J.3.0.3
  History of EarthMovers
                                                                EM研
  
建設機械の歴史:

 日本の土工機械史
                           → [前 夜] [明治期] [戦後編]


  日本の土工機械史 :大正・昭和(戦前・戦中)期

大正10年頃から昭和初期にかけては、労働力不足から各地で機械化が進展する。
昭和に入ると建設機械の内燃機関化も始まる。

昭和初期、大恐慌による失業匡救事業と公共事業が活発化するが、不況下の雇用対策により機械使用を禁止した。  このため機械化は中断というより後退する。
また、昭和7年頃よりの戦時体制で、公共事業は不急不要事業として凋落期に、建設機械化も終焉。 満州・朝鮮の一部では機械化を続行

この時期米国では日本と逆に、ニューデール政策等の不況対策と、同時期のブルドーザやスクレーパ、モータグレーダ等の出現と相まって、機械化施工が革命的に進展する。
しかし、これらの機械は国内では知られず、彼我の差は20・30年位になってしまった。

太平洋戦争が始まり、南太平洋の飛行場建設競争で、昭和17年に初めてこれらの革新的土工機械に出くわすことになる。
急遽、研究を始め、模倣機械を製作するが、実用的なものは戦後に再挑戦することになる。


  • 大正(1912~1926)
    • 1912年 クローラ式パワーショベルの開発
    • 大正元年~ 渡良瀬川改修 9ポンド軌条、5勺積鍋トロ
    • 大正元年~ 利根川改修3期に仏製200坪ラダーエキスカベータ 1台を投入(同10年迄に590万坪を掘削)、鉄枕付12ポンド軌条60哩、木造1合鍋トロ2,400台

    • 荒川放水路高水掘削のラダーエキスカベータ :建設機械史 1913大正2年 荒川放水路改修工事の高水敷掘削を開始、3年には浚渫船を投入し低水路掘削開始
    • 北上川改修
    • 大正2年 三井炭坑田川坑でベルトコンベアを石炭運搬に初めて使用

    • 大正3年 スチームショベルBucyrus 50Bを初輸入
    • 1914~1918年 第一次世界大戦
      この大戦が日本の産業界に大繁栄をもたらし、大正の後半から昭和はじめにかけての工業化を躍進させ、建設機械化をも進めることになる。
      • 大戦勃発に経済界動揺
      • 大正3年8月 ドイツに宣戦布告、第一次大戦に参戦
      • 大正4年12月 東京株式市場暴騰(大戦景気)
      • 貿易収支が出超に転じる
      • 大正6年2月 地中海に駆逐艦艦隊を派遣

    • 大正4年 Bucyrus社の軌道式スチームショベルを世界屈指の露天掘炭鉱である南満州鉄道の撫順炭鉱に初輸入
    • 大正4年 小樽港埋立工事に水射式土工を使用Bucyrus Steam Shovel :建設機械史 1916
    • 大正4年 (株)山本鉄工所設立

    • 大正5年 Bucyrusのスチームショベル(鉄輪)を大倉組が輸入、山陽製鉄所工事の土取作業に投入

    • 10t スティームローラ :建設機械史大正5年6月~昭和2年 村山貯水池(多摩湖)のアースダム工事、軽便軌条(羽村村山線・村山境線)により資材運搬及び盛立運搬。 締固めに蒸気ローラを導入
    • 大正5~昭和4年 中川改修工事
    • 4年 渡良瀬川改修工事(足利~利根川合流部)

    • 大正6年5月 利根製作所が初めてロータリ式の試錐機を製造販売
    • 大正6年 陸軍が馬匹に代わる砲牽引用トラクタとしてFWD社の4輪駆動車を試験輸入
    • 大正6年 膠質ダイナマイト(松ダイナマイト)を日本火薬製造厚狭工場で生産開始
    • 大正6年末現在、利根川改修工事の在籍工事用機械は、浚渫船17隻、曳船7隻、土運船524隻、バケット掘削機18台、機関車(20t)23台、トロ(3m3)1765台、トロ(1m3)3650台、その他鑿岩機、ポンプ、杭打機、コンクリートミキサ等多数
    • 大正6年~昭和元年 北海道第1期拓殖計画後期の石狩川治水工事の新水路工事に、従前の花畔工場に加えて、
      • 大正7年 生振新水路に生振工場を設置
      • 大正8年 篠路第2新水路に当別工場を設置
      • 大正8年10月 石狩川治水事務所に江別機械工場(建設機械工作所の前身)設置

    • 大正7年4月~昭和9年 丹那トンネル工事
      丹那トンネル工事 東口 :土木史跡御殿場廻りの東海道線を短絡させるために丹那盆地の下、熱海~函南間 7,840mの複線大断面隧道に着手するが、富士火山帯を通過し、膨張性の温泉余土、断層群、大量の高圧地下水脈に遭遇し、世界のトンネル建設史上に残る大難工事となり、完成まで16年の歳月を費やした。 セメント・薬液注入、圧気工法、シールド工法、側壁先進導坑、電気ロコ等の最新技術を導入し、この経験が日本のトンネル技術を世界レベルに引上げた。
      [ この工事記録文学に吉村昭の「闇を裂く道」がある]淀川改修工事の6yd3Dipper Dredger(6立碼掻揚式浚渫船)龍神 :建設機械史 1918

    • 大正7年7月~ 多摩川下流改修(2期)工事起工
      9年に人力掘削及び築堤に着手、10年より掘削機械を導入、13年に機械浚渫を開始
    • 大正7年 荒川改修工事に米製クローラ式蒸気ドラグラインを輸入
    • 大正7年 Mack社・Packard社製ダンプトラックを輸入
    • 大正7年~昭和4年10月 淀川改修増補工事
    • 大正7年 陸軍が牽引用トラクタとして、FWDとホルト45、ベスト40HPの比較試験を実施
      ホルト5t牽引車 1919
    • 大正8年 都市計画法の制定
    • 大正8年 陸軍が牽引用トラクタとして、ホルト5t(T-11)を採用
    • 大正8年4月 鉄道院に建設局が設置され、鉄道新線建設工事の機械化が始まる。
    • 大正8年10月 北海道庁石狩川治水事務所「江別機械工場」を設置、事業開始
      陸上掘削工事用の施工機械を製作[40t陸上掘削機、20t蒸気機関車、五合積土運車、小型機関車、ガソリン機関車、トロ車輌、土工用器具機械、一般車両、軌条等]、船舶の修理製作[バケット式浚渫船、ポンプ式浚渫船、発動機船、土運船、運搬船等]
    • 大正8年 Erie社製鉄輪ショベルを輸入
    • 大正8年 6tタンデム・スチームローラ(Aveling & Porter社製)を日本石油が輸入
    • 大正8年 上越線棚下隧道工事にショベルローダを初輸入
    • 大正8年 三井造船がロードローラの製造を開始
    • 大正8~11年 1号国道(現在の国道15号線)工事に8t及び11tスチームローラ、12t及び4.5tガソリンエンジン・ローラを輸入

    • 鐵道院の資材運搬トラック(濱田線軌道工事) :土木技術史 大正9年大正9年 道路法の制定
    • 大正9年5月 鉄道院を廃し、鉄道省設置
    • 大正9年 マカダムローラ(ウエスタン製12t、オースチン製10t ×3)を輸入
    • 大正9年 内務省が利根川2期改修に3/4yd3ディパーのマリオン21型とビサイラス14Bを試験的に輸入、10年1月より稼働
    • 大正9年~昭和5年 綾瀬川改修工事
      米オスゴット社製スチームショベルを導入、ディッパ 3/4立碼、石炭消費2千斤/日
    • 大正9年~昭和6年 台湾/嘉南大シュウ・烏山頭ダム工事開始、堤長1,273m、堤高56m、技師:八田與一
      この東洋一となるアースダムと灌漑施設の建設に、本格的機械化土工を大正13年から導入し、盛立には本邦初のセミハイドロリックフィル(半水成式)工法を採用する。 外側から盛立て、射水により中心部に細粒分を集め、コア部の中心に昆擬土(コンクリート15,180m3)の遮水壁を立てる。

      大正10年頃~昭和初期 各地で労働力不足と相まって、機械化施工が浸透・普及する。

    • 大正10年1月 利根川改修二期工事にスチームショベルを試運転
    • 大正10年5月 (株)小松製作所設立
    • 大正10年5月 呉海軍工廠敷地造成工事(8年7月着工)呉海軍工廠船渠掘削中の超大型スチームショベルBucyrus 225B :建設機械史 1921に超大型スチームショベル等を輸入
      Bucyrus 225B(6yd3全旋回型337噸)×1
      Bucyrus 110C(5yd3機関車型130噸)×1
      機関車(42噸Shay型×2、32噸Tank型×2)、20yd3 Air Dump car(Western Wheeled Scraper Co.,製トロ、軌間4' 8・1/2"、鋼製20両、木製20両)、
      組立・試運転の後、大正11年2月~14年7月に山地開鑿を2段ベンチで掘鑿、中段に110Cを入れ上半(20~30呎)掘進、下段に225Bを置き下半(60呎)掘鑿、掘鑿量は18萬立坪。 14年5月~昭和2年には船渠掘鑿を75千立坪
      発破穿孔にCyclone drill×2、Ingersoll-Rand, sergent型×6、climax45号型×2、SullivunDP331型×4、Sanderson's Class B. Gasoline Non-Traction Drilling Machine×2
      土運船(50坪積鋼製底開式×2艘、25坪積鋼製側開式×2艘)、砕石設備はAustin製ジャイレトリ・クラッシャ、シートパイル打設にマキナンテリNo.7 スチームハンマ×2、Austinキューブ型#56Sミキサ×2台

    • 大正10年10月 東京飯田橋で初の国産ロードローラ(三井造船製8tタンデムローラ)を使用
    • 大正10年 中利根川で蒸気ショベル使用阿賀川捷水路開削工事のラダーエキスカベータ :建設機械史 1921
    • 大正10年 本邦初の民間飛行場である稲毛飛行場完成
    • 大正10年~昭和10年 阿賀川本格改修(捷水路開削等)に、大河津分水工事の大型ラダーエキスカベータを転用する。
    • 大正10年~昭和11年 赤川放水路開削工事
      赤川放水路開削工事のラダーエキスカベータ:建設機械史 大正12年
    • 大正11年 鉄道建設(上越線)に大規模機械化施工を導入
    • 大正11年 三菱神戸造船所が米バッファロ社の製品をモデルとして、蒸気ロードローラを製造、タンデム型4機種、マカダム型3機種 SCM169
    • 大正11年 荒川改修工事にダンプカー24台を輸入
    • 大正11年 初のディッパ浚渫船(ビサイラス)を内務省横浜出張所が輸入内務省初輸入のダンプトラック 大正11年 :建設機械史
    • 大正11~13年 大井ダム工事:大井ダム工事 :土木史跡
      初の堤高50m級の巨大ダム、堤長276m、激流木曽川で半川締切工法を本邦初採用 ショベル、ミキサ、ガソリン機関車、固定型6tケーブルクレーンの他、初のジョークラッシャによる骨材生産を行う。
    • 大正11年8月~昭和6年9月 清水トンネル工事:電気ロコを導入大井ダム工事に輸入した Erie Shovel :建設機械史


      自動車の急速な普及と軍事的有用性が第一次大戦において確認され、道路法が公布された。 また、関東大震災では都内の貧弱な道路網が甚大なる被害の原因となり、震災復興でも不通になった鉄道に代わり自動車が大活躍したことで、道路整備の重要性が認識される。

      震災復興でトラックに積込み中のクラムシェル 大正13年 :建設機械史
    • 大正12年9月 関東大震災
    • 大正12年9月 帝都復興院を設置し、帝都復興を図る。 「旧態ヲ回復スルニトドマラズ、進ンデ将来ノ発展ヲ図リ、以テ港 ノ面目ヲ新ニセサルへカラス」と積極的な都市改造を図る。 帝都復興事業は、昭和5年までの継続事業として土地区画整理の他、街路・運河・公園等を整備、これらの工事に大々的に最新の建設機械を導入導入した。

    • 大正12年11月 台湾/嘉南大圳・烏山頭ダム工事用機械群を輸入
      嘉南 烏山頭ダムのドラグライン :建設機械史東洋一のアースダム(堤長1,273m、堤高56m、堤体積297万m3)と灌漑施設の建設工事(技師:八田與一)
      大正9年から着工していた本工事に、本格的機械化土工を大正13年から導入、盛立にはセミハイドロリックフィル(半水成式)工法を採用する。
      投入機械: クローラ式スチームショベル等(Bucyrus大型ショベル5台、Marion小型2台、ドラグライン2台、ヘンセル社(独Railway grading by spreader :建設機械史)製56t機関車12台、13.5t・10t国産機関車、16yd3エアーダンプカー(トロ)100台、60封度軌条21哩、スプレッダ1台、ジャイアントポンプ(450馬力2台、420馬力2台、200馬力1台)、コンクリートミキサ4台等)を輸入。 ゲージ幅:1080mm、762mm
                                            機関車連結の排土板を装備したスプレッダ →


      3t牽引車 1923
    • 大正12年 ホルト5tが製造中止となったため、我が国初の装軌式車両(50hp 3t 牽引車)を陸軍砲兵工廠で試作


      震災復興でのクローラトラクタ(牽引車)大正13年 :建設機械史
    • 大正13年2月 帝都復興院を廃止し、内務省に復興局を設置。

                    
    • 大正13年2月 土木学会誌に論説報告「蒸気ショベルに就いて」を掲載、利根川2期改修及び江戸川に投入した3/4yd3ディパーのMarion 21型とBucyrus 14Bの報告。
    • 大正13年7月 メートル法実施
    • 大正13年7月~15年11月 東京電燈(株)猪苗代第三・第四発電所工事、スチームショベルBucyrus 20B×2台を導入、60馬力オースチン・クラッシャ等。 専用軌道(大寺専用鐵道・廣田専用軌道)二十五封度軌条、軌間二呎六吋の専用軌道を布設し、電気機関車を運転、砂利・洗砂を7哩の索道撫順炭鉱の電気ショベル120B :鉱山機械史(玉村式)で運搬。
    • 大正13年 Bucyrus社の電気ショベル103Cを撫順炭鉱に輸入。 これに刺激を受けて、神戸製鋼が電気ショベルの研究に着手
    • 大正13年 初の本格(大河川本流締切)ダムの志津川ダム(宇治川、堤高35m)完成
    • 大正13年 大井ダム完成
    • 大正13年 岩淵水門竣工、荒川放水路全線に通水

    • 1925年 Caterpillar社が誕生(Holt社とBest社が合弁)。
    • 大正14年9月 初の地下鉄(銀座線)工事の起工式
    • 大正14年11月 6大都市で失業対策事業を発足。
    • 大正14年 北越工業が定置式水冷竪型コンプレッサの生産開始

    • 大正15年 砂防法改正
    • 大正15年 三井本館建設工事にBucyrus製50HPクローラ式スチームショベルを使用。

      大正末期 小型スチームショベルが多数導入される。

    • 大正15年10月~昭和7年 中川運河開削(248万m3)に英製浚渫船2隻、米製掘削機4台を輸入、掘削残土を利用して周辺工業団地造成を都市計画法による最初で戦前唯一の都市計画事業として実施する。
    • 大正15~昭和26年 鬼怒川改修工事


  • 昭和初期(1926~1934)
    昭和に入ると機関車運搬から次第にトラック運搬が増加する。
    • 昭和元年 米製3~4tガソリン機関車と15~18ポンド軌条(国産)を最上川等の河川改修に使用。

    • 昭和2年3月 金融恐慌始まる
    • 昭和2年 紀ノ川改修工事に米製ディーゼルショベルを初輸入
    • 昭和2年 オットドイツのディーゼルロコと米製ガソリン機関車を輸入
    • 昭和2年6月 信濃川大河津分水の自在堤が倒壊、6年6月まで復旧工事
    • 昭和2~9年 東京市水道局山口貯水池(狭山湖)工事は、当時、内地で最大級のアースダム(150万m3、堤長691m)。 昭和4年4月に堤体掘削に着手、堤体盛立は5年3月に開始し、2千人が昼夜3交代で2年4ヶ月で盛立を完了した(720立方坪/日)。 初めて盛土材の物理的・力学的試験による管理が行われた。 蒸気ローラ(英製10噸×2、米製8噸×2、補助英製6噸×1)により、盛土締固め厚3寸(山口貯水池工事(土取場)のディーゼルショベル2台により鍋トロに積込 昭和6年 :建設機械史敷均厚5寸)、粘土止水壁は締固め厚1.5寸(敷均厚3寸)で施工。 資材運搬に軽便鉄道線を敷設、運土も鍋トロ使用し、盛体内の線路は18封度軌条、250間×15線を敷設。 最新の内燃機関建設機械を輸入
      1.5yd3ディーゼルショベル×3台(新規購入)、 3/4yd3ディーゼルショベル×1台(鉄道省より借入)、 3/4yd3スチームショベル×2台(東電より購入)、 5/8yd3スチームショベル×1台(東京市土木局より譲受)、計 Bucyrus製ショベル7台。 ガソリン機関車×15台、2合積ダンプカー(トロ)×300台、アリスチャルマ製ゲーツ式クラッシャ(能力20屯)を投入

    • 1928年 ケーブル式ブルドーザの開発:R.G.LeTourneau
    • 昭和3年 東京市芝の塗歴砕石道路工事に大倉組がMarshall製モータグレーダを初使用
    • 昭和3年11月 初の自動車専用道路(2km)が神戸鉢伏山に完成

    • 土工用 7t ディーゼル機関車(ドイツ発動機社製)昭和4年 :建設機械史昭和4年4月 ディーゼル機関の発達が顕著となり、河川改修工事に7瓲ディーゼル機関車8台を契約、9月に鬼怒川改修工事に3台納入(ドイツ発動機社製)
    • 昭和4年10月 農業土木学会設立 
    • 1929年(昭和4年)10月 ニュヨーク株式大暴落、世界大恐慌始まる。 米価・生糸価格崩落
    • 昭和4年12月 東京土木建築組合が失業救済土木事業の直轄施工に反対し、関係省に反対請願を提出
    • 昭和4年 初の70m級の小牧ダム竣工、世界初の耐震設計、本邦初のボーリング地質調査を実施
    • 昭和4年 酒井工作所がガソリンエンジン・タンデムローラを初国産
    • 昭和4年~14年 常願寺川上流の立山カルデラで、白岩砂防ダム工事(登録有形文化財、設計は砂防の父となる赤木正雄技師)

    • 昭和5年 多摩川で国産の100坪掘ディーゼルラダーエキスカベータを使用神戸製鋼 電気ショベル 50K :鉱山機械史 1930
    • 昭和5年9月 神戸製鋼所がBucyrus 50Bをモデルとして、50K型 1.5m3電気ショベルを初国産、撫順炭鉱に納入した。 その後の120K、200Kへの大型機開発に繋げる。
    • 昭和5年 パワーショベルを製作、日立、1yd3のノースウェスト型を東京重工、ビサイラス型を大福機工、夕張製作所、日本燃化機。 東京重機が1/2yd3トラクタショベルを試作(日野重工の13tトラクタを使用)
    • 昭和5年頃 利根川に独製7t ディーゼル機関車を輸入、20ポンド軌条、鉄製 1m3傾溜ワゴンを使用
    • 昭和5年 利根川・荒川・淀川の改修工事完成

    • 1931年 ディーゼルT.T.トラクタの開発:Caterpillar Diesel 6040t ディーゼル機関(換装)ラダーエキスカベータ(国産) :荒川改修工事 昭和6年 :建設機械史
    • 1931年 モータグレーダの開発:Caterpillar No.10 Auto Patrol
    • 昭和6年 荒川上流改修工事の20t機関車と40t掘削機を蒸気機からディーゼル機に置換。 機関車はドイツ發動機社製を購入。 掘削機は、在来のラダーエキスカベータ(蒸汽短梯鋤簾式掘鑿機)の蒸気機関をディーゼル機関に換装
    • 昭和6年 大河津分水完成小松 農業用ガソリン・トラクタ G25 :産業技術史 1931
    • 昭和6年9月 清水トンネル竣工
    • 昭和6年9月~8年5月 満州事変
    • 昭和6年10月 小松が農業用ガソリントラクタG25(2t)を開発、18年までに238台を製造
    • 昭和6年11月 不況対策として失業救済事業を内務省が正式決定。 失業対策として道路整備に直轄事業を初採用九二式8t牽引車 1932九二式5t牽引車 1931
    • 昭和6年11月 陸軍が九二式 5t 牽引車(イケ)甲(ガソリン)を開発、石川島自動車製
    • 昭和7年 陸軍が九二式 8t 牽引車(ニク)甲(ガソリン)、乙(ディーゼル)を開発

    • 1932年 牽引式スクレーパの開発:R.G.LeTourneau "Carryall"
    • 昭和7年3月 満州国建国
    • 昭和7年8月 第63臨時国会(時局匡救議会)始まる。 本義会で、時局匡救土木事業8,600万円を含む追加予算1.634億円を決定
    • 昭和7年 中川運河(名古屋)完成
    • 昭和7年 神戸製鋼が、3m3(175t)電気ショベル120K型を開発、撫順炭鉱に納入。 その後昭和18年まで、満州向けに31台を出荷した。
    • 昭和7年 油谷重工が焼玉機関直結0.57m3ドラグラインを製造、内務省に納入
    • 昭和7年 札幌市内の街路除雪に米製トラクタを初試用
    • 昭和7年~ 多摩川上流部改修工事、投入機械は、100m3掘削機、50m3掘削機、6tディーゼル機関車、2.7tディーゼル機関車、ガソリン機関車、15kg軌条

      昭和初期、大恐慌による失業匡救事業と公共事業が活発化し、建設技術が大いに発達する。 しかし、雇用確保のため機械使用を禁止、機械化は中断する。
      昭和6・7年頃よりの戦時体制(満州事変・支那事変・太平洋戦争)で、時局匡救事業も9年までで打切られる。 公共事業は不急不要事業として凋落期に、建設機械化も終焉。
      米国は、ニューディール政策により建設の機械化が躍進する。 このため、彼我の差は20~30年となった)

    • 1933年 プロクターが締固め理論をENRに発表。:Proctor
    • 1933年 米TVA地域開発計画が発足
    • 昭和8年 山陰本線全通
    • 昭和8年3月 満鉄が鉄道総局・鉄道建設局を置く
    • 昭和8年 建設業者の満州進出始まる
    • 昭和8~11年 満州国国道局が新京吉林国道工事で米国式機械化施工に取組む、ブルドーザ、モータグレーダ、エレベーチンググレーダ、セルフローディングスクレーパ、油圧ボトムスクレーパ、ロードリッパ、ロードプレーナ等を輸入。 しかし、低廉な人力施工(山東苦力)より高くつき、普及に至らなかった。

      撫順炭鉱の神戸製鋼200K 1934年 :鉱山機械史
    • 1934年 オフハイウエイ(OH.)トラックの開発:Euclid Road Machinery Co.
    • 昭和9年 神戸製鋼が、4m3(300t)電気ショベル200K型を開発、撫順炭鉱に納入後、昭和18年までに満州向け7台を出荷した。 昭和18年までに、撫順炭鉱に50K、120K、200K型16台を納車し、満州各地に合計46台を出荷
    • 昭和9年 丹那トンネル完成九四式4t牽引車ヨケ 1934
    • 昭和9年 山口貯水池完成
    • 昭和9年 陸軍が九四式 4t 牽引車(ヨケ)を開発

  • 昭和10年代(1935~1945.8)
    • 1935年 ホイルトラクタ+ボトムダンプワゴン小松 農業用トラクタ G40 :産業技術史 1935の開発:Euclid Road Machinery Co.
    • 昭和10年1月 全国治水砂防協会創設
    • 昭和10年9月 利根川洪水
    • 昭和10年 小松 農業用トラクタG40(4.6t)を開発、軍用にも使われ、終戦までに421台を製造
    • 昭和10年 陸軍が九二式 5t 牽引車のディーゼル仕様(乙)を開発、東京自動車(旧石川島自動車)製九五式13t牽引車 1935
    • 昭和10年 陸軍が九五式 13t 牽引車(ホフ)甲を開発
    • 昭和10年 満州チチハル建設処にCATモータグレーダ導入
    • 昭和10年8月~13年9月 塚原ダム工事(宮崎県): 事業者は九州送電(株)、 戦前の日本最大のダム、堤高87m、堤長215m。 近代的機械化施工の先駆けで、600m3/日のコンクリート打設を実現、そのため硬練りコンクリート、可動式ケーブルクレーン打設(日立製9t×300m)、バイブレータを初採用。 資材は索道で運搬、細骨材は海砂を電動ラダーエキスカベータ(50HP、60m3/h)で採取し、電動エンドレストロリー(25HP)で運搬後、単線循環式架空索道(総馬力900HP)により40km運搬、工事用機械は総て国産
      本邦初の高塔式掘削機(タワーエキスカベータ)内務省新潟土木出張所 :建設機械史 1936
    • 昭和11年2月 2.26事件勃発
    • 昭和11年 本邦初の高塔式掘鑿機(タワーエキスカベータ)を内務省新潟土木出張所において設計製作、6月に公試運転、8月に手取川改修工事に投入・組立、9月から本格稼働。 鉄砲水による軌条の喪失、掘鑿機の被害を避けるために本機の導入が図られた。 バケット容量1.5yd3、往復最長距離:170m、前部鐵塔高:30m、後部鐵塔高:7m鐵道関門海底トンネル工事 昭和14年 :土木史跡
    • 昭和11年 神戸製鋼が、0.75m3電気ドラグライン30K型を開発、佐渡金山に納入。 その後国内向けに、内務省(新潟土木出張所)、三井鉱山、日鉄鉱業に50K等13台を出荷した。
    • 昭和11~19年 関門鉄道トンネル工事


    • 満鉄農事試験場トラクタ実働競演会に参加したG25、G40 :産業技術史 1937昭和12年5月 満鉄農事試験場(公主嶺)トラクタ実働競演会。
    • 昭和12年7月~ 日中戦争の発端となる蘆溝橋事件
    • 昭和12年 朝鮮・満州鴨緑江水力発電(株)設立
    • 昭和12年9月~18年 水豊ダム工事(鴨緑江)
      水豊ダム(鴨緑江)1943年完成 :土木史跡技師:久保田豊、  堤高106m、堤長900m、堤体積327万m3、有効貯水量76億m3、世界第2位の規模
      : 使用機械は、1.5m3電気ショベル3台、広軌軌道を採用し、150t機関車10台、5t機関車22台、1.5m3トロ106台を投入
    • 昭和12年11月 陸軍が野戦飛行場設定隊三隊を編成
    • 昭和12年~ 豊満ダム工事(満州:松花江第一発電所)豊満ダム1937~ :土木史跡豊満ダム CAT RD4
      技師:空閑徳平、堤高91m、堤体積210万m3:世界第3位の規模 使用機械:Bucyrus Erieの電気ショベル、CAT RD4他


    • 1938年 モータスクレーパ(Tournapull)の開発:R.G.LeTourneau(米)
    • 昭和13年6・7月 利根川洪水小松トラクタ D35 :産業技術史 1938
    • 昭和13年9月 塚原ダム(堤高87m)竣工
    • 昭和13年12月 利根川増補計画
    • 昭和13年 小松がCAT RD4をモデルに国産初のディーゼルトラクタD35(4.2t)を試作、15~17年に47台を製造
    • 昭和13年 神戸製鋼が1yd3ドラグラインを製造、内九八式4t牽引車 1938務省に納入
    • 昭和13年 陸軍が九八式 4t 牽引車(シケ)を開発
    • 昭和13年 満州チチハル飛行場に高木薫赴任

    • 昭和14年2月 小松が陸軍九八式 6t 牽引車(ロケ車)の試作に着手、小松 ロケ車(6t 牽引車) :軍用車輌16年1月に試作完了、優秀なため16~18年に149台を納入
    • 昭和14年4月月 日本発送電(株)設立
    • 昭和14年5月 ノモハン事件
    • 1939年9月~ 独軍ポーランド侵攻、第2次世界大戦勃発
    • 昭和14年 内務省新潟土木出張所にて、初のタワーエキスカベータ(1m3)を制作し、手取川改修に投入
    • 昭和14年 満州交通部黒河工程処で黒河、北安、孫呉、嫩江、訥河の各飛行場工事を開始、トラクタ×3、牽引ローラ×2、マカダムローラ×2、タンデムローラ×2、クラッシャ×4、コンクリートミキサ×2、アスファルト機械、モータグレーダ×1、トラック×2、レール5粁分、馬トロ

    • 昭和15年9月 日独伊三国同盟成立
    • 昭和15年9月 陸軍技術本部より北満湿地帯の軍用道路建設用車両の要求があり、小松が満州で稼働中のCATブルドーザを調査し、昭和16年9月に図面を作成。
    • 昭和15年 土工協機械化委員会が「工事用器具機械の使用年限と償却率」の会員アンケートを実施
    • 昭和15年末 久保田鉄工所が九二式八屯牽引車の製作開始、16年から生産開始

    • 昭和16年 内務省土木局を国土局と改称
    • 昭和16月7月 陸軍野戦飛行場設定隊を6個隊編成
    • 昭和16月8月 海軍施設本部を設置(建築局(内局)を解消。
    • 昭和16年 鉄道省がCAT D7を輸入、信濃川発電所2期工事 浅ヶ原調整池土堰堤工事に投入し、その絶大な威力に関係者は驚嘆した。


    • 昭和16年12月~20年8月 太平洋戦争
      昭和17年5月 海軍が占領したウェーキ島で、戦利品のブルドーザ、キャリオールスクレーパ、パワーショベル、モータグレーダ等を我が軍の飛行場設営隊が初めて目にするも用途が判らず放置。 捕虜の申し出により操縦させると数日で造成を完了、その性能に驚愕して海軍施設本部に報告、直ちに調査技師が急派され、一部を日本に持ち帰る。

    • 昭和17年初旬 関東軍63部隊で92式8屯牽引車をベースにブルドーザ(大連機械)、トウドグレーダ(満州三菱機器)、ロードリッパ(満州神鋼)、集材機(満州工廠)等を試作開始
      • 昭和17年冬 試作機完成
      • 昭和18年2月 満州は凍結しているので、南京郊外に輸送して実地試験
    • 昭和17年6月 関門鉄道トンネル下り線開通(世界初の海底トンネル)
    • 昭和17年8月 ガタルカナル、ニューギニアでの米海軍設営隊:Construction Battalions(C.B's→Sea Bees:海蜂隊)の機械化施工による航空基地建設能力に陸軍は驚き、急遽、ソロモン諸島で従軍するSee BeesのD4ブルドーザ :軍事史この懸隔を埋めるべく、東條陸軍大臣が「米軍は一週間で飛行場を設定している。日本軍は三日でこれを設定するよう研究せよ」と命じる。
      • 8月下旬から2週間余、柏飛行場において研究試験、主に抜根を研究
      • 9月 大日本航空技術協会に「第14部会第3分科会」を設置、重土工機械の研究に着手
      • 11月「作戦飛行場ノ急速設定要領二関スル件」を定め、設定装備を決定し、その開発・生産に着手することとした。撫順炭鉱の日立 120H :鉱山機械史 1942
      • 12月 航空本部が小松製作所と久保田鉄工に排土車(ブルドーザ)の試作を指示
    • 昭和17年12月 日立製作所が電気ショベル120H(3m3)を南満州鉄道(株)撫順炭鉱に納車

    • 昭和17~18年 海軍飛行場の急速設営の研究実験海軍 一型均土機(ブルドーザ) 初期型(小松G40に排土板装着) :建設機械史 1943を茂原、厚木、神ノ池、藤沢、沼津で実施
    • 昭和18年1月 本邦初のブルドーザとなる海軍発注の一型均土機(後に押均機に改称、5.5t)を開発、 G40(トラクタ)に油圧ブレードを装着(設計:山本房生)、最初の生産分6台はアッツ島に送るが、到着前に玉砕したため、キスカ島に揚陸した模様、終戦までに148台を生産
    • 昭和18年2月 海軍103設営隊が鹵獲建設機械による機械化施工で、ワクデ島飛行場を築城ワクデ島飛行場築城に使われる牽引式グレーダ :軍事史 1943
    • 昭和18年2月 陸軍が「飛行場設定練習部」を豊橋に創設、初代部長は築城本部長秋山徳三郎中将が兼任、練習隊長松田五四三中佐
      • 同月、旭川で雪上車・除雪車を使用して研究演習
      • 初夏に芦原で鹵獲機械の排土車(ブルドーザ)・削土機(キャリオール)による実用試験
      • 続いて夏の樺太で搭路研究演習に国産試作機を投入
      • 10月の伊那研究演習では排土車8台、削土機3台を使用、国産器材の生産も軌道に乗りつつあったが、故障が多く試作機の域を脱せず。
    • 昭和18年3月 金剛製作所が12yd3キャリオールスクレーパを製作。 しかし、これを牽引できるD7級トラクタはわが国にはなかった(泣笑)。 その後4m3級を製作。陸軍 ブルドーザ(トイ車) :建設機械史 1943
    • 昭和18年3月 小松が高速牽引車の図面を基に陸軍発注(17年12月)のブルドーザ:トイ車(11.5t)を試作(設計:山本房生)、翌年まで80台を生産

      英語は敵性語として排除の時代 :
      建設機械名も変な訳語が使われるが、例によって海軍・陸軍不統一で、別々の名称がつけられ、ブルドーザを陸軍が排土車、均土車、海軍が押均機、 キャリオールスクレーパは陸軍が削土機、海軍は鋤取車、 パワーショベルを陸海軍がそれぞれ、作壕機、掬揚掘削機と称する具合で、双方の連絡会議で、技術将校同士が英語名を使わなければ話が通じなかったという(^_^;)。
    • 昭和18年6月 陸軍が飛行場設定隊甲を4隊創設。 3個中隊編成(648名)、装備はブルドーザ5台、牽引車15台、トラック40台等。 乙編成は、基幹要員147名、軍属約1,000名、装備は牽引車2台、トラック15台。
    • 昭和18年8月頃 鐘淵ディゼル(日産ディーゼルの前身)城東工場で5tブルの試作機完成。260台を内示発注、戦局悪化で100台に削減され、実生産は70台位海軍 羊蹄式展圧機(シープフートローラ) :建設機械史 1943
    • 昭和18年9月 「外国建設機械型録集(掘削編)」を発刊、全6巻を20年3月までに上梓、300部限定配布。
    • 昭和18年夏~冬 米国建設機械特許集録(4巻を500部限定出版。
    • 昭和18年下期 海軍が機械化設営隊を前線に派遣。
    • 昭和18年10月 陸軍がニューギニアに飛行場設定隊甲4隊、乙10隊の派遣を発令
    • 昭和18年 鉄道院は新丹那トンネル工事の中止に伴い、トンネル技術の保全と機械化土工の研究・実験・実用化の目的で三島に熱海地方施設部土木機械実験場と鉄道教習所操機土木科を設置。 ガソリン機関車、蒸気ショベル、トラクタの教育の他、軍用牽引車改造ブル、ローダ、ルータ等の試作研究を行った。
    • 昭和18年 満州国重要国策第11項に「機械化土木対策如何」、協和会 科学技術聯盟に委託諮問(委員長:本間徳雄)、18年暮れに答申案

    • 昭和19年3月 陸軍が飛行場設定練習部を「航空基地設定練習部」に改称、教育・編成を担当。
    • 昭和19年4月 鐘淵神根工場で7.5tブルが完成。内示発注471台は戦局悪化で190台に変更、実生産は150台以下陸軍ブルドーザ(トロ車) :建設機械史 1944
    • 昭和19年5月 陸軍発注のブルドーザ、小松トロ車(6t)を試作(1台のみ)、後のD50の原型となる。
    • 久保田鉄工は、陸軍ハケ8t牽引車を利用作成。 羽田精機は、トラクタから新型を製作。 陸軍の6m3キャリオールを宮原製作所、帝国車両、日立製作所で作製。
    • 昭和19年5月 土木学会誌に「施工機械集輯」を掲載(米ENR誌1939年に掲載された200種の施工機械・器具を建設機械研究委員会が抄訳)
    • 昭和19年5月 日立製作所が排土車(ブルドーザ)15台を軍需省に納車
    • 昭和19年6月 海軍が横須賀・呉・佐世保・舞鶴の各施設部に教導設営班を設置
    • 昭和19年8月 鐘淵神根工場で15tブルが完成、内示発注50台であったが、戦局の悪化により3台の生産で終わる
    • 昭和19年8月 石狩川治水事務所 江別機械工場が独立し「土木機械工作所」となる
    • 昭和19年9月 関門鉄道トンネル上り線開通
    • 昭和19年12月 B29東京初空襲海軍 押均機(鐘淵デイゼル工業製ブルドーザ) :建設機械史 1944
    • この頃の海軍用トラクタは、鐘淵ディゼルを主体として、久保田鉄工所、羽田精機、加藤製作所、夕張製作所が製作
    • 昭和19年 東京重工業が初のドラグショベル(0.75m3)を製作、海軍施設本部に納入
    • 昭和19年 交通部外局に土木総局を新設し、第四科(機械課)設置、第一科(道路科)、第二科(飛行場科)、第三科(調査科)
    • 昭和19年 北満の建設機械を南満中央部に移動、最大規模の機械化部隊は東豊飛行場群建設に投入。 哈爾浜大連間高速度自動車道路の遼陽付近機械化施工部隊はエレベーティンググレーダ、牽引グレーダ、スクレーパ、トラクタ、プレイナ等を装備
    • 昭和20年2月 トヘ車試作完成

      昭和17年後半の米軍反攻後、航空基地急造の必要性を痛感し、建設機械の模倣による緊急開発を図ったが、見かけは兎も角、その性能差を克服できなかった。
      それでも、飛行場設営隊の緊急増設と機械化を図り、18年後半から前線へ続々と派遣するが、その装備の多くは敵潜の跳梁により海没し、戦力化を果たせなかった。


  • 日本の土工機械史 前夜
  • 日本の土工機械史 [ 明治期 ]
  • 日本の土工機械史 [ 大正・昭和前期(戦前・戦中)]
  • 日本の土工機械史: 戦後編
  • 日本ブルドーザ史

  • Reference:
      Books   → EarthMoverの本:歴史
      コマツ   → The KENKI Museum
      日立建機 → 沿革


  • 欧米建設機械史:建設機械誕生の歴史 -発明と技術革新-

  • 超大型建設機械の歴史
  • 世界の建設機械メーカ&商標
  • 建設機械の種類


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