大連・旅順編@
「坂の上の雲」に関連する史跡等の簡単な旅行記です。
<中華人民共和国 大連・瀋陽・旅順編 : 2009年9月7日〜9月10日>
広島空港14:30発 大連まで約2時間のフライト
時差は、1時間(大連の方が1時間遅い)
明治の時代はもちろん船で。広島港から出兵していた。
「坂の上の雲」(7巻 退却)では、児玉源太郎が讃岐号に乗り、
大連港を3月22日に出て広島の宇品港には3月26日に着いていることからすると、
5日間の航海だったようである。
機内でのコーヒーサービスで出されたクリームの名前が
「珈琲伴侶」 面白い名前。
紅茶のクリーム(伴侶)には使えないのだろうか??
大連の街
ガイドさんの説明によると、
ロシア人が「ダリエ(遠いところ)」と言っていたところから
大連になったらしい。
人口600万人の大都会。
滑走路越しに見える風景。青い住宅が連なり、おしゃれな感じがする。
![](img249.jpg)
![](img251.jpg)
ホテルの最上階のレストランから撮影した、大連港
当時の兵隊さんは、この港に着いたんだろうな・・・・
これが古い大連港 左下に鉄道の跡が見える
大連港から日本の方角を写しました。
いろいろな思いで、この方角を眺めていたんだろうな・・・
大連駅は、東京の上野駅をまねて作ったそうです。
大連駅前の様子
大連から瀋陽への列車の旅(旧満州鉄道で)。
「坂の上の雲」では最終的な陸戦は「奉天」となっている。
「奉天」という地名は、現在瀋陽に改名された。
明の時代までは「瀋陽」、
清の時代から「奉天」
1945年の第2次世界大戦後「瀋陽」ということみたいです。
8時ちょうどに瀋陽に向けて出発しました。
![](img258.jpg)
秋山好古の第2軍は、大連から北進していった。
その間、金州、得利寺、遼陽、と会戦していった。
それを辿っていく感じでしたが、残念ながら、
列車で通りすぎるだけでした。
8:00 大連出発
8:25 金州通過
9:23 得利寺通過
11:13 鞍山停車
11:25 遼陽通過
12:15 瀋陽到着
車窓から撮った風景です。(風景と、コメントの場所は一致していません)
広い台地をひたすら走る。私の知りえる範囲での説明としては、
何か、北海道の雄大さと同様のものを感じました。
![](img260.jpg)
・金州・南山が第2軍の手始めの戦いだった、日清戦争で使った砲弾量を一日で使い切った
(「坂の上の雲」 3巻 陸軍)・・・
・乃木軍は機関車の水が凍って出発できなかった(「坂の上の雲」 6巻「乃木軍の北進」)・・・
![](img262.jpg)
・得利寺では、ロシアが兵力を分割して失敗したんだ(「坂の上の雲」 3巻 陸軍)・・・
・鞍山駅の南の海城河で乃木軍の参謀が墜落した(「坂の上の雲」 6巻「乃木軍の北進」)・・・
![](img264.jpg)
・遼陽の会戦では、第1軍(黒木軍)は、義経のようなヒヨドリ越えのような作戦で戦ったんだった
(「坂の上の雲」 4巻 遼陽)・・・
4時間の列車の旅。約400キロ。
日本の新幹線の導入工事をしていました。2年後に開通するみたいです。
そうすれば、半分くらいの時間でいけそうです。
瀋陽は人口約780万人
気温は冬は−25℃、夏は45℃という大変な気候のようです。
「坂の上の雲」の5、6巻で、瀋陽の少し南の黒溝台会戦について
書いてあります。
1月のこと、「この厳寒時に大兵力の運動は行えるものではない」
と固定概念に縛られていた・・・とありますが、気温の説明を聞いて
納得しました。
瀋陽の駅は、東京駅を真似て作ったそうです。
瀋陽駅は通過。(どれだけ東京駅に似ているのか確認できませんでした)
下車したのは、瀋陽北駅
最後の奉天の会戦では、秋山支隊(3千)が奉天の北20キロに迂回してロシア軍の退路
を断とうとしたんだ・・・・「奉天北」だけど、もう少し北かな・・・・(「坂の上の雲」 7巻退却)
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