トカラ列島 旅行記 野宿しながら約一ヶ月かけて島々を巡った旅の話です!
曇り時々雨のち晴れ。
岩石調査も終わり暇になった琉大の松本君を誘って青い土を探しに行く。
砂蒸し温泉の上の低い尾根から始まる地獄に入り込む。
それを越えると小さな谷一つが膿んだ傷口のようにただれている。
さてと青い土はどこにあるのやら?
いたるところにガスと蒸気の噴出孔があり、あたり一面硫黄の臭いが充満している。
黄色や緑色と様々な色合いに変色した、今にも崩れそうな急斜面を行ったり来たりするが
肝心な青い色をした土が見つからない。
急斜面沿いに砂蒸し温泉と温泉センターの中間ぐらいまで戻ると、
木々の中に小ぶりだが硫黄が吹き出ているところがあり、一ヶ所グツグツと熱い湯が
豊富に湧き出ていて、どうやらここから温泉センターに引き湯しているようだ。
このすぐ下にはかって露天風呂だった跡が数ヶ所ある。
結局のところ青い土は見つからなかった。
あとでもう一度場所を尋ねると、温泉が流れ出している所の下を
掘らないと出てこないそうだ。
悪石島に行く人はぜひ青い土を探してみてください。
ここまで来たんでひと風呂浴びようと温泉センターに寄っていく。
露天風呂なら開放的で自然な感じで入れるが、内風呂を男同士二人っきりで
入るっていうのもなんかすごいものあるなあ〜。
だが残念なことに温泉は止まっていて湯は冷めきって入れる状態ではなかった。
そこへパタリロアンパンマンが軽トラに乗ってやってきた。
いつも行っている磯が、今日は海が荒れていて釣りが出来なく
諦めて温泉に入りに来たそうだ。
まったくのグッドタイミングだ。
まるで無線タクシーでも呼んだようだ。
現状を話し、みんなで軽トラに乗って集落へ戻る。
午後から宮永宗市さんを訪ねた。
「こんにちは!」
と言いながら家の中を覗くと、薄暗い部屋の中から宗市さんが現われた。
その姿はゲゲゲの鬼太郎に出てくるような風貌だった。
噂に違わず耳が遠く、僕の質問はすべて紙に書いて見せた。
宗市さんはしっかりと答えてくれるが、広さんより方言が強く早口なので
僕はなかなか理解できない。
そして広さんと同様に話し始めたら止まらない。
夕方、宗市さんの同居人のコジローさんが帰ってきた。
仕事中に腕を怪我をして診療所で手当てをしてもらったようだ。
宗市さんはコジローさんを目の前に座らせて、
怪我をした腕をさすりながら呪文を唱えた。
目の前で奇跡が起こるのかと思ったが、
瞬間に治るわけではなく、こうすることによって
痛みが和らぎ傷の治りが早くなるそうだ。
宗市さんはけっこう人使いが荒く、
僕にコジローさんの服を着替えさせ布団を引かさせ、
食事を温めさせてそれをスプーンで食べさせた。
僕から見てたいした傷ではなかったので甘ったれるなよと思ったが、
まあしかたがないのかな。
宗市さんは中村荘で夕食を済ませたらまた来て今夜は泊まっていけという。
僕は面白い話を聞きたい反面、妖術をかけられて知らず知らず
頭を洗脳されたらどうしようかなんて真剣に考える。
テントに戻ると今度はスポンジタワシをカラスに食べられてしまった。
風にでも飛ばされたんじゃない?
と言われそうだが、粉々になったスポンジタワシの細かいカケラが
いくつか落ちているのでこれも間違えない。
中村荘に夕食を食べに行く前に明日の船のキップを買う。
明日の便は奄美大島行きで翌日、吐喝喇列島に戻ってくるので
その一泊を宝島にあてて、最終地は小宝島にする。
宝島を一泊というのは短いけれどしょうがないなあ。
悪石島ー宝島 1580円也。
話し変わって、悪石島には小さな商店が1軒だけあるが、
この前の上り便で店主が鹿児島へ行って店を閉めてしまったので
初日にウメジュースを買っただけであとは何も買っていない。
夕食の後、まだ直っていないんじゃないかと心配しながら温泉に行くが
ばっちりと熱い湯が入っていて悪石島最後の温泉を楽しむ事が出来た。
「ボゼが出っどー! 遠くの者は耳で聴けー! 近くの者は目でも見ろー!」
裸電球ひとつの薄暗い部屋の中で、
輝きのない眸子を遠くに見据えた宗市さんは独り言のように呟いた。
僕は宗市さんの目を見て話を聴いているが、僕の視線は宗市さんの眼球の
表面で止まることなく、そのまま奥へ奥へと吸い込まれてゆき、
はね返ることなく非現実の世界へ突入して宗市さんの口から止めど流れ出る
言葉を理解しようとする機能が停止して、言葉は意味不明な呪文となり
僕の頭の中を駆けめぐった。
そして、僕の意識はメビウスの輪の一点に腰をおろし、空港のベルトコンベヤーに
乗った引き取り手のない荷物のように
非現実の世界と現実の世界を行ったり来たりしている。
午前1時すぎにほとんどワンウェイの会話は終わった。
テントに帰ろうとしたが泊まっていけと強く言うので泊まることにする。
お世辞にもきれいとはいえないシミだらけの湿った布団と
ドロドロとした感触の枕は閉口したが我慢して眠る。
午前6時半起床。
そそくさと退散しようとしたが、
「めし喰ってけ!」
と蒲団の中から宗市さんの声がした。
あっ、見つかった。
めんどくさいと感じながら台所で一番手っ取り早く
食べれそうなそうめんを湯掻いて、残っていた味噌汁を温めて
それをめんつゆ代わりにして食べた。
立つ鳥跡をを濁さずとばかりにきれいに後片付けをして、
丁寧に礼を言って退出した。
自分から入り込んだのにわがままな僕は一宿一飯の恩義を感じる前に
煩わしいという気持ちが大きくなっていて、とにかく早くこの場所から離れたかった。
テントへ戻る前に中村荘に寄ると、おばちゃんが朝食をサービスしてくれるという。
今さっき宗市さんの家でそうめんを食べたばかりだというのに腹一杯ごちそうになる。
なんとおぞましい人間なんだろう。
いい人ぶっても化けの皮を剥がせば汚らしい自分が見えてくる。
やだやだ。
荷物をまとめ、世話になった人たちにあいさつ回りをして、
石井さんの運転する軽トラに中村荘一同と一緒に乗り込み波止場へと向かう。
この下り便の「としま」に松本君も同乗して奄美大島で別の船に乗り換えて沖縄へ帰る。
パタリロアンパンマンの石井さんは僕たちがいなくなるというのに
寂しがるどころかヘラヘラ笑ってご機嫌だ。
しかもなぜか髪に油をつけて七三にわけていつもよりおしゃれしてる。
おかしいなあと思ったら、僕らと入れ代わりに
「きんちゃん一座」という旅回りの芝居がやって来て、今日の午後、芝居が行われるそうだ。
それでパタリロアンパンマンはもしかしたら若い女性も来るんじゃないかと思っているらしい。
波止場の待合室の公衆電話から宝島のサメ捕りじいさんの民宿へ電話して予約を入れる。
電話には女性が出て、宝島の波止場へ迎えに来てくれるそうだ。
これで今日はどこにテントを張ろうかとか余計な事を考えなくてすむ。
たまには贅沢しよう。(かわいい贅沢だ)
午前10時過ぎ「としま」が波止場に接岸されて、船の中から「きんちゃん一座」と
名が入ったはっぴを着た人たちがぞくぞくと降りて来るのを
獲物を狙う鷲や鷹のように鋭く見据えている男が二人いた。
それは僕とパタリロアンパンマンだ。
いい女がいたら宝島行きは延期だ。
(パス、パス、パス・・・・・・・・・・・・・・)
僕の心の中ではパスという言葉が何度も繰り返された。
はっぴを着ている人たちはおっちゃん、おばちゃんばかりだ。
だが最後にお姫様が出てくるかもしれない。
だなんてことはなく、まるで敬老会のようだった。
パタリロアンパンマンの落ち込みはひどく、肩を思いきり落として、ぼーっと立っていた。
悪石島やすら浜港を出てしばらくすると、
遮るものが何一つない東シナ海は風が強く吹き、海は荒れていて船は大きく揺れた。
約1時間半後、小宝島に到着。
桟橋にうねりが入ってきていて船が激しく上下し、桟橋と船の間のクッション役を
している直径2メートルほどのタイヤがキィーッと悲鳴をあげて呆気なく引きちぎられ、
ドック入りして塗装しなおした「としま」の船体はみるみるうちに塗装が剥がれた。
桟橋のコンクリートの部分と船体がぶつからないかヒヤヒヤする。
乗り降りも命がけで、波を見ながらタイミングをとってタラップを行き来しないと
桟橋と船体のあいだの海に転落して挟まれてしまいそうだ。
桟橋の上にはあの素敵な女性の姿もあった。
ひさかたぶりに見る彼女は相変わらず素敵な笑顔を見せていた。
宝島の桟橋でも船がかなり揺れる。
松本君とはいずれまたどこかでと挨拶を交わして船を降りると、
桟橋にはサメ捕りじいさんとその娘さんらしい人が車で迎えに来ていた。
宝島荘の客は僕を入れて3人で、1人は吉留建設の
(文中に何度も吉留建設が出てくるが、十島村のほとんどの島の土木作業を一手に引き受けている
会社で島民の中には収入源としている人も多い)
おえらいさんでもう1人は浅丘ルリ子にちょっと似ている鹿児島大学の助教授だ。
宿に着くとすぐに昼飯だ。
この辺の民宿はほとんど1泊3食付きらしい。
日ごろ、がっつく男だがこの時は船酔い気味で食が進まない。
もったいねぇ〜、残したらあかん。
サメ捕りじいさんの娘さんは36歳子持ちで、
名古屋の方にずっといて3年前にこの島へ帰ってきていろいろと商売を試みたが、
島民の理解を得られずうまくいかないが今は独りで頑張って民宿をきりもりしているそうだ。
ちょっとばかし化粧が濃いが可愛らしい人なので島の男達はほってはおかないだろうなあ。
その若女将にレンタサイクルを調達してもらい島を回ることにする。
若女将が地図を片手に懇切丁寧に見どころを教えてくれる。
パンフレットにもどこにも載ってないが、海岸の珊瑚礁のすきまから
温泉が湧き出ている所があると、中之島の温泉で知り合った漁師さんに聞いたことを
若女将に話すと、島の西側海岸沿いに大間という所があり、
そこには怪獣岩と呼ばれる岩が立っていて、その手前のリーフに海の中から
ブクブクと泡が上がってきて、そこだけ海水が温かい所があるという。
風がびゅんびゅん吹いているし、
足元は鉄板のすのこ状態になっていて地上が丸見えでちょっと怖い。
どうしてか景色がよく見えたのはほんのちょっとで、
どこから湧いたのか霧がたちこめだし、
たちまち乳白色の世界になってしまった。
いつもいつも霧ばかり、、、、。
昼前にはテントに戻って飯を食べ終わり、水を浴びてさっぱりとして宮永広さんに会いに行く。
宮永さんは80歳近くというのにとてもパワフルで喋りだしたら止まらない。
休憩もせず延々と午後六時近くまで話して聞かせてくれた。
もしも中村荘の夕食がなかったら話しは何時まで続いたかわからない。
僕はまず最初に十島村のパンフレットを見せて、悪石島にあるとされている
15世紀頃のタイ・サワンカローク産の青磁壷3種が見たいと言った。
すると、これらの壷は神社に保管してあり、今は見せられないという。
他にも古い壷があったそうだが、盗まれたり価値がわからず割ってしまったそうだ。
昔、東浜の方に大きな屋敷跡があったが、牧場を作るときに焼き払ってしまい、
壷などもあったが鍬などで叩き割ってしまったようだ。
これには宮永さんも残念がっていた。
次に仮面神ボゼの話を聞く。
仮面神ボゼとは、お盆の最後の日の夕方(昔はもう少し早く出たそうだ)、
太鼓の音が鳴り出し、
「ボゼが出っどー! 遠くの者は耳で聴けー! 近くの者は目でも見ろー!」
という掛け声のなかボゼは現われ、子供や女性を脅かし追いかけまわし、
悪魔払いをする来訪神である。
なんといっても、その容姿がおどろおどろしい。
実物は見れなかったが、パンフレットに載っているのや、写真集に載っているのを見ると
まるで日本のものではない。
どこか南洋の島の神か悪魔のようだ。
顔の形はバルタン星人に似ていて、
赤茶と黒のたてじまのストライプが顔全体に入っている。
顔の大きさは全身の半分以上あり、眉と瞼がまるでウサギの耳のように強調され
真っ赤な丸いお椀のような目を見開いて口を大きく開けている。
そして、全身ビロウの葉で覆われていて、
手にはボゼマラと呼ばれる先っちょが亀頭の形をしている
1.5メートルくらいの木の棒を持っている。
ボゼは3体出てくるが基本的に形は同じだ。
悪石島だなんて、なんだか横溝正史の小説に出てくるような名前だが、
その由来は昔、この近辺に海賊が頻繁に出没したころにわざと悪い名前を
付けたという説と中国に悪が付く地名が多いらしく、そこからきている説があるそうだ。
明治の頃から何度か悪石という名前を変えようという運動があったそうだが、
いまだそれは実現していない。
ちなみに宮永さんの親の頃までは宝島をトカラ島、小宝島をシマゴと呼んでいたそうだ。
神々の話をしてくれるが、機関銃をぶっ放すように次々と発射される
方言まじりの専門用語いっぱいの言葉を手帳に書き込むひまがない。
その場では何となく理解したような気がしたが
いざ日記に書こうと思ったら書けない。
こんなことになるなら、これからは小型の録音機を持ち歩かなくてはならない。
せっかく貴重な話を一生懸命に話してくれているのだから。
いろんな話を聞いていて興味をひいたのは、石鹸(シャンプー)が無い時代に
女性が髪を洗うために石鹸の代用に青い土を使用していたという話だ。
(広さんの話の本筋から外れたところに興味を示した僕に気分を害したかもしれない)
青い土はどこにあって今でも取れるのか尋ねると地獄に行けばまだあるはずだと言った。
「地、地獄ですか?」
地獄とは砂蒸し温泉の上にある硫黄が吹き出る岩山一帯のことだそうだ。
これは絶対に青い土を探しに行かなくては。
また地獄には昔、硫黄鉱山があって硫黄を採掘していた。
あと聞いた話を並べてみると、
漁などに使っていた丸木舟は中之島で木を切り出し作っていた。
戦争中、日本の輸送船が悪石島のすぐ近くで座礁して助けた話や
アメリカ軍の戦闘機が機銃掃射してきたことや。
(このときは誰も怪我を負わなかった)
戦時中、戦後の食糧不足の時も悪石島は食料が豊富にあり、
あっちこっちに分け与えた事。
戦後すぐに武装解除のため、日本刀も出してしまった事。
そして、この話も戦後すぐのことだが、中国の武装集団が上陸してきて
食料などを奪い去っていった話など、面白おかしく聞かせてくれた。
広さんは最後に、
「兄の宗市は耳が遠くて話が大変だが、一度遊びに行ってごらん」
と言った。
僕は心からお礼して宮永広さん宅をあとにした。
テントに戻ると固形石鹸が跡形も無くカラスに食べられていた。
見てもいないのになんでカラスが食べたんだってわかるんだと
言われても、絶対カラスが食べたんだ。
今頃、泡吹いてるどー。
いつもどおり中村荘で夕食を食べる。
男3人ガヤガヤ食べまくるのもいいもんだ。
そのあと恒例の温泉行きだが、いつも運転しているパタリロアンパンマンが
酒盛りのため欠席なので僕が運転することになる。
行きは下るだけなので楽だったが帰りは温泉センターで
なかなかエンジンがかからず冷や汗をかき、
やっとエンジンがかかっても車の動きを止めるとすぐにエンストを起こす。
ネバーストップ! エンジンが唸りを上げようが泣き叫ぼうが
ローギヤ−からセコンドギヤ−にシフトアップしてはいけない。
セコンドギヤ−は極端に力が無く坂道を上り切れないのだ。
けど僕は悲鳴を上げる軽トラに情けをかけてしまい、セコンドギヤ−に入れてしまった。
やっぱり頑張ってくれるはずもなく、ボボボボボボと詰まるような音をたてて
エンジンが止まってしまった。
バッテリーがあがりかけてセルモーターの回転が落ち、
もはやバックで走り掛けかと思った瞬間、エンジンが息を吹き返した。
ちょっとやらせっぽい文章になったけど本当です。
残りの道のりは情け容赦なくローギヤ−で走りまくる。
夜半に天気が荒れだす。
風が吹き荒れるというよりも、風が塊になってやってくるという感じだ。
というのは遠くの山の上の方でゴーッと音がし始め、それがだんだんと
大きな音をたてて山を降ってテントへ近づいてくるのだ。
そしてグゥオーン!と大きな音とともに強い衝撃を受けてテントは
グニャリとへし曲がり吹き飛ばされそうになる。
目を閉じて眠りに入ろうとするが、風の音を耳で追ってしまい眠れない。
風が近づく瞬間、
「来た、来た」
と頭の中で叫び力を入れる。
ときおり風に乗って大粒の雨が落ちる。結局、朝まで眠れなかった。
宝島は周囲12.1キロメートル、
回りをぐるりと珊瑚礁に囲まれて砂丘があり、鍾乳洞があり、吐喝喇ハブが棲息する。
島の中央にはイマキラ岳標高291.1メートルがそびえる。
人口は140人。
レンタサイクルはいま流行のマウンテンバイクだ。
まずは郵便局に行ってお金を下ろす。それから島1周道路を走る。
南の島の1周道路と聞くとコーラルグリーンの海が見える平坦な道を想像するが
ここ宝島の1周道路は山裾の森の中を通っていて視界がほとんど利かず、
アップダウンの連続でけっこうしんどい。
1周道路を作るときに観光のために海岸沿いに作ろうという声もあがったが
農地が山裾の方に点在するのでこっちに作られたそうだ。
まず最初の見どころの観音堂が祭ってある鍾乳洞へ行くため1周道路からはずれる。
若女将にハブが出るから中へ入らない方がいいですよと言われていたが、
ここまで来て鍾乳洞の中を見なくっちゃ話の種にならない。
Dパックから懐中電灯を取り出していざ穴の中へ。
入口から少し入ると大広間になっていて、
そこから洞窟は二手に分れていて奥でつながっている。
一部這って行かないと通れない所があって、
ハブが出てきたらどうしようかとビクビクしながら通り抜ける。
僕の入った鍾乳洞はここだけだが宝島にはたくさんの鍾乳洞があり
まだ発見されてない鍾乳洞もきっとあって海賊キッドの宝物も
眠っているのかもしれない。
ちなみ中国の古いお金が落ちてました。
さて温泉探しに大間に着たがどこにあるのかわからない。
怪獣岩らしき岩の周りの海に手を入れたりして探すが見つからない。
そんな僕をあざ笑うかのように目の前の海水が出入りするリーフの窪みに、
黒っぽい体に白い縦縞が入っている全長1メートルくらいのエラブウナギがゆうゆうと泳いでる。
諏訪之瀬島の作地温泉、悪石島の青い土に続いてまたもや挫折。
再び島一周道路に戻り、今度はイマキラ岳登山道に入る。
最近、自転車に乗っていなかったので、両太腿がパンパンに張ってギブアップ。
それから頂上まで自転車を押して上がった。
ここの頂上にも無線中継上があるが、
しっかりとした展望台が建てられていて眺望は抜群だ。
今まで苦労して上がってきた登山道をマウンテンバイクは風を切って下っていく。
もったいないな〜と思いつつ一気に走りきる。
島一周道路に戻り、今度は荒木崎灯台を目指すものの
入口がわからず通り過ぎてしまい、ぐるりと回って集落まで来てしまった。
灯台なんか見てもしょうがないやとほとんど投げやり。
夕食にはまだ早いので、大篭海水浴場、砂丘に向かって海岸道路を走る。
この道は平坦で気持ち良いが、硬いサドルでしりが痛くなって立ちこぎしたり、
しりを左右にずらしながら自転車をこぐ。
道路の周りは砂丘らしいが草が生えていて、
砂丘のイメージを持った砂丘は見えてこない。
海水浴場はどんな感じか見に行ってみると海が荒れていてよくわからない。
パンフレットの写真で見るようなリーフに囲まれながらも足元は真っ白い砂が
ひきつめられた遠浅の海が広がっている風景が実感出来なかった。
海水浴場から少し陸に上がった所にあずまやが建っていて、軒下にハンモックが吊るされている。
気持ち良さそうなので寝ようとするがよく見るとロープが絡まって
寝れる状態じゃないので直していると、
少し距離をおいた海岸沿いにスクーターが停まった。
スクーターを降り立ちおばちゃんがよく被っている半キャップの
ヘルメットをはずし海を見ている。
女性のようだ。
地元のおばちゃんでも散歩に来るんだなあ。
しばらくして、その女性が近づいてきた。
ちょうどいいや、ハンモックの絡みもほぐれないし、おばちゃんと話でもしよう。
近づいてくる女性をよく見ると僕より年上だが
おばちゃんって感じじゃなく、しかも美しい人だったのである。
そして、どぎまぎしながらも会話は始まった。
彼女は大阪生れで現在結婚して京都に住んでいる。
彼女の母親が亡くなり、母親の故郷であるこの島に
母の骨を納骨するために初めてやって来たそうだ。
いろんな話をすればするほど素敵なひとで、年相応の話し方をするが
ときおり少女のように瞳が輝いたりお茶目なしぐさがなんともいえない。
夕日が沈もうとしている。
風が強くなってきた。
僕は彼女の写真を撮ることにする。
「わたしなんか撮らないでもっと若い娘撮りなさいよ!」
恥ずかしそうに笑顔を見せる彼女の分身をカチャッとフィルムの中に閉じ込めた。
その夜、民宿では船乗りさん達がやってきて飲み会となり、
言語研究をしている鹿児島大学の助教授の女性もいるんで方言の勉強会になる。
勉強会といっても面白おかしく午前2時近くまで続いた。
おかげでサメ捕りの話を聞けなかった。
朝一番に、悪石島の神々の話や古い壷を見せてもらいたくって宮永広さん宅を訪ねてみる。
宮永さんは島の伝統歴史を調べていてとても詳しい。
神々のことは宮永さんの兄、宗市さんの方が詳しいそうだが、
今は耳が遠くて会話をするのが大変なので、
最初に広さんを訪ねてみたらと総代さんの奥さんが教えてくれた。
悪石島の神々を研究している学者や学生たちが島にやってくると
かならず宮永兄弟を訪ねるそうだ。
広さんは在宅していたが午前中はちょっと忙しいんで、
申し訳ないが午後にもう一度、訪ねてもらえないかと言った。
今日は朝から天気が良いので御岳に登ることにする。
午前8時40分、校庭を出発。
集落の外れで軽トラに乗せてもらう。
運転している人をよく見ると瀬尾央氏の写真集の中で仮面神ボゼを演じていた青年だった。
なんだか、芸能人を見ちゃったぞ!とミーハーな嬉しい気持ちになった。
彼は写真で見た感じより小柄で静かな人だった。
御岳入口の所で降ろしてもらい、ガンガン登る。
山頂まで車で上れるコンクリートの道が続いている。
面白くないといえばそれまでだが山頂からの眺めは良さそうだ。
午前9時40分、標高584メートル御岳の山頂に到着。
真面目にしていたんでは景色が良くなく、鍵が掛かっていないことをいいことに
NTTの超短波中継所の鉄塔のてっぺんに上る。
ここからの眺めは超最高。
海上には諏訪之瀬島、平島、遠くに小宝島、宝島が浮かび、
眼下にはやすら浜港が見えて、波止場の上には自動車がおもちゃのように並んでいる。
古道具 古賀
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