P7 Management Consulting

<鈍感力・ブレない>


理想を掲げ、情熱を持ち、無私の心で組織を引っ張っていく。

情熱のところと重なるところああるが、成果を獲得するためには、
多少の困難や障害を乗り越えていかなければならない。

その過程の中で逃げ出したくなるような時もあろう。
部下からの悲鳴を聞くこともあろう。

その中心の心棒がぐらつくと組織は、ばらばらになる。ブレてはならない。

リーダーは「敏感」と「鈍感」の両方をあわせ持つ必要がある。

「敏感」とは、取り巻く外的環境および内的環境に関する情報を
常に認識しておくという「敏感」さが必要とされる。
そしてその集められた情報をもとに、作戦を立案し、
そしてその構成員を巻き込んで実行する。

この実行の場面で「鈍感」さが必要となってくる。

当初の目的・目標や方針を簡単に変更しない。
ブラさないということなのである。

実行中にはいろいろな想定外のことが発生する。
そして、なかなか成果があがらないこともある。
また、どちらかというと、いいニュースよりも、悪いニュースの方が入りやすい。

成果と努力の関係をちょっと考えてみると、
成果と努力は正比例の関係にはない、
段階的な正比例の関係にあるといえる。

正比例の関係とは、電気・水道料金のように、
使用した量と請求金額が一致しているもので、
努力を1すれば成果も1あがる。そして努力を2.3.としていけば、
成果も2.3と比例的にあがってくるというもので、
努力したものとしては成果の確認が目にみえて感じれる関係にある。

段階的な正比例の関係とは、
タクシー料金のような形式で、
初乗り◎キロまで680円、その後◎◎キロごとに80円加算
という形態のことをいう。
努力を1しても、1成果は現れず、
2。3と努力しても成果は2.3とでない、
やっと努力を4したところで、
一度に成果が4現れるという関係のものであり、          

努力するもののなかなか成果が現れない、
努力する側にはつらい関係である。

この段階的な比例関係にある以上、
リーダーは「耐える」「しのぐ」「我慢」するという認識
すなわち「鈍感力」をきちんともっておく必要がある。

この「鈍感」を持ちえていないと、
せっかくの努力も結果「0」ということになってしまい,
一定のブレークスルーのポイントまで到達せずに、
それまでの努力が無駄になってしまう。

このブレークスルーのポイント直前は、
努力と成果の差のギャップが最大であり
上記の例でいくと、努力を4したところで、成果が4あがる直前だから、
努力3.9−成果0=ギャップ3.9がある。

努力するものとしては、
問題の発生、否定的な現象の発生、
そして構成員からの突き上げ、上司からのプレッシャーは極限にいたる。

ここで方針・目的がブレてしまったら、いままでの苦労が台無しとなる。

再度顧客に焦点をきちんとすえて見直すという企業改革の中で、
お客様と企業が接する場面。
すべてを見直すべく、ターゲットの見直しから、
商品そのものはもとより、メッセージの届け方、
お役様と営業マンの接触の頻度、
その質的な内容、そして受注から出荷、
後のフォローのあり方等々にメスをいれていく。

これらが一体となって、初めてお客様に
そのインパクトを与えることができる、

その実践にはそれ相当の時間がかかる。
その実践中には、メインターゲットからはずれたお客様からのクレーム。
満を持してリリースした新しい商品の不良。
新しい訴求ポイントを反映して告知のタイミング遅れ。
新しいパターンの営業方法による接客クレーム。

と努力すればするほど、いろいろな問題がでてくる。

ただ、その変化の兆候は一部の感度の高いお客様からは
良質な反応が返ってきている。
そして、いくつかの指標がいいほうに変化しつつある。

しかしながら、全体としての業績の向上にまでいたっていない。
そして、内部からの不満の声もあがる、
外部の理解関係者である銀行や株主からは、
催促されるかのようにその進捗を確認される。

そして、これらの声に惑わされ、
ついに、もともとの改革の路線はブレてしまい、
結果慣れたきた今までのやり方に戻ってしまう。

実行の部分で「敏感」になってしまい、
「鈍感」で貫きとおせず、今までの努力・苦労が水の泡になる
というのが企業改革での概ねの失敗の形である。

このブレが起きやすいのは、いわゆる秀才の多い会社、
秀才のリーダーのいる会社に発生しやすい。

彼らは、秀才であるがため、いろいろな解決策・回避策を考えることができる。
それゆえに環境の変化に「敏感」に反応してしまい、
実行においてブレやすいことがある。

むしろ、その逆の会社のほうが、少々の変化には動じず、
不要なことを考えずに、「鈍感」に実行し、
成果が現れるというケースも頻繁にある。

安岡正篤氏の本の中にで、「知識」「見識」「胆識」という
概念が紹介されている。

知識とは、いろいろなことを知っていることである。
「だから、どうする」というのは無い。

「見識」とは、知識をベースにそれなりの意見をもっていることをいい、
「だからどうする」という見解はもっている。
しかしながら見識というのはここまでで終わり。

「胆識」というのは、見識を実行してやりきるというところまで言う。
いわゆる評論家というのはこの分類方法でいけば
「見識人」であり、実務家といわれるのは「胆識人」ということになる。             
    「見識人」+実行段階の「鈍感力」=「胆識」

という方程式があるように思う。                 

残念ながら、前述の努力に対して成果が現れるブレークポイントは、
誰も教えてくれぬ、それを計算する方程式もない。

そのブレークポイントの時期がわかるとするならば、
経験を積んだ人間の勘くらいしかない。

この期間は、リーダーがその成功に確信を持ち続けること、
そして、その努力の中で、構成員に状況の変化、
そして些細でもいい変化の兆候を教え希望をあたえつづけ、
ブレークポイントまで「鈍感」に努力を継続するに他はない。

この「敏感」と「鈍感」を使う場面を間違えてしまったら、
大変なことになってしまう。

外部環境等の情報には「鈍感」。
おのずと、その計画は現実の状況をきちんと反映したもの
という期待は持ちようがない。

そして実行の段階になって、現実の状況が分かってくる。
自分達のよってたつ計画と現実が違う場面が随所に現れてくる
その建て直しのために「敏感」に計画を全面的に修正せざるを得ない
という状況に陥ってしまう。

計画の修正は、頭の作業であり簡単にできるかもしれない。
しかしながら、それを実行する現場は、
「敏感」ゆえの度重なる計画により右往左往してしまい、
その変更指示についていくだけで精一杯の状態となってしまい、
当初の目的どころではなくなってしまう。

ましてや、上級の幹部になればなるほど、
その1ミリのブレは、部下に伝わるときには1メートルのブレになりかねない。

上級幹部のブレは、組織に大きな影響を与えることを肝に銘じる必要がある。

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