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広島案内編A

「坂の上の雲」に関連する史跡等の簡単な旅行記です。


正岡子規 俳句碑

広島から車で40分くらいのところに呉市がある。
呉といえば、戦艦大和のふるさと。

呉駅から車で10分くらい走ると、海側にIHI(石川島播磨重工)
の工場が見えてくる(写真左)。
(右の写真は、IHIのドックを対岸から写したところ)
  


IHIの工場を通りすぎるときに、ちょうどその山側に
「子規句碑前」というバス停を発見した。

  

そのバス停から歩いて2分くらいのところに
ありました子規の句碑が・・・知りませんでした。
  

「呉港  
 呉かあらね 春の裾山灯をともす
                  子規」
と石碑には書かれてある。

この句は明治28年3月9日に、友人古嶋一雄が海軍従軍記者として、
軍艦松島に乗り組んで出征するのを見送るため、
呉を訪れた正岡子規が詠んだ3句のうちの1句です。
当時は、広島と呉を結ぶ鉄道は未開通だったので、
子規は宇品港から船で呉の川原石港へ向かいました。
呉軍港入口のウルメ島付近にさしかかったとき、
正面に見える休山山麓の日暮れの情景を詠んだ1句と思われます。

と案内版には書かれている。

子規が、2度落第し、大学を中退し新聞社「日本」に入社する。
当時の編集主任だったのが古嶋一雄。
(坂の上の雲 2巻 日清戦争)

真之も好古も俳句仲間も記者仲間も戦地へゆく。
かれだけは病身で仲間からはずされたようであり、
たれよりも仲間好きな、そして淋しがりのこの男にとっては
自分だけが置きさられているということがたえがたかった。
(坂の上の雲 2巻 根岸)

ということから、子規の勤務している新聞社「日本」の社長の陸カツ南に
従軍記者になりたいとお願いし、それが実現する。

そして、子規も宇品港から、大連に入港した。
(坂の上の雲 2巻 須磨の灯火)



江田島海軍兵学校
(近日取材予定です)

<おまけ編>

IHIの工場の中の建造中のタンカー(?)の隣の屋根の付きのドックが
戦艦大和が建造されたドック。


子規の句碑の10メートルくらい隣に、「戦艦大和の塔」があった。


その右には、大和で使われた主砲の砲弾の複製が置かれていた。