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パラオ旅行記
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 9/23 PPRにも行ってみた

PPRのエントランス 着いた時は天気良かったのに

PPRに行く途中で見えたホテル クリフサイドホテル
パラオのリゾートホテルは何と言ってもパラオ・パシフィック・リゾート(PPR)だろう。という、PPRファンは多いようで、ならば一度は見てみなければと、PRRに宿泊しながらPPRに行くことにした。
PPRとPRR実にややこしいじゃないか。

天気は小雨がちらついていて、止むのか降るのかどうだかわからないような状態で、晴れてくることを期待しつつ、タクシーに乗り込んで出発。
タクシーはトヨタマークUで日本で言う中古車だったが、内装もきれいにしてあり、スムーズな動きで快適に動き出した。

タクシードライバーはやはり地元パラワンだったので、早速晴ちゃんのパラワントークが始まった。浜ちゃんの脳ではパラオ語は既に消えつつあって、話を振られるとヒヤヒヤだった。笑ってごまかせ!

すぐに運チャンとも仲良くなり、回りのガイドをしてくれていた。浜ちゃんは車窓をチラチラ見ながら写真を撮っていると、いきなり車を止めた。写真をじっくりとりなよ、って事らしかった。
良く話を聞くと、戦時中の米軍の飛行機の残骸や、日本軍の砲台があるそうで、それを撮ったらどうかと教えてくれていた。…が、生い茂る葉に隠れているのか指し示してくれているのに、どれが被写体なのか結局わからなかった。
芸者通りといい、パラオには戦争の残したものが当たり前にあちこちにあるということだ。

車に戻ると戦争の話になり、浜ちゃんたちが気になっていた、パラオの人たちは戦争についてどのように考えているのかを聞いてみた。

戦時中、日本はパラオに南洋庁を置き、環太平洋地域に進出していた。日本は現地の人たちに日本語や日本文化を教え、病院や鉄道を作ったり「良いこと」もしたが、大きな目で見れば、小国日本が環太平洋地域への覇権獲得を狙っていたという「悪いこと」もしていた。

今、日本の中ではパラオも含めて日本が侵略をした過去を罪業のようにひとくくりにして単純化して見てしまっている。一方、パラオに遊びに来た人たちはパラオは日本の協力で進歩したという。
どっちが正しいのか…

運チャンが話していたことは総じてこうだった。
ドイツやイギリス、アメリカはパラオからいろんなものを持って行った。日本はパラオを守り、育ててくれた。
ひょっとすると、日本人観光客相手のリップトークだったかも知れないが、パラワンの口から直接そういう思い聞けてほっとした。

侵略したことも事実、育てたことも事実。
良いことも、悪いこともあるということで、事実を事実として受け止め未来に活かす事が大切ということですね。

因みに、パラオへの物資がグアムから入ってくることや、パラオで育ってグアム・サイパンで働くという生活構造もあって、アメリカに対しては親しみは持っているように感じた。

 朝食バフェはギリギリでもたっぷり食べて♪
PPRの朝食
PPRの朝食バフェ (写真はパクリ、すまぬ)
PPRの朝食バフェを堪能して、PPRのプライベートビーチで遊び、PPRの施設を見て回ろうというお出かけプランだ。

タクシーを降り、PPRのレセプションのホールを見上げると… 暗かった。
目が馴れないせいもあるけど、もうちょっと明るくしてよぉ〜
レセプションでビジターとしてバフェを食べに来た旨を話すと、手続きをして早速レストランの方に通された。

しかし、到着時間がギリギリ! レストランのスタッフが食べ終わるまで待ってるからOKと言ってくれたので良かったが、ここでたっぷりおかわりしてお昼の分までゆっくりしようと思っていた計画に暗雲が…

そうは言っても、バフェはしっかり食べて、しっかりのんびりさせてもらった。雨は上がって時折陽が差すのもみえる場所に席を取ってゆったりした時間を使って、ゆったりしたお腹になった。

晴ちゃんはフルーツテーブルのスタッフと、どれがおいしいの?から始まり、どこから来たのかとか、いろいろ話したそうで、中々テーブルに戻ってこなかった。フルーツテーブルのスタッフはフィリピン人だそうで、出稼ぎにきているとのこと。パラワンだと思っていたらフィリピン人だったということは、意外と多いのかもしれない。

 ビーチに出てみた

快晴のビーチはこんな感じ(のはず)

暴風雨のPPRはこんな感じ
PPRのプライベートビーチはプールの向こうで白砂にビーチチェアが規則正しく並んでいる。その向こうはずっと広がる海で雄大な感じだ。

パームツリーが作っている木陰も涼しげでリゾートらしい雰囲気を盛り上げている。

日よけつきのチェアにはクッションもあって快適♪快適♪。早速シャツを脱いで海に入ってみれば、魚たちも元気に泳ぎまわっていた。風が強いために波があって沖の方までは行けなくて残念。波があるところを泳ぐのは結構疲れるし、なんだかあまり進みません。

とは言っても、ビーチに近いあたりでも身長+αくらいの水深はあった。泳ぎながら水中を見回していたらいつの間にか、グルグル回る魚たちに取り囲まれていた。「魚に巻かれる」体験はダイビングをしたことのある人なら経験してみたいことのひとつなのに。思いの外ここで初体験してしまった。

水底にはおおきなシャコ貝がゴロゴロしている。
浜ちゃんはこのシャコ貝はあんまり好きではない。シャコ貝に足が触れて貝に足を「噛み付かれ」たら水死しそうな気がするからだ。実際そうして水死することはあると聞いたこともあって、恐るべしシャコ貝なのだ。

少しだけ沖合いを遊んでた頃に尻具合が悪くなって…
と言う話はやめておきましょうか。まぁ、面白いんだけどね。


ビーチに戻って来たころに、雲行きが怪しくなりとうとう雨が降ってきた。
スコールだろうからすぐに通り過ぎるだろうくらいに思ってたのに中々あがらない。薄曇る海を眺めながらぼぉぅっと海を眺めているのも、パラオでの時間を振り返ったりしながら何かちょっと楽しい気分だった。
そのうち、ビーチチェアの屋根になっていた部分が濡れてきた。布でできているので仕方のないこと、ポタリポタリと雨漏りもし始めた。
陽射しもある、雨もある、そんなパラオが楽しめて、やっぱり何か楽しい気分だった。

雨はあがる気配なく、着替えて建物に戻るとものすごい嵐になってしまった。窓は閉じられて、雨で見えなくなっている外の様子を眺めていると、まさに嵐で強い雨風が容赦なく吹きまくり、椰子の葉が激しくゆれ、中には風で飛ばされていた。えらいこっちゃ。

PPRの宿泊棟やお土産屋さんを見ながら天気の回復を待ってみたけどやっぱりダメ。まぁ、特別見るものもなさそうなので、PPR体験は終わりにすることにした。


 PRRは十分堪能させていただきました
大雨の中PRRに戻った。
大雨でがっかりかと言ったら、意外とそうでもなく、ホテル滞在そのものが良く楽しめてよかった。

戻ってからはランドリーで洗濯機を回して、お風呂に入って…
PRRはデジタルテレビで映像もきれいだし、何チャンネルあるのかと思うほどたくさんの放送が映っていた。日本語放送はNHKの衛星放送だけで、英語・中国語・韓国語のチャンネルをガチャガチャ切り替えながら見ていた。

どこの国でも共通しているのか、日中時間帯はショッピング番組が多い。その内容もダイエットものが一番多い。因みに日本ではよく見る「ふとん」は出てこない(笑)

たぶん台湾の放送じゃないかと思うが、ダイエット商品の宣伝で、これを食べたら「何キロ痩せる!」と書いてあるところが、「○○斤!痩身!!」のように書いてあるのが笑えた。
一斤二斤…はパンの数え方くらいしか思い当たらないが、中国伝来、日本古来かの尺貫法で、一斤は食パンの長いヤツで600g相当だそうだ。なるほど、ぽよんとしたおばちゃんのはみ出た肉は5斤くらいかなぁ。
二十何年も前に、初めての海外旅行でアメリカに行った時、モーテルのテレビでダイエット番組を見ていて、アメリカじゃこんなにダイエットブームなのかと思ったのを思い出したが、もうこれは地球規模のダイエットブームなんですねぇ。
世の中の全ての富はウンコになる、と誰かが言ってたらしいが、ぶよぶよ肉にもなるんだよねぇ。

 アフタヌーンティ
午後は晴ちゃんの企画でレストランにアフタヌーンティをしに行った。
紅茶とケーキ・ケージ(?)に入ったいくつものケーキをのんびりと食べておいしかった。
外の天気は曇り勝ちで、降ったり止んだり…


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