キャタピラー三菱の本社工場を相模原に建設

      トラクタショベルが増加
      30年代末〜40年代初頭に大都市近郊丘陵地にニュータウン造成
      千里・泉北NT、多摩・千葉・港北NT

  • 昭和40年代(1965〜1974)
    昭和40年代
     建設機械保有の専門工事業へのシフトが顕著となる
    • 昭和40年4月 東名高速道路起工式(山科試験工区)
    • 昭和40年4月 キャタピラ三菱(株)が、CAT国産化初号機D4Dを出荷、清水建設に納入 SCM25-65
    • 昭和40年 小松がD60Pを開発
    • 昭和40年9月 CAT三菱がトラックローダ 955H製作
    • 昭和40年10月 CAT三菱がトラックローダ 951製作 
    • 昭和40年10月 名神高速道路全通
    • 昭和40年 CAT D8H、D9G輸入販売
    • 昭和40年 住友重機工業が日特金属工業に資本参加
    • 昭和40・41年 CAT三菱が販売網を大倉商事から三菱ふそう系に、建販5支社、4特約店を設置展開
    • 昭和40〜45年 いざなぎ景気

    • 昭和41年4月 キャタピラー三菱が初のパワーシフト車D6C(PS)を生産
    • 昭和41年10月 日特がブルドーザ用光線式レベリングメータを実用
    • 自動車貨物輸送が分担比(t・kmベース)で鉄道を逆転
      この頃、湿地ブルドーザが増加


      ハノマーグ K7BEM :建設機械史 1967
    • 昭和42年2月 CAT三菱950生産
    • 昭和42年3月 西独ハノマーグ社8.5tアングルドーザK7BEMを住機・日特が生産
    • 昭和42年4月 キャタピラ三菱(株)が、PES(Perts Exchange Service)、ラジコンD55S :建設機械史 1967CTS(Custom Track Service)を国内初導入
    • 昭和42年5月 小松がラジコンD55Sを製作
    • 昭和42年6月 小松がD50A-3、D125A(トルクフロー)を製作


      NTK5 SHO'SS :建設機械史 1967
    • 昭和42年6月 日特が超々湿地ブルドーザNTK5SHDSS(0.12kg/cm2)を開発

    • 昭和42年10月 CAT三菱が湿地ブルドーザD5を生産
    • 昭和42年10月 米クラーク社タイヤドーザ380輸入CAT 977K :建設機械史 1967
    • 昭和42年11月 CAT三菱がトラックローダ 977Kを生産
    • 昭和42年11月 小松製作所がD75S-2を生産
    • 昭和42年 小松がブルドーザ(D125A、D60A)を米国に初輸出

    • 昭和43年2月 日特NTK6C、小松D85A-12を製作
    • 昭和43年2月 タイヤドーザInternational D500(65.8t)を熊谷組が輸入
    • 昭和43年3月 小松が遠隔無線操縦D125Aを製作
    • 和43年4月 超高層の曙 :霞ヶ関ビル完成
    • 昭和43年4月 CAT三菱がD6C(ダイレクトドライブ)を生産
    • 昭和43年5月 小松がD80A-12を製作
    • 昭和43年6月 米Clark社タイヤドーザ280VA(30t)、380V(45t)、を輸入(大倉商事扱)
    • 昭和43年7月 トラックタショベル日立TS15、CM 951Bを製作。 Allis-Chalmers HD21Gを熊谷組が輸入
    • 昭和43年9月 ホイルドーザCAT 834を山崎建設が輸入
    • 16t水中ブルドーザ :建設機械史 1968昭和43年10月 水中ブルドーザを日本国土開発(株)が試作
    • 昭和43年10月 湿地ブルドーザ:小松D30Pを製作
    • 昭和43年 キャタピラ三菱(株)が、累計生産10,000台と輸出1,000台/月を達成

      小松 水陸両用ブルドーザ D125W :建設機械史 1969
    • 昭和44年3月 小松が水陸両用ブルドーザD125Wを開発、 常願寺川災害復旧に投入
    • 昭和44年5月 新全国総合開発計画
    • 昭和44年5月 東名高速道路全線開通
    • 1969年7月 初の人類月面着陸:アポロ(米)
    • 昭和44年10月 CAT D7E

    • 昭和45年3〜9月 大阪万国博覧会
    • 昭和45年8月 小松がD155A、D150Aを開発
    • 昭和45年9月 小松が最大のブルドーザD355A(50.1t、410PS)を開発
    • 昭和45年9月 キャタピラ三菱(株)が、D7Fを国産化
    • 昭和45年10月 日立建機(株)発足

    • 昭和46年4月 (社)日本機械土工協会設立
    • 昭和46年5月 ビサイラス88Bを山崎建設が輸入
    • 昭和46年7月 環境庁発足
    • 昭和46年8月 ドルショック

    • 昭和47年2月 札幌冬季オリンピック小松 水陸両用ブルドーザ D155W :建設機械史 1972
    • 昭和47年5月 沖縄本土復帰
    • 昭和47年7月 田中内閣成立:日本列島改造論
    • 昭和47年 小松がHD320、水陸両用ブルドーザD155Wを開発
    • 昭和47〜50年 長崎空港造成工事: 世界初の長崎空港造成工事 :機械土工史 1972海上空港として箕島を削り造成、発破急速施工、盛土量1,970万m3
      投入ブルドーザ: Allis-Chalmers HD-41×1, CAT D9×9, D8×6, 小松D355×2, D155×4, D85×4, D50×1, 三菱BDU×2, 

    • 昭和48年2月 変動相場制への移行
    • 昭和48年 列島改造ブーム
    • 昭和48年 第一次オイルショック
    • 昭和48年 関門橋開通
    • 1973年(昭和48年) CATが密封潤滑式トラック(ピン・ブッシュ)を開発して、D9Gに採用

       
    • 昭和49年 小松D155S(4.5m3、350PS)を開発
    • 昭和49年 伊藤忠建機(株)がアリスチャルマFA.HD41を3台輸入(熊谷組等に納車)
  • 昭和50年代(1975〜1984)
    昭和51年に油圧ショベルが生産額でブルドーザを抜き、50年代にブルドーザは激減、 背景に都市開発の活発化がある。
    トラックローダも48年をピークに50年代前半に激減、ホイルローダと油圧ショベルに取って代わる。

    • 1975年 初のHST(ハイドロスタティック) トラクタをディアが開発 :Deere ブルドーザJD-750、 トラックローダ755
      初のハイドロスタティック・トラクタ Deere HST-T.T.T. :トラクタの歴史 1975
    • 昭和50年3月 山陽新幹線開業(岡山〜博多)
    • 昭和50年7月 沖縄海洋博覧会
    • 小松 D455A :建設機械史 1975昭和50年 小松が世界最大のブルドーザD455A(76t、620PS)を開発
    • 昭和50年 CAT D9H、D8K(密封潤滑式ピン・ブッシュ)輸入販売

    • 昭和52年 第3次全国総合開発計画(人間と自然の調和)

    • 1978年 新機軸のブルドーザ(ハイスプロケット、コンポーネント化、ボギー機構等)を開発:CAT D10(86t、710PS)
    • 昭和53年6月 宮城県沖地震(M7.4)
    • 昭和53年 新国際空港(成田)開港
    • 昭和53年 第2次オイルショックにより省エネ指向が加速
      ブルドーザ D10の初輸入 :建設機械史 1979
    • 昭和54年2月 CAT D10を山崎建設が初輸入
    • 昭和55〜59年 公共投資抑制策

    • 1981年 CAT 953にHST採用
    • 昭和56年1月 CONExpo'81 in Houstoneに小松がD555Aの試作機を展示
    • 昭和56年 CAT D9L輸入販売

    • 昭和57年6月 東北新幹線開通
    • 昭和57年11月 中央自動車道全線開通
    • 昭和57年11月 上越新幹線(大宮〜新潟)開通
    • 昭和57年 関越トンネル(10.9km)貫通、九州横断道全通、東北道全通
    • 昭和57年 CAT D8L輸入販売
    • 昭和57年 住友重機工業が日特金属工業を吸収

    • 昭和58年3月 中国自動車道全線開通
    • 昭和58年 低騒音型建設機械指定制度が発足

      コマツ D375A :建設機械史 1984
    • 昭和59年 コマツがデザインを一新するイタリアンフェイスの新型ブルドーザ、シリーズ第一弾 D375A(64.5t, 532PS)を発表、パワーモジュラーデザイン、セミ軟式足廻り、ロックアップトルコンを採用

      昭和50年代後半、トラックローダがHST(油圧駆動)化し、リヤエンジンとしてバランスを改善するが、需要再興に至らず。

  • 昭和60年代(1985〜1988)
    • 昭和60年3月 青函トンネル本坑貫通コマツ D475a :ブルドーザ史 1985
    • 昭和60年 内需拡大景気対策
    • 昭和60年10月 関越自動車道全線開通
    • 昭和60年 小松がD475A(95t, 781PS)を開発

      CAT D9Lインパクトリッパ :ブルドーザ史 1986
    • 1986年 CAT インパクトリッパ装着D9Lを開発
    • 昭和61年7月 東北自動車道全線開通
    • 昭和61年10月 高速道路供用延長4000km突破
    • 昭和61年12月 CAT D11N(95.6t、781PS)を山崎建設が輸入
    • 昭和61年〜平成3年 バブル景気

    • 昭和62年 第4次全国総合開発計画(多極分散型国土)
    • 昭和62年4月 国鉄分割・民営化
    • 昭和62年7月 新キャタピラ三菱(株):SCMが、キャタピラ三菱と三菱重工明石製作所の合弁により発足
    • 昭和62年〜 関西新空港着工
    • 昭和62年 ディファレンシャルステアリング採用のCAT D9N(46t、375PS)、D8N(38.5t、289PS)を輸入販売

    • 昭和63年3月 青函トンネル開業
    • 昭和63年4月 瀬戸大橋(児島〜坂出ルート)が全線開通
    • 昭和63年 CAT D10N(69t、527PS)輸入販売
    • 昭和63年 三菱重工がゴムクローラ仕様のBDUG(4t)を開発

  • 平成初期(1989〜1997)年代
    • 平成元〜4年 関西新空港工事向け土砂搬出(加太、阪南)工事
    • 1990年 CAT Challenger65を開発
    • 平成2年 総額430兆円の「公共投資基本計画」
    • 平成3年6月 雲仙普賢岳で大規模火砕流発生
    • コマツ ブルドーザ D575A :建設機械史 1992平成4年 コマツがD575A(129t, 1065PS)D275A(50t, 410PS)、D65EXを開発
    • 平成5年 環境基本法の制定
    • 平成5年3月 長野自動車道全線開通

    • 平成6年 関西国際空港開港
    • 平成6年 総額630兆円の「新公共投資基本計画」
    • 平成6年 普賢岳無人化施工試験工事
    • 平成6年 コマツが自動無段変速のD155AXを開発
    • 平成7年1月 阪神・淡路大震災
    • 平成7年 CAT D9R輸入販売
    • 平成8年 CAT D11R、D10R(電子式クラッチ&ブレーキシステムによるフィンガーコントロールを装備)を輸入販売
    • 平成9年 排ガス対策型建設機械指定制度が発足
    • 平成9年 新CAT三菱で初国産のHST機D3C、D4C、D5Cを生産
    • 平成9年11月 北陸自動車道全線開通
    • 平成9年12月 東京湾アクアライン開通

  • 平成10年代(1998〜 )
    • 平成10年2月 長野オリンピック
    • 平成10年4月 明石海峡大橋が開通
    • 平成11年5月 尾道〜今治ルートが開通
    • 平成12年 初の情報化施工の実証試験工事「小山市R4バイパス改良工事」
    • 平成13年1月 国土交通省発足
    • 平成13年4月 小泉内閣発足
    • 平成13年5月 コマツが現存する国産最古のトラクタG25を稼働復元、このG25型63号機は、小松工場(小松市)の昭和11年8月製、昭和15年頃まで満州開拓団で使用された後、30年程国内で稼働、その後、コマツ粟津工場の倉庫に眠っていたのを発見し、稼動復元に至った。
    • 平成14年 コマツがD275AX Galeoを開発
    • 平成15年1月 コマツが排出ガス2次規制ブルドーザD85EX(27.7t、179kW)を開発、HSS(ハイドロスタティック)PCCS(パーム・コマンドコントロール・システム)搭載コマツ 3D-NAVI & Auto Blade装着D375A
    • 平成15年3月 関空2期2次揚土工事開始
      • 平成15年9月 コマツが3D-NAVI & Auto Bladeの試験施工を実施
      • 空港島埋立全工区でGPSドーザ等による情報化施工を行う
    • 平成15年5月 コマツが排出ガス2次規制ブルドーザD65PX/EX(GALEOシリーズ、PCCS採用)を販売KOMTRAXの標準装備。
    • 平成15年8月 2次排ガス規制ブルドーザ、CAT D6N、D5Nの販売開始
    • 平成15年11月 コマツD475AがGALEOシリーズにフルモデルチェンジ
    • 平成17年10月 CAT D9T、D8Tの国内販売を開始 
    • 平成18年2月 CAT D10T(第3次規制対応のACERTエンジン搭載)の国内販売を開始 
    • 平成18年4月 コマツが、3次基準値排出ガス対策型ブルド機械遺産G40 :2007ーザD65PX/EX、D85PX/EX、D275AXの販売開始
    • 平成19年7月 機械遺産(機械学会創設)に、初国産ブルドーザのコマツ G40が認定される。コマツ D51PX
    • 平成19年11月 コマツが後方配置のラジエータにより、前方視認性を格段に向上させたD51PXを開発

  • 平成20年代(2008〜 )
    • 平成20年8月 新キャタピラー三菱がキャタピラージャパンに社名変更CAT D7E
    • 平成21年9月 民主党政権 鳩山内閣発足
    • 平成22年11月 エレクトリックドライブのCAT D7Eの輸入販売開始
    • 平成23年3月 東北地方太平洋沖地震(M9.0)発生
      • 東北太平洋岸に未曾有の津波災害を引起こす
      • 福島第一原発事故:緊急事態宣言




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