北予中学・お囲い池等
「坂の上の雲」に関連する史跡等の簡単な旅行記です。
<愛媛県松山市 : 2009年12月6日>
北予中学校
(秋山好古は)大正5年に陸軍大将になり、同12年に予備役に入った。その翌年故郷の北予中学校の校長になり・・・
( 「坂の上の雲」 8巻 雨の坂 )
その私立北予中学校。現在県立松山北高等学校
鉄砲町の電停から、徒歩で2〜3分くらいのところでした。
校門を入って右側の建物のところに、好古の銅像がありました。
好古さんと肩を組んで記念写真。
ちょっと恐れ多いのですが・・・・
好古1859年生まれ、私が1959年生まれ、丁度100年後に生まれた人間ということで・・・
<明教館>
藩士の子弟はことごとくそこに入る。明教館には小学部が付属しており「養成台」といった。
普通、数え年8つになれば入学した。信さんとよばれていた秋山好古も、八つでその学校に入った。
( 「坂の上の雲」 1巻 春や昔 )
松山藩の藩校で文政11年(1828年)に開設され、明治4年(1871年)県立松山中学校になった。
明治12年、真之も子規も、勝山小学校を卒業して松山中学に入った。
( 「坂の上の雲」 1巻 真之 )
勝山町の電停を下りて、徒歩4〜5分くらい。松山東高等学校の校門を入る。
構内の奥に明教館が残っていた。
場所がわからなくて構内をうろちょろしていたら、先生が出てこられて、
平日であれば、中をお見せできるのですが・・・(事前予約必要)とのこと、
日曜日だったので、明教館の中を見るのは諦めました。
<お囲い池>
秋山真之が、江田島の海軍仕官学校からの帰省したときに、
この「お囲い池」で水泳をしていた、事件が発生する。
広島から工兵部隊が演習場の地ならしに来ていた二人が
このお囲い池に来て、「ここでは褌をせぬと泳がれん」という注意書きを無視して
素っ裸で泳ぎ始めた。
真之は、その二人の横っ面を、ぬれ手拭でびっし、びっし、とひっぱたきものもいわずに水中に
突きとばした。
その後、工兵らは復讐にこの池に来たが、
真之の凄みにひるみ、喧嘩をすることを諦め警察に訴えた。
真之は「警察は正義に味方せず、不義に味方するのか。あしが出頭せねばならぬ理由がどこにある」
と警察を困らせる。
父親の八十九翁が、結局警察に話をつけに行く・・・・
( 「坂の上の雲」 1巻 ほととぎす )
そのお囲い池。
明教館から、数分のとこです。
明和4年(1767年)以降、松山藩の水泳練習場として使われていたのですが、
昭和37年(1962年)に埋め立てられ、現在青少年センターが建てられてあります。
全く跡形もなく残念でした。
その跡地に看板が立てられていて、その場所を探りあてることができました。
センターの中に、当時を忍ばせる資料がありました。
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