トカラ列島 旅行記 野宿しながら約一ヶ月かけて島々を巡った旅の話です!
朝食を済ませコミュニティーセンターに船のキップを買いに行く。
宝島ー小宝島間870円。
テント生活がめんどくさくなり、小宝島も民宿に泊まろうと思い電話を入れるがあっさりと断られる。
急きょ、コミュニティーセンターのとなりにある生協で約4日分の食料を買い込む。
小宝島では飲み物は買えるようだが食料品はインスタントラーメンも買えないようだ。
それから民宿に戻り、船の出港時間までおじいさんにサメ捕りの話を聞く。
水深10メートル前後にある小さな穴に、
学名はわからないが眠りザメと呼ばれるサメ(体長約1.5メートル)が、
昼間にオスならオスだけ、メスならメスだけになり重なり合う様に眠っている。
そこへ船の上からロープを垂らしながら素潜りで潜り、
サメを起こさないようにそっと尾っぽにロープを掛けて、
船に上がって引っ張り上げるそうだ。
漁期は3月から5月くらいまで。
うねりがある日はサメは眠らないようだ。
信じられないような漁法だがアメリカかオーストラリアの学者が来た時に
撮った漁の写真があってそれを見ながら説明をしてくれた。
ありがとうございました。
桟橋で手を振る若女将がどんどん小さくなっていく。
僕の頭の中では都はるみの演歌が止めどなく流れている。
『としま』と桟橋の距離が遠くになっていく。
甲板から、桟橋から人が離れていくが若女将はあいかわらず手を振ってくれている。
結局、僕の目で見える限り桟橋から手を振り続けていてくれた。
もちろん、僕だけに手を振っていたわけじゃないけど嬉しかった。
客商売だからといってなかなかあそこまでやれないでしょ。
小宝島へ
船には昨日のお姉さんも乗っている。助教授も乗っている。
大きく揺れる船に、船酔いを心配している二人に酔い止め薬をあげる。
宝島ー小宝島間は時間にしてたったの30分程なので
二人とゆっくりと話す余裕など無いまま慌しく時は過ぎ、
『としま』は小宝島の波止場に接岸しようとしている。
昨日同様うねりがあり、
『としま』はとも綱を出して波止場に固定しようとするが野生馬のように暴れている。
荷物を持ってタラップを降りるのは危険ということなので
まずは体だけ降りて荷物を手渡しすることになるが、
僕の荷物は結構重いのでバランスを崩して海に落ちそうなのでこのほうが怖い。
波止場に降り立ち、少し距離をおいたところにあの笑顔が素敵な女性が立っていて
初めて目と目が合い小さく挨拶を交わす。
『としま』は上下前後と激しく動き、波止場に着いたり離れたりしているなか、
僕は何人かの男たちと共に波止場の端に立ち船内から荷物を手渡しする。
全ての作業が終わると即座にとも綱を解いて『としま』は出港した。
僕は船が見えなくなるまで手を振った。
ここでも総代さんを探すがなんと総代、副総代ともに旅行中ということで不在だった。
おばちゃんが四人も乗っている軽トラの荷台に乗せてもらい集落へ向かう。
「おにいちゃん、いいの穿いてるね」
と僕の穿いているモンペを見て笑いながら言った。
どこへ行ってもモンペはおばちゃんに受けがいい。
テントを張るには良い場所が無く駐在員さんの所へ相談に行く。
そして、お茶をご馳走になってから駐在員さんの車に乗せてもらい、
島のあっちこっちを見て回るがやっぱりグッドな場所が無く、
しかたなく発電所の横の空き地にテントを張ることにする。
朝は晴れたがのちに雨となる。
今朝はだいぶ具合が良くなった。
朝食を食べてテントを片付け、駐在員さんの所にキップを買いに行く。
小宝島ー鹿児島間 6320円。
帰りがけに温泉に寄る。今日の湯加減はばっちしだ。
これぐらい熱ければ風邪ひかないのに。
どうやら北東の風が強く吹くと湯が冷めてしまうようだ。
荷物を持って波止場まで歩くのはしんどいので
エホバの証人の人たちが借りてきた軽トラに便乗させてもらう。
彼らを見送ってから1時間半ぐらい波止場で船を待つことになるが、
最後に海を見ながらたそがれるのもいいか。
彼らの荷物は本当に多くて軽トラでも2往復を必要とした。
悪石島から『としま』がやって来た。
島民と一緒に来ていた看護婦さんと目が合い、彼女が話し掛けてきた。
「昨日はお疲れ様でしたぁ!」
『としま』が宝島へ向かうために動き始めた時、にわか雨が降りだした。
僕は雨の中、若き伝道師たちを乗せた船に向かって手を振り続けた。
誰もいなくなった波止場で僕はセメント袋が20体積んである
コンテナの中で雨宿りをしている。
もうすぐ吐喝喇ともお別れだ。
温泉に入るんだと理由をつけて旅に出たが
若い頃の旅で味わったような感動を再び肌で感じてみたかっただけかもしれない。
かもしれないじゃなく、だったのだ。
この旅でも死にそうになったり、いろんな人と出会ったり、
いろんな事に遭遇したりして感動したが心のどこかで物足りなさを感じている。
旅なんてこんなものかもしれない。
自分自身、昔の旅を過大評価しているのかもしれない。
独りたそがれているとトラックが止まり、いきなりコンテナの扉を開けられた。
突然のことで中にいた僕はビックリしたが、
扉を開けた人も僕がいたのでびっくりしたようだ。
やって来たのは吉留建設の人たち3人で、セメント袋を取りに来たようだ。
その中に例の気に入らないヤツがいた。
ためしに僕が挨拶すると、ヤツはニヤッとして軽く頭を下げ挨拶かえした。
まあ気分も良くなったところでトラックにセメントを載せるのを手伝う。
単純なのだ。
雨が止んだので僕は防波堤の上に登り宝島の方を見た。
すると海の上を『としま』がこちらに向かって走ってくるのが見えた。
そして、いつものように波止場に島民が集まりだした。
タラップが取り付けられるのを見ていると、
おばちゃんが近づいてきて、
「船の中で食べなさい」と言ってお弁当を差し出した。
「えっ、いいんですか!」
これだよ探していた感動は。
絶妙なタイミングで手渡されたお弁当は吐喝喇の旅、最大の感激となる。
おばちゃん、本当にありがとう。
船に上がると顔見知りになった船員さんが、
「やっと帰るのか?」と言って、
「十島はどうだった」と僕に問いかけた。
僕はその問いに間髪入れずに
「最高でした」と嬉しそうに短く答えると、
船員さんは一度だけ大きく頷いて歩き去っていった。
飲み水は集落へ取りに行かなくてはならないがトイレは発電所で借りられる。
風が強い中、テントの設営を始めるが地面が珊瑚で出来ているのでとても硬くぺグが刺さらない。
四方を珊瑚の欠片や石で固めて風に飛ばされないようにする。
そのうち、4人の青年がやってきた。
彼らもテントを張る場所を探しているらしい。
「ほか見ていい所が無ければ、良かったらここでいっしょに張れば!」
と僕が言うと丁寧な感じで「その時はお願いします」と一人が言った。
彼らは「エホバの証人」の布教と釣りを兼ねてやって来たらしい。
これからお世話になる発電所へ挨拶に行く。
発電所は三人で交代に運行されていて、常に一人は常駐する決まりになっている。
三人は電力会社の社員ではなく委託されている。
ここは火力発電で一日に約150リットルの重油を燃やすそうだ。
テントのすぐ近くにコンクリートの平屋建ての建物があるが、
これは海水淡水化施設で一日に約10トンの飲料水を作り出し、
全島民の飲料水をここで全てまかなっている。
この施設が出来るまで飲料水確保にそうとう苦労したらしい。
しばらくして、さっきの4人が戻ってきてここにテントを張るのでよろしくと言って来た。
彼らの荷物はとても多く、どこかで借りてきた車で2回に分けて運んでいた。
彼らのテントはファミリーテントで大きくゆったりとしていて羨ましいかぎりだ。
一人が船酔いでぐったりとしていて、淡水化施設の横で寝袋に入って寝ている。
夕方落ちついた頃、湯泊にある温泉に行ってみる。
ここから砂利道を歩いて3〜4分だ。
竹を拾って蛇よけの杖にする。
風化した奇岩がそそり立ち、全体的に白っぽい景色から乾いた印象を受ける。
道端のアダン林の中にねずみ色の土を大量に含んだ温泉が熱そうにゴボゴボしている。
まさかここには入らないだろうなあ〜。
この辺り一帯、硫黄の臭いに包まれている。
もう少し歩くと小さな船上げ場があり、あっちこっちから硫黄が噴出している。
海に向かってその船上げ場の左奥の波打ち際にコンクリートで出来た
1メートルぐらいの高さの囲いがあり、その中に長方形のコンクリートの浴槽が
三つに区切られて作られている露天風呂があり、一番陸側のマスは
珊瑚礁の亀裂から自噴する源泉なのでとても熱くて入れない。
二つ目のマスはちょっと温いが入れそうだ。
三つ目の海側のマスは温すぎる。
湯は白く濁りとても塩辛い。
温泉のすぐ上に雨水を貯めたコンクリートの水槽があり、
その水を酸素ボンベの上部を切り取ったもので汲んで、
源泉に入れて温めて上がり湯にするようだ。
その行為自体はぜんぜん問題ないが、雨水にはボウフラやいろんな虫がわいていて
ちょっと気色が悪い。
あいかわらず海は荒れていて、
露天風呂に入っていると大波をくらいそうでちょっと怖い。
最高な露天風呂と思いきや熱くて入れない
昼食。
寂しいがテントに戻り黒糖パンと牛乳を摂る。
エホバの証人の人たちに運動会へおいでよと誘ったがあまり乗り気ではない。
せっかく布教に来たのなら運動会とかに出てどんどん
コミュニケーションをとったほうがいいのになあ。
まあ余計なお世話かな。
グランドに戻るとおばちゃんたちが昼飯を一緒に食べようと僕を探してくれていたらしい。
「どこへ行ってたの?」
げーっ残念だったなあ。
もっと早く言ってくれれば良かったのに、、、。
午後からはアメ食い競争とあなたの運命はいかにという種目に出る。
空は曇ってきて寒くてガタガタ震える。
この運動会は子供からお年寄りまで参加できるようによく考えてあり賞品は実用的だ。
最後の種目は島民全員参加の六調踊りで僕も見よう見まねで楽しく踊る。
閉会式を終え、後片付けを手伝い運動会を終える。
あ〜〜楽しかった。
ひと汗流しに温泉へ行くと先客がいた。
吉留建設の人で気が合い世間話に花が咲く。
今日の湯もぬるく、熱くしようと頑張るがぬるいまま寒い寒いで温泉を出る。
テントに着く頃にはくしゃみ連発、鼻水じゅるじゅる頭痛がひどくなる。
エホバの証人の一人が僕のところに来て、
さっき看護婦さんが自転車で訪ねて来ましたよと言った。
えっ、なんとタイミングが悪いんだろう。
彼女はわざわざここまで飲み会があると知らせに来てくれたのだ。
残念無念。
彼女は明日の船で鹿児島へ行くようなことを言ってたらしい。
飲み会はパスして薬を飲んで早く寝るが、
しばらくして起き出し焚き火を囲んでエホバの証人の人たちと遅くまで会話を楽しむ。
彼らはこんな南海の孤島まで布教に来るような人たちだが、
無宗教の僕に対し平衡感覚を持って接してくれるのは好感が持てる。
彼らは明日、宝島へ渡り、引き続き布教と釣りをする。
晴れのち曇り、北の風強し。
午前九時半集合。
もちろん体操着なんか無いので、Tシャツ、モンペ、カンフーシューズ。
これでGO−GO−GO−だ!
入場行進の列に加わり、何年ぶりだか小さく前にならえをする。
これは面白い。
現役の時はバカらしくってやってられなかったが今日は楽しもう。
国旗掲揚をして開会式の言葉を聞く。
出番を楽しみにグランドの片隅にひかれたゴザの上に座っている。
風が強く冷たく身体が冷えて寒くなり、日向、日向へと移動する。
気になる彼女はいつも本部席にいるので話せない。
近くにいるおばちゃんにあの人の名前を聞こうと思ったが変なふうに
思われるのも嫌だったので、風に乗って誰かが名前を呼ぶ声が届くのを待つ。
一生懸命楽しそうに競技をしている子供たちを見て羨ましかった。
僕は子供の頃ひねくれていて、
いつも悪ふざけをして足を引っ張り、邪魔をしてみんなから疎んじられていたので
運動会や遠足、あらゆる学校行事がひとつも面白くなかった。
あの時素直にやってりゃよかったのになあ〜
と、つい物思いにふけってしまう。
そのうちみんなが彼女のことを看護婦さんと呼んでいるのがわかった。
プログラムの中に婦人会の踊りが含まれていて
彼女はお母さん方とともに桃色に染め上げたハッピを着て輪になり踊り始めた。
踊りは内地の盆踊りのようで、
髪を後ろに束ねて楽しそうな笑顔で踊る姿は素敵でした。
昼近くになってやっと誰でも参加できる800メートルロードレースがあり出場する。
校庭⇒湯泊⇒湯泊荘⇒掲示板⇒校庭
ほとんどダートコースだ。
参加者は小中学生、吉留建設の青年たち、わりと元気な大人たち、そして彼女。
総勢20人弱。
1人、気に入らないやつがいるんだがそいつも参加する。
なぜ気に入らないかというとそいつは土木作業員でゴツイ体をしているヤツなんだけど
僕が挨拶をしても決して目を合わさずしかとする。
むかつく。
何様だと思っているんだ。
あいつには絶対負けん!
スタート。
どん尻から走り出す。
早いとこ先頭集団に追いつかなくては。
湯泊の手前で嫌なヤツに追いつく。
僕は横に並んでしばらく走り、ここぞとばかりに加速して引き離す。
まだまだやれるぞ。
湯泊荘の手前で吉留建設の青年と中学生がデットヒートしているのを
後ろから一気に追い抜く。
これで1位かと思いきや、ずっと先に中学生が1人見える。
こりゃあ無理だ。
掲示板を過ぎるころはもうバテバテで心臓が口から飛び出そうだ。
だが、なんとかそのまま2位をキープしてゴール。
賞状と賞品をもらう。
小宝島の最高な露天風呂
学校の校庭では明日の運動会の準備をしている。
「何か手伝うことはありませんか?」
といろんな人に言ってみたがあっさりと断られた。
ただ、明日の運動会には参加してくれと言ってくれた。
気になるあの女性も準備を手伝っていて、
さりげなく「明日、参加してくださいね」と僕に言った。
もっといろいろと話したいが、忙しそうだし周囲の目もあり諦める。
よし、明日は頑張るぞ。
コンクリート作りの露天風呂以外にいい温泉はないかと辺りを探すと、
まず、珊瑚礁の亀裂の海中から温泉が湧いているのを見つけるがとても入れそうに無い。
次に人工的か自然にかどちらかわからないが、
平のリーフの上に2,3人づつ入れるくらいの円形のくぼみが2つあり、
どちらも乳白色の温泉がたっぷりと入っている。
最高!と思ったが熱くて入れやしない。
ということでまともに入れるのはコンクリートの露天風呂しかない。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
感謝!
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当店は桜の名所、小金井公園の近く、
五日市街道沿いで10数年、地道に商っています。
定休日・月曜日・不定休有
ひとつ頭に来たことがある。
それはこの島の宿泊施設だ。
民宿だと思ったが個人的な宿泊施設ではなく島か村の宿泊施設で、
ある人に住み込みで管理させているが、その管理人は部屋が空いているにもかかわらず、
その時の気分で泊めたり泊めさせなかったりしているようだ。
かなり苦情が出ていて島民も困っているようだ。
テントを持っていなかったらどうすりゃいいんだ!
昨夜から断続的に雨が続いている。
朝早く発電所にトイレを借りに行ったきり、あとはテントの中で日記を付けたりしている。
午前10時過ぎに4人のうちのひとり、坂東さんが王国会館が出している
『目ざめよ!』をよかったら読んでみてくれと持ってきた。
彼らは雨の中、布教のために集落へと向かった。
『目ざめよ!』を読んでいるうちに眠くなって少し眠る。
小宝島は周囲3.2キロメートル
最高点102.7メートルの竹の山がもっこりとしている。
そして、宝島同様珊瑚礁に囲まれている。
人口は40人ほど。
この島の一番の特徴は風葬だ。
昨日、駐在員さんの家でお茶を飲んだ時にちらっと聞いた話では、
風葬というと野晒しという感じがするが遺体に珊瑚の欠片(カケラ)を被せるようだ。
現在でも島で人が亡くなれば風葬するという。
だが現在はほとんどの場合、鹿児島の病院で亡くなるので、
聞き間違いがなければ昭和40年代以降は一度も無いそうだ。
昼過ぎに目を覚ますと雨が止んでいた。
カップラーメンを食べて、黒糖とスキムミルクを入れたコーヒーを飲み散歩に出る。
道を外れて珊瑚礁の上を歩くがいたる所に
珊瑚礁の亀裂が氷河のクレパスのように口を開けている。
その中を覗き込むと海水が流れ込んでいて熱帯魚が泳いでいる。
ゆっくり回ったつもりだが、あっという間に集落に着いてしまい、
いつものように島の絵地図を手帳に書き写す。