建設機械の歴史: 過去から未来へ
日本の土工機械史 :戦後編 1
→ 戦前編:明治 大正 昭和初期
→ 昭和 30年代
→ 昭和 40年代 50年代 60年代
→ 平成初期 10年代 20年代
- 戦後:昭和20年代(1945.8〜1954)
- 昭和20年8月 終戦直後、運輸省に運輸建設本部を設置し、連合軍の進駐前に海軍施設本部の組織を移管、戦後復興に備える。
- 昭和20年9月 海軍施設本部野外実験所の施設を引継ぎ、運輸省運輸建設本部 技術員養成所とする
- 昭和20年9月 進駐軍によるGHQ一般指令第1号として全国の飛行場と航空施設の保持が命令され、飛行場改修工事が始まる。
- 昭和20年9月〜22年11月 羽田飛行場拡張工事着工
- 昭和20年 航空技研の解散にともない建設機械分科会(第14部会第3分科会)を大日本技術会の「建設機械化委員会」として継承
- 昭和20年11月 戦災復興院の設置
- 昭和20年11月 入間飛行場工事に米第8軍第5航空隊と第43技術建設大隊の所有建設機械を使用
- 昭和20年11月 戦後最初の機械化は農林省、食糧増産のために緊急開拓155万町歩機械化開墾(6000台)に乗り出す。 払下げのD6, D7, TD14, HD18の他、特殊物件(旧陸海軍手持ち)のトラクタを活用。 そして、小松、新潟鉄工、羽田精機、久保田鉄工、鐘淵ディゼル、三菱重工、加藤製作所、池貝自動車が国産化に乗出す。
- 昭和20年12月 九七式中戦車(チハ車)の砲塔を外し、排土板を装着した(更正戦車)ブルドーザを三菱重工等で製作開始。
- 昭和21年1月〜 伊丹飛行場改修工事
- 昭和21年1月〜24年10月 横田航空基地滑走路工事
- 昭和21年春 大日本技術会の発展解消にともない、(財)建設技術研究所に「建設機械化委員会」を移す。
- 昭和21年3月 復興院に特別建設部を臨時設置、これを受け4月に全国に戦災特別建設出張所を設置。
- 昭和21年4月〜10月 立川飛行場滑走路建設工事
- 昭和21年4月〜 北上川・利根川・信濃川上流・木曽川二期改修工事着工
- 昭和21年5月 GHQ指令で21年度予算に公共事業計画費60億円を計上
- 昭和21年5月〜10月 千歳空港滑走路建設工事
- 昭和21年6月〜 厚木飛行場改修工事
- 昭和21年8月 総理府に「経済安定本部」を設置
- 昭和21年 公共事業委員会設置
- 昭和21年 特殊物件土木機械を一般に放出
- 昭和21年12月 南海大地震
- 昭和21年 鉄道院三島土木機械実験場が熱海地方施設部三島工事区となり、機械化施工の単一機関として発足。
- 昭和21・22年 三菱重工が 3t トラクタTAA3型を200台以上生産
- 昭和21〜26年 山王海ダム工事
農地開発営団の事業で、東洋一のアースダムとして着工し、22年に農林省直轄工事に移管。 当初、緊急開拓用に軍用牽引車改造ブルを使用していたが、22年以降に放出された米軍払下げブルを使用、他にスチームショベル、エンドレス、索道等による機械化施工を実施、戦後初期の機械化施工となる。
締固めの機械化を研究: タイヤローラを初採用し、シープフートローラをウエーブローラに改造する他、タンピングローラ、フラットローラ、ジョンソンランマ等の各種転圧機を試した。
- 1947年 リアEg.の油圧式ゴムタイヤホイルローダを開発:Hough
- 1947年 トルコン駆動の大型トラクタを開発:Allis-Chalmers HD-19
- 1947年 Tournapullにパワーシフト装備:LeTourneau Model B
- 昭和22年4月 経済安定本部に建設局設置
- 昭和22年4月 GHQが覚書「内務省分権化に関する件」を提示
- 昭和22年4月 米軍がCAT D7等の払下げを開始。 内務省はブル12台、スクレーパ17台、クレーンショベル6台、トレーラ17台、トラック72台他を購入。 鉄道院には、ブルドーザ15台、ダンプトラック60台、ショベル、クレーン9台等を受入れ。
- 昭和22年5月 ブルドーザ工事(株)が大阪で発足
- 昭和22年6月 道路協会設立
- 昭和22年7月 ブラウン旋風のため機械化開墾計画は中止。
- 昭和22年9月 特別調達庁 事業局 建設機械直営課が発足、閉鎖される日本建設工業会の建機133台を引継ぐ。
- 昭和22年9月 カスリーン台風により関東地方が大水害
- 利根川が栗橋で決壊、東京都東部低地水没。 北上川も決壊大惨事。
- 復旧工事中の写真左は、河川土工の伝統的な軽便軌条の土工機関車牽引トロ、人の群れはタコで締固め作業中、敷均はD7
- 昭和22年9月〜 板付飛行場改修工事
- 利根川改修計画を改訂(栗橋地点で 14,000m3/sに、現在は 17,000m3/s)
- 昭和22年10月 小倉製鋼所がブルドーザKTA70を開発
- 昭和22年12月 内務省解体
- 昭和22年12月 小松がブルドーザD50の1号機を完成、日本建設工業会へ納入
- 昭和22年末頃 「建設機械工業会」発足、前身は土木機械統制会→土木機械工業会。
- 昭和22年 日本開発機(後の三井造船日開)が国産初のモータグレーダHA56を試作、北海道庁に1,2号機を納入。
- 昭和22年 建設機材研究会を設置
- 昭和22年 京浜国道改修工事に米軍貸与のブルドーザ、グレーダを駆使する
- 1948年 ホイルドーザの開発:LeTourneau Tournadozer
- 昭和23年1月 旧内務省土木局と復興院を統合し、建設院(総理庁外局)発足
- 昭和23年4月 山崎組(後の山崎建設)が福井で創業
- 昭和23年6月 福井大地震
- 昭和23年7月 建設省発足(建設院を省に昇格):運輸省運輸建設本部を吸収、技術員養成所も建設省工事本部所属となる。 建設省予算に建設機械整備費が計上され、進駐軍の払下げ機械購入、国産機械開発の育成を図る。
- 昭和23年9月 アイオン台風により北上川流域壊滅的被害、河川行政の抜本的見直し、治水優先
- 昭和23年11月 GHQが道路整備5ヶ年計画作成を指示
- 昭和23年 小倉製鋼がブルドーザKTC14t を開発
- 昭和23年 日本開発機がモータグレーダHA56を製作
- 昭和23〜25年 石淵ダム工事(胆沢川)
わが国初の石塊堰堤(ロックフィルダム)である、堤高53m。 盛立は軽便軌条で運搬し、29mリフトの投石射水工法により堤体畳築
- 1949年 ツインEg.スクレーパ(パワーシフト)を開発:Euclid
- 昭和24年1月 三菱日本重工がブルドーザBBU(9t)を製作開始、建設省に納入
- 昭和24年 建設省地建に機械整備事務所(モータプール:仙台、東京、名古屋、大阪、広島、松山、久留米)を設置
- 昭和24年 第1次砂防5ヶ年計画
- 昭和24年 日本土質基礎工学委員会(後の土質工学会)発足
- 昭和24年1月〜32年 竹田川改修工事 タワーエキスカベータ(40hpと50hp各1台)、ドラグライン(75hp)×4、ブルドーザ(45hp)×4、土工機関車×4
- 昭和24年3月 ドッジライン(超緊縮予算編成)を政府に要求、公共工事も査定予算1000億円が500億円に半減、建設機械整備費も11億円に圧縮。
- 昭和24年3月 「建設機械化協議会」発足
- 昭和24年5月 日立が純国産のケーブル式ショベルU05(0.5m3)を開発、建設省木曽川工事事務所に納入
- 昭和24年5月 建設業法公布
- 昭和24年6月 日本国有鉄道発足
- 昭和24年7月 地建、特別調達庁に配分。 技術員養成所(沼津)は土木研究所に合併、建設機械性能試験を始める。
- 昭和24年7月 月刊「建設の機械化」誌創刊(〜25年9月:10号迄新聞形式)
- 昭和24年7月 第1回建設機械展示会を新宿野外劇場で開催。
- 昭和24年8月 常願寺川に日立製タワーエキスカベータ(スラックライン掘削機の一種)2m3×2台を導入
北陸の急流河川の代表である常願寺川は、戦時中の河川改修休止により荒廃し、改修工事の再開が急がれた。 そこで、戦前(昭和11年)に北陸で製作され、手取川等に投入されたタワーエキスカベータの復活となった。
常願寺川には2台が追加され、27年迄に、急流砂利河川の河床掘削工法として、庄川、手取川、黒部川、九頭竜川、木曾川系藪川、雄物川(中州掘削)等に15台が投入された。 1〜1.2m3級は石川島で製作
- 昭和24年8月〜29年10月 戦時中断していた16年着手の農林省直轄の羽鳥ダム(福島県)の盛土を再開、年間施工日数100日の気象条件でアースダムの機械化を図る。 土取場にスラグライン、ブルドーザ(国産と払下げ)、ディーゼルショベルを新採用し、運搬にコンベア、索道、ディーゼル機関車を使用したが、新工法のショベル&ダンプ工法が威力を発揮した。
- 昭和24年11月 国鉄が東京操機工事事務所を設立。 総裁直属として全国の施工機械を集中し、機械化施工部隊を統括的に機動運用、三島・横浜に操機区を置き、国鉄の機械化施工のパイオニアとする。(昭和39年迄運用)
- 昭和24年 三菱重工がモータグレーダMGT(7t)を試作、翌年2月より生産開始。
- 昭和24年 池貝自動車がモータグレーダZSK3を試作。
- 昭和24年 日本開発機がモータグレーダHA40を試作。
- 昭和24年 日本輸送機が国産初のホイールローダSDA25(2輪駆動)を試作。
- 昭和24年 当時、ダンプトラックは、米軍払下げの油圧シリンダ式のダイヤモンド4t、GMC2.5t、シボレー等があったが、国産化が進められ、いすず4tを規格型として、犬塚・東邦・金剛などがGMC型のダンプボディを製作した。
昭和24年頃〜10年間 発電・洪水調節・農業用等のダム建設が活発化 |
- 昭和25年1月 三菱重工が財閥解体令により、3社(東日本重工、中日本重工、西日本重工)に分割。
- 昭和25年3月 初のトラクタローダ小松D50モビローダ。 積込はオーバヘッド式で、油圧モータでウィンチを回すケーブル式バケット制御。
- 昭和25年3月 油谷が0.5m3ショベル24-Aを製作
- 昭和25年3月 「路床土調査法」発刊(道路工法叢書 第8集)
- 昭和25年4月現在、建設省直轄建設機械は、ブル225台、スクレーパ63台、パワーショベル70台、ドラ46台、タワーエキスカ7台、ラダーエキスカ69台、ローラ208台、ダンプ99台等。
- 昭和25年5月 (社)建設機械化協会を設立
- 昭和25年5月 国土総合開発法の制定
- 昭和25年5月 建築基準法の制定
- 昭和25年6月〜28年7月 朝鮮戦争勃発
- 昭和25年6月 建設省建設機械課発足
- 昭和25年6月北海道開発庁が発足
「建設機械工作所」を改称発足
- 昭和25年9月 日立がU06を開発、U05を改良し、アタッチメント交換ができる万能掘削機とし、傑作機U106の基礎を築く、1号機を建設省最上川下流事務所に納車
- 昭和25年10月〜 月刊「建設の機械化」誌がタブロイド版(〜26年6月:20号)となる
- 昭和25年11月 小松がD80の生産開始
- 昭和25年11月 日本建設機械要覧を刊行
- 昭和25年 米軍が建機払下げを、朝鮮戦争で中断
- 昭和25年 土木研究所沼津技術員養成所に機械施工研究室を設立
- 1951年 世界初の油圧ショベルを開発:仏Poclain TU
- 昭和26年 巨額の財政投融資
- 昭和26年 経済安定本部が26年度予算編成にあたり「建設機械化3ヶ年計画」を策定
- @ 3カ年間に直轄事業の70%、補助事業の30%の機械化を目標に建設機械を整備する
- A 整備された建設機械の運営管理法式の確立
- 昭和26年3月 三菱BF1号機
- 昭和26年4月 マッカーサ軍司令官解任
- 昭和26年4月 河川総合開発事業開始
- 昭和26年4月 日本国土開発(株)設立、建機賃貸から出発
- 昭和26年4月 建設機械の新規取得優遇措置として、重要機械等の3年間5割増の特別償却制度が実施され、パワーショベル、モータグレーダ、アスファルトプラント、バッチャプラント等16機種に適用される。
- 昭和26年5月 電力再編成により、9電力会社発足
- 昭和26年5月 小松がD30の生産開始
- 昭和26年5月 札幌土木現業所機械整備事務所が発足
札幌土木現業所出張所大通モータプールと土木試験所機械研究室を合併して、歩兵台25連隊練兵場跡地に札幌土木現業所機械整備事務所(モータプール)を発足
- 7月 北海道開発局の設置に伴い、「札幌開発建設部札幌機械整備事務所」となる
- 昭和26年5月〜29年10月 国鉄信濃川水力発電・小千谷発電所調整池土堰堤工事(山本調整池): 戦後初の大規模機械化土工、施工速度max10,000m3/日、施工:東京操機工事事務所
堤長:954m、土工量160万m3、貯水量:103m3、表土掘削:12.4万m3、1.6km捨土運搬、池内掘削:45.4万m3、200〜500m運搬、基礎根掘:6.7万m3、心壁盛土:11.3万m3、内外面盛土:53.1万m3は池内掘削土流用と不足分を信濃川採取の切込砂利を索道運搬
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堤体盛立状況 |
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池内掘削:キャリオールとパワーショベル |
投入機械: ブルドーザ(D8, D7等)×20、ショベル系×8、ダンプトラック×65、12yd3ターナプル、12yd3キャリオール、ローラ×11(シープスフートローラは旧陸軍98式6t牽引車(ロケ車)で牽引)
- 昭和26年6月 神戸製鋼がDE型機関搭載の1.2m3級ケーブル式ショベルK35を製作
- 昭和26年6月〜 月刊「建設の機械化」誌が雑誌形式となる
- 昭和26年7月 (株)壺山組設立
- 昭和26年9月〜29年6月 丸山ダム工事: 堤高98.2m、堤長260m
戦時中断していた工事を関電が再開、間組が機械化施工を導入、コンクリート打設で5,180m3/日の世界記録樹立。
骨材採取にブルドーザ(東日本、小松、CAT)×5、キャリオールスクレーパ×3、ショベル(日立、ビサイラス)×7、いすずと日野製の8tダンプトラック×24を導入、ダム地点迄の1.5km輸送を200t/hと80t/hの索道を利用。
- 昭和26年10月 北海道総合開発第1次5カ年計画
- 昭和26年10月 小倉製鋼KTF-70を日本特殊鋼がNTK-7として引継ぐ
- 昭和26年 利根川築堤の機械化土工開始
- 昭和26年 当麻ダム着工、ダム工事にスクレーパ工法を導入、キャリオールとモータスクレーパを導入、ダンプトラックも大型化
- 昭和26年 建設機械製作所(東京流機製造の前身)が東洋工業のドリフタTY44を搭載した国産初のワゴンドリルKM-1を製造
- 昭和26年 神戸製鋼が米Allis Charlmars社とスクレーパで技術提携
- 昭和27年2月 小松D50-5
- 昭和27年3月 「企業合理化促進法」の施行により、電源開発事業の建設機械(パワーショベル、ワゴンドリル、バッチャプラント)に特別償却制度が適用される。 これは、緊急近代化が必要な重要産業の特定機械設備の取得初年度に、取得額の半分の特別償却ができる制度で、建設機械化を大いに促進する。
- 昭和27年3月 小松がグレーダGD25の生産開始
- 昭和27年4月 講和条約発効
- 昭和27年4月 三菱重工3社(東日本重工、中日本重工、西日本重工)が[三菱日本重工、新三菱重工、三菱造船]に社名変更。
- 昭和27年4月 特別調達庁の建設機械類を一括払下げ、業務も落札者の国土開発が継承
- 昭和27年6月 道路法改正
- 昭和27年7月 日特NTK-4
- 昭和27年7月 三菱がBBを大幅改良した、アングルドーザBB-W型の生産開始
- 昭和27年8月 神戸製鋼所が遊星歯車式巻上げドラムを有するショベル22Kを製造
- 昭和27年9月 電源開発(株)設立
- 昭和27年10月 小松がGD30の生産開始
- 昭和27年末 小松製作所が池貝自動車を合併
- 昭和27年 東日本重工がモータグレーダMGUを開発
- 昭和27年 日本開発機がモータグレーダHA46を開発
- 昭和27年 石川島コーリング(株)設立、 石川島重工と米Koehring社との合弁会社
- 昭和27年 サンドドレーン工法初採用
- 昭和27年 三菱日本重工がモータグレーダMGVを開発
- 昭和27年暮 幸知発電所(東電)の導水路トンネルにジャンボを投入し、わが国初の全段面掘削工法を採用(熊谷組)。
- 昭和27年 国鉄がCatトラクスカベータを輸入
- 昭和27年 北越工業がポータブルコンプレッサAM105(可搬式ピストン往復圧縮機)を建設機械展示会(日比谷)に出展、エアマンの商標も併せて発表
- 昭和27年頃 独Demag 1.53mショベルB315、2.3m3のB323を輸入
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- 昭和27〜30年 須田貝ダム工事において、マック15t積ダンプトラックを輸入、ダム本体掘削の他、骨材運搬に初採用。
- 昭和28年3月 小倉製鋼は住友金属工業と合併し、住友金属工業 小倉製鉄所となる。
- 昭和28年5月 小松がブルドーザ D120の試作完了、9月より量産開始。
- 昭和28年5月 日立ケーブル式ショベルU12を開発
- 昭和28年5月 ルターナのターナドーザ、スーパC 2台を国土開発が初輸入
- 昭和28年6月 神戸製鋼所がパワーショベルK35を開発
- 昭和28年6月 KVA(北上川総合開発計画)の石淵ダム(胆沢川)竣功
- 昭和28年7月 建設省土木研究所 技術員養成所を土木研究所 沼津支所と改称
- 昭和28年7月 日本開発機がオープントップ型牽引式スクレーパFA8型(6m3)を設計製作。 その後FA8S,FA8Kと改造され約100台生産される。
- 昭和28年8月 この時点で土工協会員32社の建設機械保有高(帳簿価格150億円、直近2年間の購入分65億円)
- 昭和28年9月 牽引式スクレーパCAT No.70とルターナLS(8yd3)との性能比較試験を土木研究所で実施
- 昭和28年9月 ブルドーザ土工計算尺を考案
- 昭和28年10月 日特が初の油圧フロントエンド型のトラクタショベルNTK4-SHS(0.75m3)を開発、ローダ普及の契機となる。
- 昭和28年11月 初の有料道路参官道路開通
- 昭和28年12月 小松がモータグレーダGD37の生産開始
- 昭和28年12月 石川島コーリングが1/2yd3ショベル205型を製作
- 昭和28年 朝鮮戦争終了に伴って、米軍横浜技術廠(YED)がブルドーザ(主にCAT D7)を約3,000台放出。
- 昭和28年 三菱日本重工がモータグレーダLGUを開発
- 昭和28年 千曲川(湯滝)の玉石掘削に日立製ドラグスクレーパを投入。 その後、嘉瀬川、筑後川でも使用した。
- 昭和28年 金剛製作所がオープントップ型牽引式スクレーパC-80(6m3)を防衛庁の発注で製作
- 昭和28年4月〜31年5月 電源開発(株)佐久間ダム:
- 堤高151m、堤長294m、堤体積112万m3、有効貯水量2.05億万m3、「大型土木機械の展示場」と呼ばれ、米アトキンソン社が本格的機械化施工を指導。 D8×20台、Eucrid 86FD他の15t ダンプ×45台、2m3ショベル(54B、93M)×7台、リンクベルト1.5m3ショベル×2、Ingersoll Rand FM-3/X71×8、Gardner Denver UMC/D99DT×8等を輸入
- 昭和28〜31年 野反ダム工事(17mリフト投石)
- 1954年 ターボチャージャをトラクタに装備 :Caterpillar D9
- 1954年 全油圧制御の油圧ショベルを完成:Demag B-504
- 1954年 オーバハング・ツインモータスクレーパの開発:Euclid TS-18
- 昭和29年5月 第1次道路整備5箇年計画
道路用建設機械の開発が進む
- 昭和29年 青函トンネル起工
- 昭和29年 土質工学会設立
- 昭和29年2月 通産省の工業化試験補助を受け、小松と三菱日本重工がそれぞれWD140とWH型のタイヤドーザを試作した。
- 昭和29年3月 三菱がモータグレーダLGUの生産開始
- 昭和29年3月 建設省土木研究所沼津支所(所長:斎藤義治)において、訓練中の日本産業開発青年隊を囲んだ座談会を実施。
- 昭和29年3月 (株)富島組設立
- 昭和29年4月 丸山ダム(木曽川)完成
- 昭和29年5月 「建設機械抵当法」公布、 50機種の建設機械が抵当権の対象に指定され、融資が可能となった。
- 昭和29年7月 小松ブルドーザ D50-7型生産開始、D50累計365台
- 昭和29年8月 小松が15tダンプのHD150の販売開始、佐久間ダム工事に納車
- 昭和29年8月 湿地ブルドーザを開発 :泥炭地用に三角シューを開発し、日本特殊鋼 NTK4に装備、 その後、一般軟弱地での有効性も確認される。
- 昭和29年9月 上記泥炭地用ブルドーザの公開実験を北海道開発局篠津運河開鑿工事で実施、楢崎産業海運が主催、建機協北海道支部が後援
- 昭和29年9月 建機協東北支部主催の第1回建設機械展示会が仙台レジャーセンター前広場で開催
- 昭和29年10月 小松がD50Pの生産開始
- 昭和29年11月 足尾砂防ダム(渡良瀬川)竣工
- 昭和29年 GNPが戦前のレベルまで回復
- 昭和29年 日野が12tダンプトラックZG12型を発表
- 昭和29年 三菱日本重工が三菱ふそうW26DHIW型 15tリアダンプトラックを製作
- 昭和29年 石川島コーリングが602A型ダンプターを製作。運転席が反転する構造の所謂シャトルダンプで、方向変換が不要なため短距離往復運搬に適している。
- 昭和30年代(1955〜1964)
- 1955年3月 Caterpillar D9を発表
- 1955年 T.T.ローダの開発:Caterpillar 933, 955, 977
- 1955年 Zバーローダリンケージを開発 :International Harvester/Hough
- 昭和30年2月 石川島コーリングが1.2m3ショベル605型を製作
- 昭和30年3月 生産性本部設立
- 昭和30年 土地区画整理法施行令公布
- 昭和30年4月 日立U03を開発
- 昭和30年5月 日立U16を開発
- 昭和30年7月 住宅公団・愛知用水公団・農地開発機械公団を設置。
- 昭和30年7月〜12月 土木学会誌が講座「建設の機械化について」を連載
- 昭和30年8月 丸磯組が磯部運送(株)から分離独立
- 昭和30年 10月:社会党が左右両派を統一、11月:自由民主党を結成により”五十五年体制”が誕生。
- 昭和30年10月 神戸製鋼がP&Hと1/2〜3yd3ショベル系掘削機で技術提携、これにより在来機15K〜75Kは製造中止。
- 昭和30年 日特が国産初のトルコン搭載ブルドーザ(20t)のNTK12を開発
- 昭和30年当時 ブルドーザを製造していたのは、小松・三菱日本重工・日特・岩手富士産業・北川鉄工所。(日立は33年参入)
- 昭和30年 三菱が通産省の鉱工業研究補助金を得て、世界初の4輪駆動トラクタのモータスクレーパWTS(4.5m3)を試作する。
- 昭和30年 防衛庁がモータスクレーパ国産化研究のためWooldridge社のTerra cobra TH090Bを輸入
- 昭和30年 神戸製鋼がHarnischfeger International Corp.(パナマ)と技術提携
- 昭和30年 住友機械工業が国産初のラダー型トレンチャを製作
- 昭和30〜36年 愛知用水事業
- 昭和31年3月 小松製作所がフォークリフトをベースにしたリーチショベル SD20の生産開始
- 昭和31年4月 日本道路公団設立
- 昭和31年4月 石川島コーリングが2.5yd3級1005型ケーブル式ショベルを製作
- 昭和31年5〜8月 ワトキンス・リポート
The roads of Japan are incredible bad. No other industrial nation has so
completely neglected its highway system. : Watkins
- 昭和31年7月 「経済白書」:もはや戦後ではない。
- 昭和31年8月〜38年6月 関電・黒四ダム工事(黒部川)着工、堤高186m、堤長492m、堤体積160万m3、
- 昭和31年9月 日立ブルドーザT14を試作、販売は33年から
- 昭和31年11月 間組がCat D9を輸入
- 昭和31年11月 「道路土工指針」初発刊(道路工法叢書 第10集)
- 昭和31年12月 名神高速道路 土工定規作成 :道路公団
- 昭和31年12月 雲仙道路着工、道路公団がに6tブルドーザ、0.3m3ショベル、5tダンプトラックを採用
- 昭和31年12月 小松がD120-5型でトルコンを初搭載
- 昭和31年 初のアーチダム 上椎葉ダム(九電:宮崎県)
- 昭和31・32年 神武景気
- 昭和31〜35年 岩洞ダム工事(10mリフト投石)
- 昭和31年〜46年 石狩川流域「篠津地域泥炭地開発事業」
29年8月に来日した世界銀行農業調査団の視察により事業決定、広大な泥炭地の農地転換は世界にも例のないパイオニア事業となる。
- 1957年 初の人工衛星の打上げに成功:ソ連
- 昭和32年1月 日立ショベルU106を試作、量産機で世界初の流体継手を採用、翌年から販売。
- 昭和32年初旬 日立がT14A型ブルドーザを製作
- 昭和32年4月 国土開発縦貫自動車道建設法の制定
- 昭和32年4月 土研沼津支所養成課が分離して、建設研修所建設研修部機械科となる
- 昭和32年4月 横浜新道着工: 道路公団が道路工事に本格的な機械施工を導入、13t級ブルドーザ、キャリオールスクレーパを投入し、品質管理に締固め管理を採用。 併せて国産・輸入機械の比較を行う。
- 昭和32年5月 技術士法の制定
- 昭和32年春 三菱日本重工がT51型6.5t ORダンプトラックを発表
- 昭和32年9月 三菱が防衛庁の発注により、ウーリッジ・タイプのモータスクレーパMS型を試作
- 昭和32年9月 横浜新道でサンドパイル工法を実施:道路公団
- 昭和32年10月 佐久間ダム完成
- 昭和32年11月〜37年3月 北陸トンネル工事
- 昭和32年12月 土の締固め基準、土工排水基準:道路公団
- 昭和32年12月 建設機械運転士規程を定め、建設機械を10種に分類、翌年から試験を実施
- 昭和32年12月 三菱BG型ブルドーザを製作、10型がトルコン、20型がダイレクトドライブ。
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- 昭和32年 名神高速道路工事着工
- 昭和32年 東洋運搬機がClark Equipment社(ベネズエラ)と技術提携
- 昭和32年 油圧リッパを国土開発が輸入、横須賀火力発電所工事の軟岩掘削に投入
- 昭和32年 2t振動ローラを国産
- 昭和32年 日本開発機が牽引式スクレーパFA12(9m3)を試作
- 昭和32〜39年 八郎潟干拓事業着工
オランダの海外技術援助機関:NEDECOの協力により全面干拓が進められ、排水ポンプ場の設置による80m3/sの機械排水によて可能となった。 ポンプ浚渫船、運土船、超湿地掘削機等を導入し、干拓堤防は2億m3の大土工となった。
- 昭和32年6月〜35年10月 御母衣ダム工事(床川)
初の大規模ロックフィルダム(堤高131m、堤長426m、堤体積795万m3)、ロック盛立は4mリフト射水工法
主要投入機械は、ブラストホールドリル:Bucyrus 50R×4、 ブルドーザ:D9×10、D8×22、D120×5、国産15t以下×6台、ターナドーザ(タイヤドーザ) LeTourneau Super C、 ショベル:Bucyrus 150B(6yd3)×4、54B(2.5yd3)×3、51B(2yd3)×2、Marion 111M(4yd3)×1、93M(2.5yd3)×3、Demag B323(3yd3)×2、日立、油谷(0.6〜1.2m3)×10、 ダンプトラック:Euclid 60TD(22t)×40、86FD(15t)×30、日野 ZG-12(12t)、ダンプター:コーリング×4、 グレーダ:GD37×6、LGU・V×3、 ルブリケータ:いすゞ(安全自)×3
- 昭和32〜36年 愛知用水事業着工
- 1958年 現代型OH.トラックの原型を設計:LeTourneau-Westinghouse Haulpak
- 1958年 電気駆動ホイルの開発:R.G.LeTourneau
- 昭和33年2月 日本開発機製造(株)がモータグレーダHA57を改造したHA58を製作
- 昭和33年3月 関門国道トンネル開通
- 昭和33年3月 黒四ダム工事大町トンネルが貫通
- 昭和33年3月 日立が純国産ショベルU23(2.3 m3)を開発、世界初のスピンターン車。
- 昭和33年3月頃 小松が油圧式モータグレーダGD37-4型を発表
- 昭和33年7月 日本開発機の牽引式スクレーパFA8シリーズがFA8L(7m3)に発展
- 昭和33年10月 名神高速道路(総切盛土2,700万m3)起工
- 昭和33年10月 黒部川第四ダム工事:本体掘削開始、
主要投入機械は、ブルドーザ: D9×3、D8×14、TD24×2、 ターナドーザ LeTourneau Super C×1
ショベル: Marion 111M(4yd3)×2、93M(2.5yd3)×3、P&H 955A×2、日立UL12(1.2m3)×3、神鋼35K(1.2m3)×2(1.2m3)、 ダンプトラック: インターナショナル ペイホーラ International Payhauler 95(22t)×26、マック Mack LVX 20.4t×2、ファウン Faun K20(20t)×2、CAT DW21-PR21(28.2t)×3、小松HD150-4(15t)×8の、日野 ZG-12(11t)×45、石川島コーリング 7.5tダンプタ×6、 グレーダ: LGU×2
- 昭和33年 道路公団がモータスクレーパ、タイヤローラ、グリッドローラ、振動ローラ、スタビライザ、ベノト掘削機等23台を輸入し、施工会社に貸与(名神、京葉・阪奈道路)。
- 昭和33年12月 東京タワー完成
- 昭和33年12月 山崎組が本社を大阪に移転
- 昭和33年12月 日特金属工業がターボチャージャ搭載のアングルドーザNTK12B(23t)を発表
- 昭和33年 相模工業が小松D80用牽引式スクレーパRS9(9m3)を製作
- 1959年1月 弾性波とリッパビリティの関係を発表:Caterpillar
- 1959年 フロントリフトアームのホイルローダの開発:Caterpillar 944
- 1959年 Caterpillar がターボチャージャ装着のD7Dを発表
- 昭和34年1月 ブルドーザ:三菱日本BE型(23t)、日特NTK6、小松D120(リッパ付)、 タイヤドーザ:小松WD140-2(18.8t)、 スクレーパ:相模工業RS6(小松D80用6.1m3)、ダンプトラック:小松HD70(シャトル式7t)を開発。
- 昭和34年3月 油谷が0.6m3ショベル24-BVを製作
- 昭和34年3月 タンデムローラ:渡辺機械13〜18.6t(3軸)、10〜12t、5〜8t、 タイヤローラ:日開HR50(50t)、渡辺14〜25t(油圧バネ式)、 自走式メッシュローラ:酒井工作MR(8t)、 振動ローラ:酒井SR3を開発。
- 昭和34年4月 東海道新幹線起工(新丹那トンネル東坑口)、新丹那トンネル工事は 〜39年1月
- 昭和34年4月 建設研究所建設研修部機械科が建設研修所沼津支所となる
- 昭和34年4月 北海道開発局「札幌開発建設部札幌機械整備事務所」が「建設機械工作所」の傘下に
- 昭和34年4月 トラクタショベル:日特NTK4B(0.95m3)を開発
- 昭和34年5月 重ダンプトラック:日野ZG13(13.5t)、ZH10(7t)、三菱T370(7t)を開発
- 昭和34年5月 日立ブルドーザT114を試作
- 昭和34年6月 首都高速道路公団発足
- 昭和34年6月 三菱がブルドーザBH型(33t、後のBD33)を開発
- 昭和34年8月 石川島コーリングがパワーショベル305型(0.6m3)を開発
- 昭和34年8月 日立ブルドーザT09を試作、35年から販売
- 昭和34年9月 伊勢湾台風
- 昭和34年9月〜 「建設機械の運営管理と経費の算定資料」:伊丹康夫著の発刊。 機械土工積算の座右の書となり、建設省積算基準(黄本)が公表されるまで改訂を続ける。
- 昭和34年9月 尼崎軟弱地盤試験盛土でバーチカルドレーン、サンドコンパクション工法を実施:JH
- 昭和34年9月 モータスクレーパEuclid S-7(トルコン)を建設省が輸入
- 昭和34年9〜11月 日本生産性本部が建設機械化視察団を欧米に派遣
- 昭和34年10月 小松がD250(33t級ブルドーザ)の試作完了、翌年7月より量産開始。
- 昭和34年11月 タイヤローラ:日開14〜27tを開発
- 昭和34年11月 モータスクレーパCAT 619+442を輸入
- 昭和34年 農水省八郎潟干拓事業の原石山(筑紫岳)でベンチカット工法を初導入、インガソルランドクローラドリルを投入。
- 昭和34年 Caterpillar社がD8H型を発表
- 昭和34年 小松がD50Sを開発
- 昭和34〜36年 岩戸景気
- 昭和35年1月 東洋運搬機が米クラーク社の技術導入により、日本で初めて四輪駆動ホイルローダ85A(1.3m3、85PS)を生産
- 昭和35年1月 サイドダンプ式トラクタショベル:日特NTK4、三菱BS30、 日特NTK6用バックホウアタッチメント(0.28m3)を製作
- 昭和35年2月 タイヤローラ酒井工作TR4113(13〜25t)製作
- 昭和35年3月 治山治水緊急措置法公布
- 昭和35年4月 建設省土木研究所千葉支所開設、機械施工部発足
- 昭和35年5月 名神高速道路 土木工事共通仕様書制定
名神の建設費は、一部が世銀からの借款のため国際入札となり、工種等の定義や仕様がきちんと規定され、単価契約方式となった。 仕様書はカリフォルニア州の仕様書を参考にし、総則(契約関係)は米軍(沖縄)のCorps
of Armyを参考として作成。
- 昭和35年5月 路床・路盤検査にプルーフローリング測定法を導入:JH
- 昭和35年7月〜 池田内閣発足、「国民所得倍増計画」を推進、その後の高度成長期へ。
- 昭和35年7月 地理調査所を国土地理院(建設省)と改称
- 昭和35年8月 新三菱重工がCaterpillar社に技術提携を打診
- 昭和35年10月 モータスクレーパ輸入:Allis-Chalmers TS360(平14m3)を矢作建設が輸入した他、CAT DW21+470、619+442、LeTourneau Tournapull C型等多数を輸入
- 昭和35年10月 タイヤローラ:川崎車両KR30、新三菱12〜25t(アルバレ提携)製作
- 昭和35年11月 モータグレーダ三菱日本LGU-H製作
- 昭和35年12月 水谷建材(株)設立
- 昭和35年 新三菱重工神戸造船所が建設機械の専門工場として、明石工場を建設。
- 昭和35年 貿易為替の自由化拡大方針、 ブルドーザは昭和39年迄に全機種輸入自由化
- 昭和35年 三菱日本重工がBD2(2t)を製作
- 昭和35年頃〜 名神高速道路、都市内高速道路、東海道新幹線、東京オリンピック等の工事で軟弱地盤処理工法、基礎工事用機械が飛躍的に向上
- 昭和36年1〜3月 2級建設機械施工技術検定(第1回)実施
- 1961年4月 初の有人宇宙飛行(ボストーク71号):ガガーリン(ソ連)
- 昭和36年2月 CAT D9E(37.5tリッパ付ブル)を国土開発が輸入
- 1961年3月 日本鉄道建設公団設立
- 昭和36年3月 湿地ブル日特NTK6(14t、0.27kg/cm2)を製作
- 昭和36年3月 32t級リッパ付ブルドーザ:小松D250、三菱BD33Tを開発
- 昭和36年4月 Caterpillar社が資本進出のため来日
- 昭和36年 建設機械経費積算基準制定
- 昭和36年6月 新三菱重工が仏SICAMH(シカム)社との技術提携(35年)により初めて油圧ショベルを国産化:Y35(0.35 m3)、1号機を戸田組に納入。 その後、各社で海外メーカとの技術提携が進む。
- 昭和36年6月 旭建機がタイヤローラ8〜15tを製作
- 昭和36年6月 Euclid C6(23tブル)を国土開発が輸入
- 昭和36年6月 日立U112を開発、翌年から販売
- 昭和36年7月 ベルトローダ米コールマン社製303型(20t)を鹿島建設が輸入
- 昭和36年8月 小松がマルA対策本部を設置
- 昭和36年9月 東洋運搬がホイルローダ125A型(1.7m3)を試作、小松がツーウェイローダD50L(0.8m3)を製作。
- 昭和36年10月 日特がバケットドーザNTK4WHE(8.4t)、石川島コーリングがスクーパ205型(1.6m3)、日立が電気ショベルU23(2.3m3)を製作
- 昭和36年10月 小松カミンズ販売(株)を設立
- 昭和36年11月 日本開発機が大型スクーパFA14(平11m3)を製作
- 昭和36年11月 International TD25を熊谷組が輸入
- 昭和36年12月 軟弱地盤にプレロード、サーチャージを施工:JH名神・大垣
- 昭和36年12月 RI法による盛土品質管理:JH名神試験場
- 昭和36年12月 路面凹凸測定プロフィルメータを開発:JH名神
- 昭和36年 日本車輌が独Menck & Hambrock社とスクレープドーザで技術提携
- 昭和36年 川崎車輌が独Scoopmobile Machinen G.m.b.Hとショベルローダで技術提携
- 昭和36年 浦賀重工業が米The Shew Shovel Co.とモートローダで技術提携
- 昭和36年 古河鉱業が独Friedrich Wilh Schwingと旋回ショベルローダで技術提携
- 昭和36年 固定資産の耐用年数改定、特別償却制度の大改定により、建設機械の耐用年数、租税特別措置法に基づく建設機械の特別償却の範囲拡大が実現。
- 昭和36年 4t振動ローラを国産
- 昭和36年 9m3モータスクレーパ三菱MS10型を試作
- 昭和36年 須磨でベルトコンベア&バージラインによる土砂搬出・埋立事業を開始
- 昭和36年 北陸トンネル貫通
- 1962年 アーティキュレート式ホイルローダを開発:Euclid Division L-20, L30
- 1962年 CAT 769を開発、オイルディスクブレーキを採用
- 昭和37年2月 日立重ダンプトラックDM15製作
- 昭和37年3月 日立スクープショベルU03、神戸製鋼3.8m3電気ショベルP&H1400製作
- 昭和37年4月 日立5m3スクレーパ製作
- 昭和37年4月 小松がD60A、D60Sの生産開始
- 昭和37年4月 国鉄東京操機工事事務所の横浜操機区を廃止、 東海道新幹線工事に職員を転出
- 昭和37年5月 水資源開発公団設立
- 昭和37年5月 阪神高速道路公団設立
- 昭和37年5月 Caterpillar社が新三菱重工との合弁会社設立を発表
- 昭和37年6月 トレンチャ(バックアイ307型)を農地開発機械公団が輸入
- 昭和37年7月 ホイル式トラクタショベル:川崎車両スクープモビールH型、三菱日本WS20、 スイングショベルローダ:小松SW20を製作
- 昭和37年7月 Euclid TS12をブルドーザ工事が輸入
- 昭和37年8月 英バンフォード社エキスカベータローダJCB3、LeTourneau製ハンコック式エレベーティングモータスクレーパD型を輸入
- 昭和37年9月 新丹那トンネル(東海道新幹線)貫通
- 昭和37年10月 全国総合開発計画(拠点開発)
- 昭和37年10月 日本車輌がMenck社からの技術導入により、スクレープドーザ(SR62)を初国産
- 昭和37年 三井三池製作所が独Ahlmann Kahlschitk KGとスウィングショベルローダで技術提携
- 昭和37年 油谷重工がAtelier de Poclainとスウィングショベルローダで技術提携
- 昭和37〜43年 九頭竜ダム工事: 堤高128m、堤体積630万m327t ダンプトラックLeTourneau-Westinghouse LW30を導入、投石射水工法による傾斜コア型ロックフィルダム。
- 1963年 Allis-Chalmersが世界最大のブル HD41(70t, 524HP)を試作、ラインナップは1970年。
- 昭和38年1月 ホイルローダCAT 944を熊谷組が輸入
- 昭和38年1〜3月 1級建設機械施工技術検定(第1回)実施
- 昭和38年3月 鉄道建設公団設立
- 昭和38年3月 東洋運搬機がホイルローダ125Aを製作
- 昭和38年4月 川崎車両が国内初のアーティキュレート(車体屈折式)ホイルローダKLD5Pを製作
- 昭和38年6月 名神高速道路(尼崎〜栗東)が開通
- 昭和38年6月 山崎組を山崎建設(株)と改組・改名
- 昭和38年6月 キャタピラ三菱(株)を設立
- 昭和38年6月 小松が米Bucyrus-Erie社と技術提携
- 昭和38年6月 石川島コーリングがパワーショベル1000型を製作
- 昭和38年6月 重ダンプトラックEuclid 95FDを前田建設が輸入
- 昭和38年7月 新住宅市街地開発法の制定
- 昭和38年7月 西独ボマーク 小型振動ローラ BW75を輸入(マイカイ貿易扱)
- 昭和38年7月 ホイルローダEuclid L20を前田建設が輸入
- 昭和38年8月 油谷重工が仏Poclain社との技術提携(37年)によりTY45を製作。
- 昭和38年8月 小松が米James S.Robins社と技術提携、12月からTBM製造開始。
- 昭和38年9月 日立が17tブルドーザT13を製作、10月発売
- 昭和38年10月 浦賀重工がホイルローダML200を製作
- 昭和38年10月 鹿島臨海工業地帯の起工
- 昭和38年11月 CAT 977H、922B、LeTourneauキャリオール14〜20yd3を輸入
- 昭和38年12月 岩盤の弾性波速度による評価:JH名神・栗東〜関ヶ原
- 昭和38年12月 関東ロームの機械化土工:JH第三京浜道
- 昭和38年 三井造船が米Eimco社と技術提携
- 昭和38年 日本製鋼所が独O&K社と技術提携
- 昭和38年 住友機械工業が米Link Belt社と技術提携
- 昭和38年 三菱重工がLibe Shovel Co.A.B.(スウェーデン)とトラクタショベル用バッケトで技術提携
- 昭和38年 汽車製造が英J.C.Bamford Ltd.とエキスカベータローダで技術提携
- 昭和38年 住友機械工業が独Reinsthal Hanomag A.G.とトラクタで技術提携
- 昭和38年 小松製作所が独Salzgitter Maschinen A.G.と技術提携
- 昭和38〜42年 名阪国道工事
- 1964年 電気駆動OH.トラックの開発:Unit Rig M-85
- 昭和39年1月 新三菱ユンボY100、日本製鋼O&K RH5を製作
- 昭和39年2月 厚木試験盛土でペーパドレーン工法を実施:JH
- 昭和39年3月 青函トンネル調査坑掘削開始
- 昭和39年4月〜44年10月 鹿島港工事着工
鹿島灘に掘込港湾を作り、周辺を臨海工業地帯に開発する。 まず、中央航路を開削し、北航路・南航路に切拡げる。 土工量は1億2000万m3となり、ピーク時2000万m3/年の大土工に初の連続土工システム(BWE+ベルトコンベア+シフタブルコンベア+スプレダ等)を導入する。
- 昭和39年5月 日立が油圧ショベルUH03を試作、翌年から販売
- 昭和39年6月 新潟地震
- 昭和39年6月 三菱3重工が合弁、三菱重工が発足。
- 昭和39年6月 小松ビサイラス22Bを製造
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- 昭和39年6月 呉造船がスイングショベルデルタU(仏ボンディ社提携)を製作
- 昭和39年6月 米メカニカルエキスカ社BHE 500型を熊谷組が輸入
- 昭和39年7月 新河川法公布、一級・二級・準用河川に区分。
- 昭和39年8月 小松D60Sを開発
- 昭和39年9月 石川島播磨100BWE試作
- 昭和39年10月 東海道新幹線開業
- 昭和39年10月 東京オリンピック
- 昭和39年10月 建設機械化研究所を開所
- 昭和39年10月 超湿地ブルドーザ日特NTK4(7.9t、0.11kg/cm2)を製作
- 昭和39年11月 キャタピラー三菱の本社工場を相模原に建設
- 昭和39年11月 住友機械リンクベルトLS78、日本車輌ユニショベルUSC05
- 昭和39年12月 国鉄 東京操機工事事務所が国鉄機械化施工のパイオニアの役目を終え、東京第二工事局に吸収統合され、その操機部となる。 主力機械の米軍払下げ機械の老朽化に伴うもの。
- 昭和39年 三菱重工が米Marion社とパワーショベルで技術提携
- 昭和39年 大塚鉄工が米ヴァーミヤ(Vermer Mfg,Co.)とトレンチャで技術提携
- 昭和39年 「雪寒地域建設機械整備費」が建設省で予算化
除雪機械の開発が本格化
トラクタショベルが増加。
30年代末〜40年代初頭に大都市近郊丘陵地にニュータウン造成
千里・泉北NT、多摩・千葉・港北NT |
→ 日本の土工機械史 [ 昭和40年〜平成 編 ]
- 日本の土工機械史
- 欧米の建設機械史:発明と技術革新
- 建機メーカのアライアンス(建機メーカの変遷と趨勢)
- 土工機械のモンスター達(建設機械大型化の歴史)
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