集落へ行くには少し遠回りになるが元浦漁港を見に行く。
漁港はとても小さく波をまともに受けていた。
漁船をそのまま停泊させておくことが出来ず、船はすべて陸に上がっていた。
明日、島の体育祭が行われるため、
島民の多くが会場となる小中学校のグランドに集まり準備をしていた。
僕はその中に入っていって一番最初に近づいた人に
総代さんがいないか尋ねると
「あの人がそうだよ」指さして教えてくれた。
総代さんは元ヒッピー系の人のようだが
そんなことは聞かずに
「旅の者ですが波止場の近くにテントを張ってもいいですか?」
と聞くと
テントを張るなら学校の横の道を下ったところに
お地蔵様が何体か並んでいて、
その奥のあずまやが建っている広場に張ればいいという。
水道はあるがトイレは無い。
まあトイレはその辺にしていいし、
それが嫌なら学校のトイレを借りればいいと言う。
これで一つは解決した。
それからもう一つ肝心な作地温泉に行く陸路はあるかどうか尋ねる。
総代さんいわく、作地温泉に陸路で行くのはキチガイ沙汰だという。
さらに、僕を上から下までじっと眺め「あんたの格好じゃ絶対無理だな」
と頭越しに言われてしまった。
絶対という言葉が気に入らず
「どうしてですか?」と僕が言うと
御岳の火口の縁の切り立ったところをしばらく歩き、
そのあとも断崖絶壁を降りて行かなければならないので、かなり危険だという。
もし本当に行くなら命がけで行け。
最後にもう一つ、山へ入るときは必ず島の駐在員に届け出てからにしてくれとも言われた。
こうなったら絶対に行くしかないな。
ほかの島民にも作地温泉への陸路のことを尋ねるが
誰もみなそんなもの無いし無理だという。
あとで駐在員さんの所へ行って同じ事を聞くが、
作地温泉へ歩いて行ったなんて聞いたことないという。
僕の友人のリュウヘイが何年か前に
歩いて行ったと言っていたんだけどなあ〜。
悔しいな〜
朝早くから、花火が鳴る。
今日は島の第33回体育祭だ。
全島民(人口約60人)参加のお祭りだ。
もしかしてこの島で参加していないのは僕だけか?
なんかさみしいなあ。
行ってみようかと思ったがやっぱり止めておく。
午前9時半頃まで珈琲を飲んだり、クッキーを食べたりしてだらだらする。
双眼鏡で御岳を観察する。
頂上付近は雲が掛かって見えないが、上部は緑一つ無く溶岩がごろごろしている。
風が無ければわりと歩きやすそうだ。
集落から御岳へ登山道が延びているようだが、
ここから見て一番手前の大きな山稜の稜線沿いの緑が切れた
ピークに白い看板のようなものが見える。
きっとあそこは登山道の途中だろう。
晴れていれば何も迷うことなく頂上へ行けそうだ。
さて作地温泉へはどうやって行こうか?
これだけ風が強いと火口の縁を歩いていくのは危険なので海岸から攻めることにする。
作地温泉に向かう海岸線は船から見たかぎり途中で断崖絶壁になるのだが、
そこをうまく巻いて行けるのではないだろうか?
諏訪之瀬島は周囲24・5キロメートル。
平面図で見るとスフインクスの目のような形をしていて南北に長い。
島のほぼ中央に標高799メートルの御岳がそびえ、
人が住める土地は南側の目尻の辺りだ。
作地温泉は東側の海岸沿いにあり、
人が住んでいる南端側から北端(とんだち鼻)との中間に位置する。
集落から直線距離にすると僅か4キロ弱だ。
明るいうちに戻って来れる程度に海岸沿いを歩いてみる。
体育祭をやっているグランドを横目で見ながら「としま」が発着する切石港まで降りて、
波止場の堤防に上がって、これから向かう方向の地形を双眼鏡でチェックする。
出発。
海岸は岩石が続き人頭大の玉石の所もあるし、人より大きな岩がごろごろしている所もある。
切石港から数百メートル歩いたところに間口がとても広い乙姫洞窟があるが、
帰りの楽しみにと寄らずに先へ進む。
1キロ弱のこの海岸を歩き、次の小さな海岸の先は岬で
絶壁になっていてそれ以上は海岸沿いを行くことが出来なかった。
小さな海岸のほぼ中央に水が枯れている沢があるのでそこから上がって行く。
沢は溶岩が流れ込んでいて全体的に黒っぽかった。
大きな石が沢を堰き止めていて雨が降れば
滝になるような所をいくつか越えると沢が二手に分かれていた。
右手の沢に入っていくとガサガサっと草むらの中で何かが動いた。
立ち止まって見ているとゆっくりとした速さで
何かが動いているのだが姿が見えない。
そっと近づいて行くとそこにはカラスのような真っ黒い羽をまっとった鳩がいた。
キジバトより一回り大きい。
パッと見はカラスだが姿かたちはまさしく鳩だ。
なんとも奇妙な鳥だろう。
谷が深くなり、なかなか沢から外れることが出来ずにどんどん沢を登っていく。
このまま楽に登っていけると思いきや大きな滝壷に出くわした。
10メートルほどのオーバーハング気味の壁面は乗り越えられない。
少し戻って沢から外れるには、後退するが南側の斜面しかない。
木にぶらさがるように登り滝壷を巻いて上に出ると、
ススキが生えているが道の跡のような所に出た。
そこをさらに進むと高さ約40センチメートル直径約20センチメートルの支柱が地表から出ていた。
その支柱にはワイヤーが巻いてあり、
そのワイヤーは塩ビ管のようなパイプを支えて沢の上を渡り対岸へと延びている。
こんな所にいつ誰が何のためにパイプを設置したんだろう?
もしかしたら作地温泉まで続いているんじゃないかと思いワクワクする。
沢を渡り対岸の支柱も見つけた。
ここから先、パイプは地中に埋まっていて、どこにあるのかわからない。
あっちこっち探し回るが見つからないので諦める。
パイプを伝わっていくなんて甘い夢でした。
この辺りは草木の密度が少なく、低木ばかり生えているので歩きやすい。
感覚的には武蔵野の丘陵地帯歩いている感じだ。
しばらく行くと低木帯が切れ視界が広がった。
右には海が望め、左には頂上付近に雲が掛かっる御岳が間近に見える。
正面(北方面)はここから低木帯がゆるやかなスロープを描いて下っていて、
下りきった盆地のような平地には大きなシダやマルバサツキや名も知らぬ草が密生していた。
さらに奥は谷があるようで凹んでいる。
その対岸はここより高い稜線を持つ尾根が御岳へ延びていた。
作地温泉へはその尾根を乗り越えていかなければならない。
双眼鏡で見るとその稜線に登るには、
海に近い方なら急登だが草付き場で登れそうだ。
だが谷を渡れればの話しだが。
だめならこの稜線を御岳に登り上から一気に下ればいい。
谷に向かった。
谷までは目と鼻の先なのに、なかなかたどり着かない。
双眼鏡で見た谷の手前の平地は思ったより
草の密生が凄く足を踏み入れると足先が見えなくなるほどだった。
上半身はすいすいと草をかき分けるが下半身は付いて来ない。
おまけに地面はデコボコしていて何度も足を取られる。
やっとのことで谷へ下ると、この谷も水は流れて無く、
所々に水たまりがあるだけだ。
僕が降り立った谷底のすぐ川下は谷が切れ
断崖絶壁にとなって海岸に落ちていた。
雨が降ればなかなか豪快な滝となるだろう。
落っこちないように岩を掴み、草を掴みゆっくりと稜線へ登る。
こんなところで怪我でもして動けなくなったらアウトだ。
誰一人知らないのだから。
急登の草付きを登りきり、低木帯に入った所で午後1時近くになってしまった。
今日はこの辺で戻ることにする。
この稜線も草木が密生していなく歩きやすそうだ。
明日は朝早くから動いてこの先を開拓しよう。
帰りは道に迷って、海岸から登ってきた沢の二手に分かれて
すぐの所に降りることが出来た。ラッキーでした。
道を忘れないように降り立った沢の岩に目印する。
帰りに寄るつもりでいた乙姫洞窟をパスして
もう一度波止場の先端の防波堤に上がり今日歩いた方を眺める。
今日行った最後の尾根を溶岩帯の上の方まで歩けば作地は
見えるのではないだろうか。
テントに戻り、水浴びをして、洗濯をして、
ククレカレーをごはんにかけて食べて、コーヒーを飲みながら
ラジオを聴いている。
飲み終わったら眠るつもりだ。
風に乗って何やら楽しそうな歓声が聞こえる。
いいなあと思いつつ
“ ゴクッ ”とコーヒーを飲みきり寝袋をかぶって目を瞑る。
なかなか眠れない。
そのうちレゲエのリズムが風に乗ってやって来た。
う〜っ、僕はたまらず起きだし、弱々しい光を放つ懐中電灯を片手に
ふらふらっと音の源へ向かった。
グランドの片隅で電灯の下に集まり乱れ飛ぶ蛾の如く、
老若男女が水銀灯の下でレゲエに合わせて踊っているのだ。
こんな光景見たことない。
まるでカルト教団の秘密の儀式を観ているようだ。
僕は立ち止まらずその中へ入っていった。
「こんばんは!」
誰かまわずに言った。
そのうち総代さんに行き当たった。
「コラッ、来るのが遅いぞ! 今まで何やってんだ!
とにかくビール飲め! 好きなだけ飲め!」
と総代さんは言ってジョッキーに生ビールを注いでくれた。
僕はそれを一気に飲み干した。
近くにいた男の人が僕の空のジョッキーをぶんどって新たにビールを注いで、
「さあ飲め! 踊れ、踊れ!」
と迫る。
僕は一匹の蛾となり水銀灯の下に入っていく。
なんて楽しいんだろう。
吐喝喇に来て初めて「ハイ」になり、狂ったように踊りまくる。
今まで満たされることの無かった心の隙間が少しづつ埋まってゆく。
が、残念ながら完全燃焼する前に宴は終わってしまった。
ゴキゲンな夜でした。
夜中に車のエンジンの空ぶかしの物凄い音で目が覚める。
その音がだんだん近づいてくる。
僕は恐怖を感じ体を起こす。
いつでもテントから脱出出来るようにして
外の様子を窺っているとクラクションが鳴り出した。
意を決して行ってみると
軽自動車が側溝に左前後の車輪を落として動けなくなっていた。
「大丈夫ですか?」
と大きな声できいた。
車には男が一人乗っていて、かなり酔っていた。
「車を上げるのを手伝いましょうか?
と僕が言うと
「俺は地元の人間だから、大丈夫だから帰って寝てくれ!」
と言う。
僕は男にお地蔵さんの奥の空き地にいるから、
何かあったら呼んでくれと言ってテントに戻った。
その後もエンジンの空ぶかしとクラクションの音は続いた。
トカラ列島 旅行記 野宿しながら約一ヶ月かけて島々を巡った旅の話です!
スケッチが終わりこの辺にテントを張ることになると思うが、
まずは総代さんに挨拶するために集落へ上がる。
今までの経験で総代さんに顔を出しておけば問題が少ないようだ。
集落に向かう上り坂で波止場に最後まで残っていた車が走りすぎていった。
坂を上がりきったところで道が二手に分かれていて、
左に行くとヤマハの飛行場、右に行くと集落へ至る。
まずは飛行場に行ってみる。
かってヤマハがリゾートにしようとしただけあって
今まで見てきた島より景色がすっきりしている。
飛行場の入口に平屋建ての空港施設が建っているが内部は破壊されている。
滑走路はほとんど痛んでなく十分使えそうだ。
僕は直線に700メートルもある滑走路の
ど真ん中に座って雄大な姿を見せる御岳を眺める。
持ってきたコンパクトカメラをいじくっているうちに
セルフタイマーの機能があるのに気づき初めて自分を写す。
9月26日 土曜日
晴天 北の風強し。
午前6時、「みしま」は入港予定だが少し遅れてやって来た。
中之島出港の時に船の中は朝食時間になる。
通常、前の晩に予約が必要だが顔なじみになった船員さんに
自分も朝食が食べれるかどうか尋ねるとOKだった。
久しぶりにご飯をたっぷり(どんぶり2杯)食べる。
食事の途中で船が出港し島から離れると、凄い横揺れを起こす。
まだ横揺れ減少装置(フィン・スタビライザー)を船の横から出していないのだ。
茶碗を押さえていないとテーブルからずり落ちる。
腹はいっぱいになったが船の揺れで気持ちが悪くなった。
船は横揺れ減少装置を出したものの海が荒れていてかなり揺れる。
気持ちが悪いまま2等船室で横になっていたが
平島へ着く頃には本当にヤバくなったので酔い止めの薬を飲む。
せっかく胃袋に詰めたご飯を吐いたりしたらもったいない。
午前9時30分、夢にまで見た諏訪之瀬島に上陸。
かなり暑い。
波止場を上がったところに漁協の建物があり、そこに荷物を置く。
いつもの観光絵地図の看板の前に座り込んで手帳にスケッチしているあいだに、
波止場へ集まっていた車のほとんどが僕の横を通り過ぎて集落へ行ってしまった。
甘ったれるわけではないが声を掛けてくれる人は誰もいない。
ヤマハ諏訪瀬飛行場