トカラ列島 旅行記 野宿しながら約一ヶ月かけて島々を巡った旅の話です!
雨が降りそうな曇り。
午前6時起床、7時までに船のキップを買わなくてはならないので
急いでテントをたたみ荷物をまとめる。
ジャスト7時に駐在員さんの所でキップ(諏訪之瀬島ー悪石島間 870円)を買う。
諏訪之瀬島滞在7日間で出費は船賃入れても計3150円だった。
駐在員さんが港まで青年団のトラックに乗せていってやるから、
荷台に乗って待ってろという。
僕はよろしくお願いしますと言って荷物を先に乗せて自分も上がり、目を瞑った。
諏訪之瀬島切石港を午前9時20分出港、
悪石島やすら浜港に午前10時10分入港とパンフレットの航路発着時刻表に載っているが、
ずっと時計を見なかったので今回の正確な時間は判らない。
船の中で話し掛けてきた老人がいた。
自分は宝島に住んでいて、ずっと前に鮫捕り漁でNHKのテレビに
出たことあるが観たことないかと僕に尋ねた。
僕は頭の中の記憶装置を稼動させて鮫漁に関する記憶を
ピックアップさせたが、どれも当てはまらなかった。
老人の鮫捕りは、素潜りして眠っているフカのしっぽにロープをくくり付けて、
船に戻り引き上げるというものだ。
本当かなあ?
自分の家は民宿をやっているからぜひ来てくれという。
あぁ、そういうことかと思ったが、鮫捕りの話が面白いので
宝島に行く際は寄らせてもらうと約束する。
さて、悪石島に着いたがどこにテントを張ろうか。これが決まるまで落ちつかない。
まずは総代さんを探す。
波止場のつけ根にある倉庫の前に『としま』から降ろされたコンテナが、
フォークリフトで運ばれてきて、コンテナの中から荷降ろしをしている
男たちの中に総代さんはいた。
僕は仕事が終わるのを待って総代さんに声を掛けた。
「こんにちは、旅行をしている者なんですが、
どこかテントを張ってもいい所はないでしょうか?」
「ああ、それなら学校の校庭がいいよ。あそこなら水もあるし便所もあるから」
「えっ学校の校庭に張ってもいいんですか?」
「いちおう、校長先生にことわってな」
学校の校庭なんか大丈夫なのかな、校長先生に頭を下げて嫌な顔をされたら嫌だなあ。
本当は海岸の温泉近くにテントを張りたいなあ。
諏訪之瀬島ではお風呂に入れなかったので、
この島では温泉三昧と行きたいところだが、集落にテントを張ったら
そうたびたび温泉に来れないかもしれない。
というのは温泉から集落までかなり遠いのだ。
まあ口之島のセランマ温泉みたいに2時間も歩くことはないだろうけど。
僕は吉留建設のコンクリートミキサー車に乗せてもらい集落へと向かう。
波止場まで山が迫っていて、車に乗った途端に上り坂が始まる。
波止場から少し上がった坂道の脇に民家が数軒あった。
ここを浜集落と呼ぶらしい。
これから行く山の集落を上集落と呼ぶそうだ。
ミキサー車がぎりぎり通れる山腹を削った道を上がりきると牧場が広がっていて、
道はその牧場脇を緩やかな傾斜を描いて続きその先に上集落があった。
これを歩いたら30分から40分ぐらいはかかりそうだ。
ミキサー車の運転手さんは鹿児島の人で、今日の上り便の「としま」で
帰るそうで嬉しそうだった。
顔は怖いけど親切な方で学校の門まで乗せていってくれた。
僕は校長先生を見つけて事情を話すと、グランドならどこでもいいよと
気持ちよく言ってくれたので、水道と便所に近い芝生の生えた
ふかふかの場所でテントを張ることにする。
なんとここの小、中学校には小学生の男の子が一人いるだけで、
りっぱなグランドは朝の体操と体育の時間以外は使わないそうだ。
もしも、もう一度小学生からやり直せるならこういうところがいいかな。
とことん勉強が出来る。 けど、ちょっと寂しいか。
どうせならここより諏訪之瀬島がいいや。 今現在、小、中学生は
小学生に男の子が一人いるだけであとは女の子ばかりなのだ。
うらやましい。
まるでハーレム状態だ。
こんな動機が不純じゃ、女の子のケツばかり追って勉強どころじゃないかも。
もう一度だなんて頭の中の空想夢物語だけ.
人生は二度と後戻りが出来ない。
いまさら後悔してもしかたがないが、あの時あんな事をしなければ
よかったのにと思うところが何ヶ所もあるのは僕だけだろうか。
このところ日記にガジャブの事を書いていないが、最近あまり刺されていないようだ。
痒いところはあるが赤く腫れている所は少なく、
ほとんど黒ずんで痣となって残っている。
このグランドにはガジャブはいるのだろうか。
ガジャブさえ出なければ快適なねぐらになりそうだ。
悪石島は周囲8.8キロメートル、面積7.08平方キロメートルで平面図で見ると
ちょっとばかし四国のような形をしている。
この島も一番高い山は御岳と呼ばれ標高584メートル、
頂上にはNTTの超短波中継所が建っている。
人口は約60人で諏訪之瀬島と同じくらいだ。
温泉に向かって牧場脇まで歩いて来た時、軽トラが止まり
途中まで乗せていってくれるという。
どの島に行っても親切に乗せてもらえる。
港へ下りる道すがら、2つの分かれ道があり、
一つ目は御岳の頂上に続く道で二つ目は温泉に行く道である。
僕はその二つ目の分岐点で車を降ろしてもらう。
そこから砂利道を歩いて10分くらいの海岸沿いに
平屋建てのこぎれいな温泉センターが建っていた。
その途中の海岸に海中温泉があるが、潮が満ちていて海に没していた。
アルミ枠の引き戸を開けると、正面は廊下で、左側はたたみ部屋、
男湯、女湯となっていてトイレは外にある。
浴槽はコンクリート作りで4,5人も入ればいっぱいになる。
湯は今までの温泉とは異なり、あっさりとした感じはなく、有馬温泉ほどではないが
赤茶けた色をしていて舐めると鉄が錆びた味がした。
独りでゆっくりと温泉に浸かっていると、男の人が二人入ってきた。
吉留建設の人たちで今日の船で鹿児島に帰るそうだ。
この人たちにも
「釣りもしないんじゃ、退屈するよ」
と言われた。
確かに5日間、何しようか?
仮面神ボゼの話を聞いたり、パンフレットに載っている
中国産、インドシナ半島産の15世紀頃の陶磁器があるらしいから
それらを見せてもらったりできるかな。
見たい聞きたいという基本はあるけれど、いまひとつ奥へ入り込めない。
どうしても広く浅くとなってしまい、そのものの核心に触れることなく通りすぎてしまう。
カルト的にそのことに関しては何でも知っている、というようになりたいがいまだ
自分にとって「そのこと」が見つからない。
と言ったら聞こえがいいが三日坊主な性格を形成してしまった自分が悪いのだ。
温泉から集落まで歩くと40分くらいかかった。
食料が少ないのもあるが人恋しくって、
夕食だけ民宿で食べさせてもらおうと思い、
総代さんの家も民宿をやっているので訪ねてみると、
おかみさんが出てきてそのことを申し出ると、
「2千円でどぉ?」
「ちょっと高いなあ」
「1人分だけ作るのは手間がかかるのよねえ」
と言って、いま現在、客が泊まっている「民宿 中村荘」を紹介してくれた。
ただし、ここで聞いてきたということは内緒にしておいてと付け加えた。
民宿中村荘で夕食1500円で食べさせてもらうことにする。
鹿児島に置き去りにした自分の車が気になって、
中村荘の公衆電話を借りて不動産屋に電話を入れてみると
おばさんが愛想の無い声で、早く車を取りに来てくれないかと
いかにも迷惑そうに言い放った。
どうやらビル建設がまもなく始まりそうなので邪魔くさい僕の車を退かしたいらしい。
“なんのために車の合鍵を渡したんだ、あほー!”
と心の中で怒鳴って、手帳を見て
「今月の11日には帰りますからよろしくお願いしますよ」
と言って電話を切った。 あ〜気分が悪い。
テントの中で夕食時間の午後6時になるのをまだかまだかと待っていると、
宿泊客の1人が食事が出来たよと迎えに来てくれた。
彼は琉球大学の学生で、岩石調査のためにこの島にやってきたそうだ。
もう1人、宿泊客がいて山口県から釣りをしに来た37歳のおしゃべりな
パタリロとアンパンマンをミックスしたような人だ。
久しぶりの家庭料理のような食事は最高だ。
3人でたらふく食べる。
毎晩1500円の出費になるけど、たまにはこういうのもいいよね。と自分に言い聞かせる。
夕食後、民宿のおじさん、おばさんも含め、みんなで軽トラに乗り込んで温泉に行った。
死ぬほどではないが温泉にガジャブがいるのを発見する。
油断するとすぐに刺されるのだ。
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約束どおり午後7時に長沢さん宅を訪ねる。
ご主人はエビ漁に出ていてまだ帰宅してなく、
家には奥さんと中学生と小学生の二人の娘さんと居候の小学生の男の子が一人いた。
僕は茶の間に通され、ちゃぶ台の所に腰をおろし、あらためて自己紹介した。
奥さんはお茶を入れてくれて残り物で悪いけどよかったらと刺身とお新香を出してくれた。
諏訪之瀬島のヒッピーの元祖的な人たちの中で、
『ナーダ』と呼ばれている人がいるはずだけど、長沢さん=ナーダなんじゃないかと
「もしかして、長沢さんはナーダって呼ばれてませんか?」と聞いてみた。
すると奥さんは笑いながら、
「ナーダじゃなくてナーガ。 そして、私はラーダっていうの」と言った。
僕は諏訪之瀬島に関係のある友人の名前を挙げると、
ラーダさんはみんなよく知っていて、な〜んだとばかりに緊張感の壁が崩れた。
主人であるナーガさんは旅の途中、
人手不足ではしけ作業が困難になっていた諏訪之瀬島の長老と出会い、
意気投合してこの島にやって来た。時は1960年代後半のことだ。
それから次々と若者がやってきて『バンヤン・アシュラマ』という名のコミューンができ、
先住民と異質の生活感を持ちながらも島の労働力となった。
ラーダさんは1973年頃、島にやって来てナーガさんと出会い結婚する。
1970年代半ばにヤマハがリゾート開発のため、諏訪之瀬島に進出してきた。
ナーガさんらは自然保護を訴えヤマハの進出に反対した。
この運動はアメリカにも紹介されて世界的な拡がりを見せたが、
進出は防止できずヤマハは飛行場を作りホテルを建てた。
ある時、ラーダさんが仕事を終えて家に帰ってくると、
見知らぬ新婚さんらしいカップルが無断で家の中に入っていた。
ラーダさんは怒ってその若いカップルを追い出したが、
それからもたびたび観光客が家の中を覗き込んだ。
ナーガさんとラーダさんは黙って見過ごしていたが、
あまりに頻繁なため堪忍袋の緒は切れて、
家の中を覗いているこれまた新婚さんを捕まえて、
「どうして、人の家を覗くんですか!」
と聞くと、その新婚さんは
「これ・・」と一枚の紙を差し出した。
その紙を見ると島内観光コースが書いてあり、
そのコースの途中に『ヒッピーの家』としてナーガさんとラーダさんの家が載っていた。
どうやらヤマハのホテルがそれを作っていて宿泊者に渡しているようだ。
二人はすぐさまホテルに行き、その部分を削るように談判した。
今聞くと笑ってしまうが、
その当時ここ諏訪之瀬島を新婚旅行の地として選んだ
カップルがけっこういたらしいから驚きだ。
あくまでも風の噂だけどとラーダさんはことわって、
なぜヤマハがこの島にホテルなんか建てる気になったかは、
ヤマハの社長が飛行機の中から見えた諏訪之瀬島の御岳の雄大さと
マルバサツキが咲き乱れる裾野の美しさに一目惚れした事が始まりだと。
ホテルが出来てから社長は何度か諏訪之瀬島を訪れているらしいが、
そのたびに関係者は大掃除で大変だったようだ。
いつごろまでホテルが営業していたかを聞くのを忘れたが
現在は営業しておらず管理人が一人残って飛行場や建物を管理しているが
飛行場施設、ホテルの中はめちゃくちゃになっている。
ラーダさんが台所から持ってきた焼酎をグラスに注いで
お湯割りにしてちびちびといただいた。
僕は御岳で遭難しかかって危うく死ぬところだったと言うと
あそこは道に迷ったり怪我する人が多いようだ。
火口の縁を歩いていて火口の中に落っこちて、岩に引っ掛かり
一命を取り留めたものの足の骨を折って大怪我した人や、
僕と同じように霧にまかれた人や横浜の大学の探検部の学生が一人行方不明に
なった時は島じゅうの人達が島の中をくまなく捜索したが見つからなかった。
行方不明になって三日目、ナーガさんはなんとなく船を出して島の周りを捜すと
ほどなく海に浮かぶ学生の遺体を発見した。
見つけた場所は僕が遭難しそうになったときに間違って下っていったアカズミの手前、
大船浜という所だそうだ。
学生の遺体が見つかった日は、海が湖のように凪いでいた。
そんな凪の日は学生の名をとって『飯田凪』と呼ばれ、
遺体が見つかった所は『飯田瀬』と呼ばれている。
ナーガさんの家の飼い猫が野鼠をくわえて茶の間に入ってきた。
それを見たナーダさんはキャアキャア騒ぎ出した。
どうしちゃったのかと思ったら、彼女はネズミが大嫌いだった。
僕はおかしくて大笑いしていると背中に何かくっついた。
何だろう?と思って見ようとしたが見れない。
それを見ていた娘さんが僕に、
「大きな蛾がくっついているよ!」と言った。
僕は「うわぁー!」
と叫びTシャツを揺すりながら茶の間を走り回った。
僕はこの世で最大級に蛾が怖いのだ。
みんなが大笑いして一息ついていると、ナーガさんがエビ漁から帰ってきた。
いろいろ話を聴こうと思ったが疲れているようでとても眠そうだった。
時計を見ると午前0時に近かった。
ずいぶんと長居をしてしまったのでこの辺で帰ることにする。
あいかわらず僕の懐中電灯は光が弱く、
帰りの暗く長い道のりはとても怖いものだった。
今日も雨が降りそうな朝。
校庭にはカラスが多くいて、なぜかシラサギもうろうろしている。
さて、今日は何をしようか?
とりあえず集落の中にある島の絵地図をいつものように手帳に書き写して、
神社巡りをして、温泉の途中にある池に南石亀が生息しているらしいので、行ってみることにする。
最初に行った神社は集落の上にある金山神社で鳥居があり社もあるが、
社自体は内地のように凝った作りではなく、何一つ飾り気のない造りだ。
次に行った神社は東浜の方にある乙姫神社だ。
牧場のバラ線を開けて、ビロウの林の中へ入っていくと鳥居は無く小さな祠があるだけだった。
ここは場所がわかりずらく牧場で牛に餌を与えている人に聞いてやっとわかった。
その次は集落に戻って、集落の下にある神社に行ってみる。
ここは金山神社より小さいが手作りっぽい鳥居があり、社もある。
周りを大きな木で囲まれ、空気は冷えていていかにも神社という感じの空気が吸える。
次に波止場へ行く途中の道すじの牧場の中にある八幡宮へ行く。
八幡宮というと大きな感じがするが、ここも小さく鳥居と祠があるだけだ。
ただ、大きな松の木が一本立っていて印象的だ。
どの神社も視覚的には訴えるものは無く見てもつまらないので、
ここで神社巡りを終わりにする。
神々の島というキャッチフレーズに乗ってやってきた観光客としては物足りないが、
むしろ宗教としてはこの方が本物を感じる。
確かに質素だがどこもこぎれいにしてある。
きっと、土着の人々の心の中にはたくさんの神々が宿っていることだろう。
ガードレールに座って池を見下ろしていると、
水際の草むらの方から池の中央へ泳いでいる南石亀を見つけた。
甲羅の大きさが約20センチぐらいのやつだ。
もっと近くで見たくなり池のほとりまで下りたが、
目を離したすきにどこかへ行ってしまった。
しばらく池のほとりの岩に座って観察していたが二度と姿を現さなかった。
温泉センターの先に砂蒸し風呂がある。
ここは指宿の砂蒸し風呂のように砂を被せるのではなく、砂の上にゴザをひいて横になるそうだ。
中村荘のおじさんがここで寝ころがって勉強するといいよと
言ってくれたが残念ながらガジャブがいるからだめだ。
この砂蒸し温泉の上の岩山はいたるところから硫黄が噴出している。
温泉センターの湯もこの近くで自然噴出している源泉から引き湯している。
温泉センターに戻り昼飯を食べて温泉に入る。
風呂上りは裸でゆっくりしたいが、ガジャブ心配症の僕にはそれが出来ないのだ。
東京へコレクトコールをするため、温泉から波止場の待合所の公衆電話へ向かう途中、
温泉入口の分岐点まで上がって来たとき、誰かが叫んでいる!
何だろうと思い、あたりを見渡すと道の上の方から火の手が上がっているのが見えた。
僕はビックリして近くの吉留建設の飯場に駆け込んだ。
「すいませーん、火事みたいなんですけど誰かいますか!」
といきなり大きな声で叫ぶと飯場のおばちゃんたちが出てきて
僕を胡散臭そうに見た。 そして、僕の指さす方を見て、
「あらら、本当に燃えてるわ」
といたってのんびりしている。
そのうち飯場の奥の部屋から足を怪我した人が出てきた。
僕はその人に波止場か集落に知らせに行きましょうか?と言った。
横でおばちゃんたちは知らせると怒られるから知らせない方がいいと言っている。
そんなことをしているうちに火が大きくなってきた。
すると波止場から吉留建設の軽トラが上がってきて火元に向かった。
それを見た足を怪我した男の人は、僕にバイクに乗って集落に行って、
島内放送を要請してくれと頼んだ。
僕は総代さんの家に駆け込み山火事の事を話して島内放送をお願いした。
そして、すぐに飯場へ戻ってみると火の勢いはかなり弱くなっていて、
島内放送が流れる頃には煙がもくもくと上がっているだけになっていた。
僕は良かったなあと思う反面、もう少し燃えていてもらわないと
大げさに騒いだ僕はアホのようだと思った。
なんだか余計なことをしたみたいで、後ろめたい気持ちを抱きながら、
とぼとぼと波止場へ向かった。
なんと波止場の赤電話はコレクトコールが出来ない。
まったく、こういう場所だからこそ必要なのにNTTなんとかしろよ!
波止場の先端で何人か釣りをしているのが見えるので行ってみると
校長先生と奥さんがいた。
カゴ付きのサビキでムロアジなどを釣っていた。
隣に老人が釣っているがぜんぜん釣れない。
ぶつぶつと言い訳しながら頑張っている。
けっこうずるいところがあって、奥さんが魚を釣り上げて竿を上げた時
そのポイントに糸を垂らすのである。 しかし釣れない。
そんな情景を見て楽しんでいる時に島内放送で山火事が鎮火したと放送があった。
食事に間に合うように集落へ向かう。
今日は快調で30分かからなかった。
食事が終わってから今夜もみんなで温泉へ行く。
中村荘の軽トラは調子が悪く、ローギヤ−かセコンドギヤ−でしか走らない。
だけど調子が良くてもここじゃギヤ−はサードまでしかいらないなぁ。
温泉から上がって畳の部屋で少し涼むが
中村荘のおじさんは扇風機などに頼らず豪快に窓を開ける。
確かに気持ちはいいが、恐ろしいほどいろんな虫が入ってくる。
これには閉口する。
テントの中で横になってラジオを聴いていると、
パタリロアンパンマンこと石井さんがやって来て、これから伊勢海老を釣りに行こうと誘ってくれた。
波止場の堤防の上から餌にイカの切り身を付けて、テトラポットの隙間に糸を垂らし
手でしゃくりながら伊勢海老が喰らいつくのを待つ。
この時、ライトで水面を照らしてしまうと光で驚いて伊勢海老が逃げてしまう。
今夜は夜光虫が多く、あちらこちら海の中で淡い光を放っている。
女の子と見ていたらさぞかしロマンチックだろうが、
パタリロアンパンマンとじゃロマンチックもへったくれもない。
うっ、つんつんと何かが糸を引っ張る。
伊勢海老か? あたりに合わせて糸を上げるが獲物は掛からない。
そのうち根がかりして針が取れてしまった。
もう一度チャレンジ。 またもつんとあたりがある。
何度目かに糸を上げると何かが掛かったようだ。
伊勢海老にしては重さが無いんで何かと思えば、釣りあがったのはゴンズイだった。
もう最悪。
ゴンズイといえば身体のどこかに毒を持っている。
素手で触れないから針を外すのが大変だった。
おまけに糸を上手く上げなかったからおまつりしてしまいジャンジャンとなってしまった。
パタリロアンパンマンも釣れなくって諦めたようだ。
しかし、ここからがパタリロアンパンマンの本領発揮だ。魚をたも
(魚を釣り上げる時に使う網)ですくおうというのだ。
波止場の内側で一生懸命にすくいはじめた。
本気か冗談か判らないが魚がいないのに
「あっ、ほしい!」
とか
「あっ、逃げられた!」
とやっているのだ。
僕が笑っていると、
「魚が見えんかぁ?」
とパタリロアンパンマンが言う。
ほらそれ!と指さすが僕にはまったく見えない。
「今、大きいのが通ったど!」
とまるで裸の王様だ。
彼いわく大きい魚には夜光虫がくっついていて、
夜光虫が光って横に大きく流れるものは魚に付いているやつだそうだ。
ほんとかな?