工兵橋:広島
秋山真之は兵学校時代、松山の「お囲い池」で喧嘩事件を起こします。その相手が、広島の工兵隊でした。
その喧嘩相手であった工兵隊が明治22年にかけた橋です。
その、昭和に入って2度架け替えらました。
左下の写真の奥に見えるビルが広島駅並立しているホテルで、駅から車で5分程度のところです。
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桜が満開でした。
大本営:広島
1894年9月15日に日清戦争の戦争指揮のために広島に明治天皇が移ったことにともなって大本営も移った。
日清戦争が終結し1896年4月1日に大本営解散の詔勅によって解散されたあとも、
天皇は4月27日まで滞在した。
広島城の東側の入り口(裏御門)
南側は、街の中心地。高いホテルの横には旧広島市民球場がある。
旧市民球場の前は原爆ドーム。
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裏御門から入るとすぐ、大本営の基礎のあとが見えてくる
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正面から撮影したところ
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そして、広島大本営と書いてある。
(坂の上の雲 2巻 日清戦争)
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西側から撮影したところ
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そして、すぐに広島城の天守閣が見える。
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陸軍桟橋(宇品)
広島市内電車で約30分くらいでしょうか・・・
海岸の地名を「うじな」といいます。
この東側には、1万トンバース、そしてさらにその東側にはマツダの宇品工場
(乗用車の組み立て工場があります)
秋山好古も、日清戦争(2巻 日清戦争)、日露戦争とも(3巻 陸軍)ここから
敵地に向かっている。
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この宇品線を説明した看板
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案内板には
「宇品線は、宇品港が軍用港としてクローズアップされた日清戦争の明治27年に、
山陽本線の完成に会わせて敷設された旧陸軍の軍事輸送線で
明治39年制定の鉄道国有法により国鉄に移管されたものです。
広島・宇品間5.9キロを着工からわずか6日間で完成。
さらに、起点の広島駅には軍用列車の引込線が整備され、
終点の宇品には陸軍運輸部宇品支部か設けられました・・・・」
と書いてあります。
そして、これが陸軍桟橋の説明石
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「宇品に陸軍運輸部が置かれ、一筋の石積みの突堤が沖に向かっていた。
広島の市民がそれを陸軍桟橋と呼んだ。
そして日清戦争から太平洋戦争にかけて、兵らはその突堤から沖に待つ輸送船に乗り移り
、遠い大陸と島と戦場に送り出されるのが例となっていた、
彼らの多くが戦死し、再びこの突堤には戻らなかった、
戦争が遠く過ぎ、あたりは埋め立てなどにより姿を変えたが、
今、埠頭の片側の岸にわずかにかつての面影をとどめる。
わたしたちは平和のために、ここに陸軍桟橋があったことの記憶を受け継がなければならない。」
と記されています。
これが石積み(陸軍桟橋)
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岸壁から海を見た光景。
遠くのビルは、広島プリンスホテル。
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広島に住んで30年近くが過ぎようとしています。
宇品には、子供と釣りに来たりしていましたが、初めて陸軍桟橋の
こと知り、この光景を最後に日本を離れていった、兵隊さんが多くいたんだ・・・
と思うと、何とも言えない気持ちでした。