那覇

おわり

お腹が減ったら行ってみてください!
場所の目安は小禄宇栄原郵便局の近く。

食堂を出ると雨が降り始めた。

暖かい雨、気にせず歩こう。

雨足が強くなったら、どこかで雨宿りすればいい。

それからちょっと歩くと奥まった所に
ひっそりと『お食事処 おふくろ』を見つける。

あっ、楽しそうだ!?

ここには元々墓があった場所でそこに壕を掘ったようだ。
壕の中はジメッとしていて重たい空気に包まれている。
出口付近にはおみやげ屋が並んでいる。
不思議な感じ。


自分探しはあきらめよう。

帰ろうか。

丘を下って公園を横目で見て団地を通り過ぎた。

外へ出てほっと一息

旧海軍司令部壕跡を見学する。
大人420円 子供210円

こんなに景色がいい所だけど、ここは旧海軍司令部壕跡の上で
この下では相当な数の兵士が玉砕した所である。

巨大なお墓が点在する景色の良い小高い丘に登る。

麦を遊ばせる。

古い団地の中を通り過ぎると
長〜いローラー滑り台がある公園があった。

朽ち果てたロボット。
販売機になっていたようだが
いったい何が出て来たんだろう。

国際通りを歩いて牧志駅からモノレールに乗って小禄駅で降りた。
まったくもって景色が変わっていてどこがどこだかわからない。
とりあえず宇栄原に行けばわかるだろう。
そして宇栄原を歩き回る。
さっぱりわからない。
嫌気がさすほど歩き回るが記憶にある景色が見あたらない。
歩き疲れた麦をなだめがら、、、、。

那覇は思っていたより大きく変わっていた。

瀬長島からの夕日 俺たちの旅

自分の足跡を探して

午後10時50分 那覇新港入港

午後11時8分にフェリーを降り、すぐさま送迎バスに乗って待合所(ターミナル)まで行く。
西表のミトレヤキャンプ場で顔見知りになった京都の兄やんも同船していて
まだ泊まる所を決めていないという。
時間も時間なので、僕らが宿泊する国際通り近くのシェルハウスに電話を入れて泊まれるように頼んだ。
宿泊客はいっぱいだったようだがなんとかしてくれるようだ。
いっしょにタクシーに乗せて安里三差路手前のマンモス釣具店まで。 料金990円也

シェルハウスは小さな4階建てで、
1階がキッチン、ユンタクルーム。
2階が男子ドミトリー、トイレ、シャワー。
3階が男子禁制の女子ドミトリー。
そしてそこから狭い螺旋階段を上がって僕らが泊まる4階へ。
たぶん個室が3部屋あって、それぞれにエアコン、テレビ、冷蔵庫付き。
僕らの部屋は通常シングルベット1つ置いた狭い部屋だが
予備に布団を用意してくれている。 たぶん部屋をしきる壁はコンパネ1枚かな。
けど、エアコンが利いて快適だ。

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やってるのかな〜と覗いてみると、おばちゃんが見えたので僕はドアを開けた。

レトロな店内。

近所の子供たちが座っていた。

4人掛けのテーブルに座って、
僕はソーキ(ナンコツ)そば 400円
麦はハンバーグランチ 500円を注文する。
驚いたのはハンバーグランチにそばも付いてくる。
そして、アイスレモンティーもサービスしてくれ、麦にマーブルチョコレートまでくれた。
ほのぼのしてとても良かった。
おじさんも、おばさんもとてもいい感じだった。

ばかしてました。 あっ、今も変わんないか、、、。

8月14日 ゆっくりと起きた。
明日の朝には那覇を離れなくてはいけない。
今日は麦を付き合せてむかし住んでいたあたりを歩いてみようと思う。

那覇市宇栄原96 赤嶺アパート301

ジョンレノンが死んだ翌年の夏、僕は旅にでた。
ヤマハRZ250と沖縄行きの船に乗り、
船内で知り合った旅人のテラさんと共同でアパートを借りたのだ。

そこにはやはり船で知り合った那覇高出身のキヨシ、ナオトやその同級生、
アル中ロシアなどいろんなやつらが居候したり遊びに来たりと楽しい日々でした。

そのアパートから坂を上りきったところにエルジンという喫茶店があって
ママがいい感じで、毎日誰かしらたむろしていた。
そこは景色が良くって瀬長島方面が見えたっけ。
けど、ここは辞めてしまっていることはわかっている。
キセ、ジョージ、みんな元気か?